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第四夜

 この間買ったばかりの羊たちが心配だと母さんが何度となく言う。仕方なく様子を見に行くことにした。夜には誰も見張るものがいないのに、周りにあるのがチカの作った膝くらいの高さまでしかないあの柵では、母さんが不安になるのも無理はない。ランプ杖を持って牧場へ向かった。
 もう星が流れる季節になっている。橙の色の尾をひいて、いくつもの星が空を横切っていくのが見えたが、道にはまだかけらも落ちていなかったので杖に星を入れて明かりにすることはできなかった。流星と、青白い月の光を頼りに凍った道を歩いた。
 三頭の羊はそれぞれ真っ白な綿になって静かに眠っていた。牧草はもうすっかり凍って、小さなガラスのナイフみたいにその切っ先を突き上げているのに、そんなところで地べたに転がっていても彼らは平気なのだろうか。
 厚い革靴の中に何枚も靴下を履きこんできたのに、すでに指の先が痺れている。赤くかじかんだ手に息を吹きつけた。ふかりと浮き上がった羊たちそっくりな息が、夜の中に消えていく。もうここには生きているものは自分のほかには何もないように思えた。あとはみんな凍ったガラスばっかりだ。あそこに転がっている綿の固まりも、空を流れる星も、ビー玉を嵌め込んだような月も。
 その時大きな白い犬が二頭、うなり声もあげずにまっしぐらに母さんの羊たちのところへ駆け込んだ。どこから現れたのかはわからなかった。足音さえ聞こえなかった。犬には眼も鼻もなく、真っ白い顔の真ん中に大きな口があるだけだった。ずらりと並んだ牙もやっぱり真っ白だった。
 ランプ杖で思いきり犬を殴った。一頭はどこかへ行ってしまって姿が見えない。ただ目の前にいる残りの犬をしこたま殴りつけた。がしゃんがしゃんと割れるような音が頭の中に響いた。すると殴るたびに犬の体が消えていく。杖が犬の頭にあたると、その瞬間ふいと尻尾が消え、次には尻が消え、そして後ろ足が消えた。体が半分以上消えてしまっても犬はぎゃんとも言わず、ひたすらに口をがばりと開いてこちらに向かってくる。ただ必死で杖を振り回した。
 ふいに気がつくと、自分は牧場の中にただ一人で立っていた。しんと静まり返った夜の中、隣には羊たちが静かに眠り、空には変わらず星が流れていた。月の青い光がますますその濃さを増し、闇が深くなっているのがわかった。
 足元にきらりと光るものが落ちていた。あの犬の牙かと思ったが、もしかするとそれは落ちてきた星のかけらなのかもしれなかった。

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