鹿島神宮
茨城で生まれ育ったのに、一度も行ったことがない場所。
いざ、鹿島神宮へ行ってきます!
1.武甕槌大神(タケミカヅチ)
鹿島神宮の御祭神は「武甕槌大神(建御雷神/タケミカヅチ)」。
葦原中国平定(あしはらのなかつくにへいてい/国譲り)を成し遂げ、神武天皇の窮地を救った神剣・韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)を授けためちゃ強い武神。雷神であり、剣の神様。葦原中国平定の際に「タケミナカタ(タケミカヅチに負けた後、諏訪大社に祀られた神様)」と相撲で勝負をして勝った事から、相撲の神様でもある。御祭神が武神なのもあり、鹿島神宮は、勝利祈願・必勝祈願の御利益あり。
日本の神社は、ほとんど東か南向きだけど、鹿島神宮は西から参道が伸び、北を向いている珍しい場所。それは、今も諏訪大社(長野県)のタケミナカタを睨んでいるからともいわれているけれど、大和朝廷(ヤマト王権)が蝦夷を平定(討伐ともいえる)する為に、鹿島神宮の辺りに陣を置いた名残りなのかもしれない。
「常陸国風土記(721年成立)」には、鹿島神宮の御祭神がタケミカヅチであるという記載はなく、古事記や日本書紀には、鹿島神宮についての記載がない為、いつからタケミカヅチが御祭神なのかは不明らしい。
Wikipediaによると、鹿島神宮の御祭神がタケミカヅチであると記した最初の文献は「古語拾遺(807年成立)」における"武甕槌神云々、今常陸国鹿島神是也"という記述らしい。「延喜式(927年成立)」の「春日祭祝詞」にも"鹿島坐健御賀豆智命"とあるけれど、これは春日大社の創建といわれる768年までさかのぼるという説もあるそう。他にも諸説あり。
8世紀(701年~800年)頃の蝦夷平定が進むにつれて地方神であった「香島神」に中央神話の軍神であるタケミカヅチの神格が加えられたとする説や、中臣氏(のちの藤原氏)によって作られたという説もあるそう。
タケミカヅチは、中臣氏の遠祖とつながる系図があるなど、藤原氏との関係が深く、藤原氏の氏神でもある。中大兄皇子(天智天皇)と「大化の改新(645年~650年)」を行った中臣鎌足は、藤原氏の始祖。中臣鎌足の出生地は、奈良県説と茨城県鹿嶋市とする説があると知る。
日本の神様を調べていくと、古代の歴史に辿り着く。鹿島神宮は神聖な場所だけど、なんだか血生臭い歴史が隠れていそうで、興味深い(不謹慎)。
日本神話に話を戻そう。
イザナミが生んだ火の神様「火之迦具土神(ヒノカグツチ)」。火の神様なのもあって、生んだ時にイザナミは火傷を負い、亡くなってしまう。それに怒ったイザナギがヒノカグツチを殺し、その時に飛び散った血から生まれた神様のひとりが、鹿島神宮の御祭神のタケミカヅチと言われている。
日本神話もだいぶ血生臭いや。
タケミカヅチは「イワレヒコ(のちの神武天皇)」に、韴霊剣を与えて、勝利に導いているけれど、鹿島神宮に保存されている韴霊剣は、この時の剣ではないそう。韴霊剣は、奈良県にある「石上神宮(いそのかみじんぐう)」の神体山に埋納して祀られている。石上神宮は、物部氏の氏神。
タケミカヅチは、葦原中国平定の際に、島根県出雲市にある稲佐の浜(いなさのはま)に降り立ち、十束剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さまに立て、その切先にあぐらをかいて座ったとされ、めちゃ強いお尻をお持ちの武神だ。私はこのエピソードが好きなので、鹿島神宮の御祭神がタケミカヅチだと知った時は、歓喜でした。
独特で癖の強い日本の神様は魅力的だ。日本神話や常陸国風土記について、もっと知りたいなあ。
2.龍神さまのお出迎え
参拝前に、本殿前で写真を撮ったら、なにやら白い曲線が写っていた。
白龍さま?!
光の影響かもしれないけれど、白龍さまが歓迎してくれたと思う方が、嬉しいから、そうだと思う事にする。
鹿島神宮を参拝する前に、鹿島神宮のすぐそばにある、Nさんオススメの「靇神社(りゅうじんじゃ)」にお参りしていたから、その龍神さまかな。
靇神社に祀られている「高靇神(タカオカミ)」と「闇靇神(クラオカミ)」という龍神さまは、どちらも、イザナギがヒノカグツチを斬り殺した時の血から生まれたとされ、鹿島神宮の御祭神タケミカヅチと兄弟でもある。
歓迎、ありがとうございます!
3.奥参道・さざれ石・鹿園、そして奥宮
本殿に参拝後、奥宮へ続く300mの奥参道を進む。
奥参道の途中に、さざれ石と鹿園がある。
奥宮は長蛇の列の為、今回の参拝は断念。
4.鹿は、神の使者
天照大神(アマテラスオオミカミ)の使者、天迦久神(アメノカクノカミ)は鹿の神霊だったことから、鹿島神宮の神使(しんし)は鹿とされ、今も大切にされている。その為、神社名(地名)が「香島」から「鹿島」になったという説もある。
768年に奈良県の「春日社(現在の春日大社)」が創建された時には、鹿島神宮のタケミカヅチの御分霊を白鹿の背中に乗せてお遷ししたと伝わっている。茨城県から奈良県まで、約1年をかけて鹿たちはてくてく歩いて移動したらしい。ちなみに、春日大社は藤原氏の氏神だ。
5.ナマズと要石
地震を起こすナマズの頭を抑えていると伝えられている要石。東国三社の香取神宮の要石は、そのナマズの尻尾を抑えているとされる。
ナマズが地震を起こすと言われるようになったのは、江戸時代らしい。江戸時代よりも古い時代からある鹿島神宮。江戸時代以前には、要石は何を抑えていたのだろう。地中に潜む地震虫や龍が地震を起こすと言われていた時代もある模様。
【鯰絵にみる日本人の地震観の変遷(兵庫県立人と自然の博物館 加藤茂弘)】https://www.hitohaku.jp/material/kids-toolbox/namazue.pdf
要石は、なにか別の役目があったのかもしれない。磐境(いわさか)や岩座(いわくら)のように、神さまをお招きし、祭祀を行った場所だったのかも。
要石の鳥居に到着すると、しめ縄にオニヤンマがとまって休んでいた。人がそばにいても、動かない。これも、歓迎の合図かも。そんな事を話しながら、要石を拝む。
ちょうど南海トラフ地震臨時情報が発令された時期だったのもあり、「日本中の人を地震からお守り下さい」とお願いする。
徳川光圀公は、好奇心を抑えられなかったのだろうか。もし、要石を掘り出して抜いてしまったら、地震が起こるのではと天災を畏れる事はなかったのかな。強者だ。それとも、信仰の場が荒らされないように、口裏を合わせて作り話を記録したのかな。
要石に関するお話(「地震太平記」や「あんしん要石」)などもあって、おもしろい。要石の伝説は、庶民にとって、おもしろエピソードのひとつとして楽しまれていたことが分かる。
6.御手洗池とスズメバチ
お正月に御手洗池で大寒禊を行う映像を何度も見ていたから、どんな場所なのかと思っていたら、普段は、鯉やザリガニが悠々と過ごす池だった。
御手洗池の奥に、お水取りができる場所があって、行列ができていた。私達も並んで待つ。2匹の蝶が羽ばたき、また歓迎されているのかなあなんて、悠長な気持ちでいたら、ブーンという重低音の羽音が聞こえる。
スズメバチだ。
鹿島神宮の境内には、スズメバチに気を付けるようにという看板が設置されていた。ついに、ここで出会ってしまった。
スズメバチは、歓迎の合図だとは思えなかった。お水取りは諦めて、列から離れる。触らぬ神に祟りなし。皆様も、どうぞご安全に!
7.湧水茶屋「一休(ひとやすみ)」
御手洗池のそばにある湧水茶屋「一休」で、
みたらし団子と湧水珈琲で休憩。
8.事触れ
お参りしたら、御神籤を引く。
それが、私のマイルール。
不思議な屋台?のようなものを見つける。
近づくと、それは御神籤の屋台だった。
鹿島神宮では、御神籤の事を「事触れ(ことふれ)」と言う。昔、春ごとに鹿島神宮の神官が鹿島明神の御神託(神のおつげ)と称し、その年の吉凶・天変地異を全国に触れ歩いたとされていることが所以らしい。
鹿島神宮の事触は、4種類。
「大吉」「吉」「半吉」「凶」。
たくさんある事触の中から、ひとつ選ぶ。
私の御神籤は「大吉」だった。わーい!
「要石の動かぬが如し」
軽々しくない為に邪悪に誘はれる事なく万事落附いて確実に進行する
落ち着いて、進みます。
9.御神木
奥宮の後ろに大きな木がたっていた。
人がはけ、私達だけに。
歓迎されていると感謝し、手を合わせた後、そっと触れさせてもらう。
御神木は、奥宮ではなく、本殿の裏にあるらしい。
次に参拝する際は、御神木にもご挨拶したい。
10.番外編:「加賀谷(かがや)」
鹿島神宮を参拝後、鹿嶋市役所近くにある石臼挽き手打ち蕎麦が食べられるお店でおひるごはん。Yちゃんの検索力のおかげで辿り着く。
辛味大根そばは、大根おろしが驚くほど辛かった!蕎麦は大盛でも、ちょうどいいくらい。美味しいお蕎麦に、大満足!!
鹿島神宮から少し離れているけれど、よかったら訪れてみて下さい。
11.ご縁がありますように
今回、日本三大楼門と言われる楼門は、
工事中で見る事ができなかった(2024年8月現在)。
楼門、奥宮、御神木。
東国三社(鹿島神宮、香取神宮、息栖神社)巡りも。
ご縁があれば、またこの地へ導かれるはずだ。
【東国三社「香取神宮」】
【東国三社「息栖神社」】
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【繭気属性ってなんだ?】
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おわり
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