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「悲しむことは生きること 原発事故とPTSD」を読みました
沖縄に移住する前から、蟻塚先生にこっそり憧れていた。沖縄に移住後、健康診断を受けた病院が、蟻塚先生が定期的に診察に来ている病院だと知った時は、ひとり興奮した。遅ればせながら、先生の著書を初めて読む。
1.心的外傷(トラウマ)とPTSD
心的外傷(トラウマ)とは、命を脅かされるような出来事を体験し、目撃し、聞くことによる強烈な記憶である。
心的外傷(トラウマ)は、以下のようなストレス反応を引き起こす。
(1)再体験
(2)回避
(3)過覚醒
(4)否定的な認知や気分
辛い記憶を思い出すフラッシュバックや悪夢(再体験)、トラウマにつながる刺激をさける(回避)、トラウマを思い起こすような風景、音、臭い、揺れ等の刺激に敏感になり、眠れなくなったり、些細な刺激で怒り出す等の感情の変化(過覚醒)、自分自身や他人・世界に対する過剰に否定的な観念、重要な活動への関心や参加が減る、孤立感、幸福感や満足、愛情を感じられない(否定的な認知や気分)などのストレス反応が起こる。他にもここに書ききれない症状もあるし、人によってさまざまだ。
これらのストレス反応の診断名を「心的外傷後ストレス障害(Post-traumatic Stress Disorder:PTSD」と言う。
うつ病のように感じたり、リストカットやアルコール依存症、身体の症状など、治療しても治りにくい症状の裏には、なんらかのトラウマが影響している事もある。
何十年も経った後に症状があらわれたり(晩発生PTSD)、毎年もしくは毎月、辛い体験をした日が近づくと不調が起こる(命日反応型うつ状態)などもある。未来の不安が心に侵入して不調が起こる(フラッシュフォワード)事もある。
今、見えている状態だけでは分からない事が、トラウマの視点を持つ事で、本人も気づいていなかった苦しみや悲しみ、辛さが見えてくる。トラウマに気づく事で、治療方針を見直し、回復していった事例の数々は、希望だ。
トラウマの知識は、専門家だけのものではない。みんなが知っていて良いものだと私は思う。身近な誰かが困っている時、トラウマの視点があれば、異変に気づいて声をかけてあげたり、さらに傷つけてしまう危険を回避できる。自分がトラウマを負った時も、自分の異変に気付きやすくなる。事実、私はそれで救われた。
交通事故後、フラッシュバックに驚いた時、これはストレス反応だと知っていた事で、必要以上に混乱せずに済んだ。交通事故当日の夜、トントントンと聞こえた音は幻聴だったと知ったのは、だいぶ後になってからだったけど。
仕事で、知らない場所まで運転しなければならない状況が来るたび、苛立ち、不快になった。それは、運転自体に恐怖と緊張を感じていたのもあるし、業務なのに断り、他のスタッフに謝って代わりに業務をしてもらう事に、罪悪感と無力感を感じるのも嫌だった。その自責感や否定的な認知や気分は、ストレス反応。分かっていても不快だったけど、その苛立ちに気づき、せめて落ち着こうと思えた。
得体のしれない謎の症状も、名前がつくと、安心する。
どう対処すればいいか見通しが持てると、ほっとする。
蟻塚先生が、ストレス反応だと知らずに苦しんでいる人に「それ、ストレス反応だよ」と、誰にでも起こるあたりまえの症状であると伝えるたびに、私も勝手に「そうだよね」と心強い気持ちになる。
みんな、自分だけの、変な症状だと思って、我慢していたりする。
そんなこと、ないよ。と言ってくれる人の存在は、救いだ。
話しても大丈夫な人と場は、救いだ。
それだけで、自分の内側から、力が湧いてくる。
トラウマについて、みんなが知ったら、きっと心強い。
話したくない事を、何度も聞かれなくても済むかもしれない。
話しても、信じてもらえず、逆に疑われる事もなくなるかも。
自分を責め続けている人が、自分のせいじゃないと思えるかも。
自分だけの秘密にしなくていい。
もっと、悲しみ、怒り、憎んでもいい。
秘密は、生々しい傷として残り続ける。
戦争体験も、被害体験も、原発避難も。
すべての人と分かり合えなくても、
せめて誰かと分かち合えたら、救いとなる。
2.心の被膜としての「ふるさと」
地域の風景や、祭り、音楽、方言などに、私達の心は守られている。その土地の歴史の蓄積は、今を生きる人たちの生を支える役割もある。
沖縄に住んでいた時、「ふるさと」について考えていた。私にとって故郷とは、生まれ育った茨城という土地であるけれど、もし、その土地に両親も友達もいなくなったとしたら、私はその土地に戻るのだろうかと。
その時、答えは出なかったけれど、人が故郷なのではないかと、とりあえずの仮説を立てた。今回、この本を読んで、人はもちろんだけれど、その土地の山や空、祭りなどの文化、方言にも故郷はあるのだと、当然の事なんだけど、新たな視点をもらった。
だからこそ、自分の故郷である風景が壊されていった沖縄戦は、日本兵よりも沖縄県民に大きな傷を遺したという視点は、納得できた。茨城や福島、日本各地にも戦争の傷はある。戦争は、故郷と人を壊すのだ。
沖縄戦の歴史だけでなく、日本の歴史も、知らなければならないと思った。東北差別と貧困、満蒙開拓団、二・二六事件、ブラジル移民、三池炭鉱事件、朝鮮人強制労働、済州島四・三事件など、それらの歴史は原発事故へと続き、確実に令和の今も、影響を及ぼしている。歴史は、どの立場で見るかで、見え方は変わるけれど、強者の歴史ではない視点で学びたい。
3.前向きな心
蟻塚先生が、ある先生に長生きの秘訣を聞いたところ、「長生きするには健康法でないよ。長生きしようという意思だ。」と言われたというエピソードがあった。
生きようという前向きの意志は、交感神経を戦闘モードにし、免疫力を上げてくれる。PTSDに即して言うと、現在を肯定すれば過去トラウマは入ってこない。後ろを振り向かないで、ともかく今を肯定して生きることだ。生きる意欲を高くし、前向きに行動することだ。生きるって、そういうことだと思った。
「回復とは病気になる前に戻ることではない。うまく切り抜ける技術や能力を訓練して一回り成熟した生き方に自分を変えることだ。」と蟻塚先生。
精神科における薬の効果は、うつ病治療などでも薬が効くのはせいぜい30%から50%だろうと言われています。残りの50%あるいは70%の部分を治さないとなかなか回復しない。残りの70%は何かと言うと、被災者本人がどれくらい前向きに生きれるかのパワーだと思います。
中村天風を思い出す。積極的な心、前向きな心、大切だ。
あと、妄想は「もう、そうなる。」って、いいな。
4.悲しむにはどうすればいいのだろう
「がんばろう福島」から、「怒ろう、憎もう、悲しもう福島」になるには、まだ余裕と安心が足りていないのかもしれない。まだ終わっていないから。現在進行形で、みんな、頑張っているから。相馬野馬追を観に、南相馬に行った時の事を思い出す。
みんな、踏ん張っている。戻った人も、避難している人も、原発で作業している人も。故郷を、家族を、人生を守る為に。
東日本大震災の後、原発事故が起こり、不安は続いている。人それぞれ、反応は異なる。私自身、意見の異なる人と対立した事もある。悲しかったし、悔しかった。それだけ、私自身の余裕もなかったのだろう。私の意見だけが正しい訳ではない。相手の意見も正しい。立場が変われば、意見も変わる。それでも、その話題をタブー視して、話せなくなる事が一番怖いと私は思った。いろんな意見を話せる関係を作りたかったけど、難しかった。話せる人とだけ、話す。それは、原発事故の事も、沖縄戦の事も、どちらも同じだ。
どうすれば、悲しめるんだろう。
悲しむ為に、できることはなんだろう。
時間が解決する事もある。私は約17年間、車を運転する事を避け続けた。でも、いま、運転できるようになっている。もちろん、まだ怖いけど。
私が救われたのは、家族が理解してくれたから。友達が助けてくれたから。トラウマに詳しくなくてもいい。ただ、寝て食べて話す。日常生活の安全が守られていた事が、私の回復を助けた。
あたりまえの生活が、守られていないと、悲しめない。
あたりまえの生活を守る為に、できる事はなんだろう。
悲しむ為にできる事を考えると、生きることにつながる。
あ、「悲しむことは生きること」だった。
悲しい時は、泣いて、悲しめるように。
もっと、素直に、生きられる「ふるさと」を広げよう。
「そもそも生きることはつらいことだ。」
私も、あなたも、生きているだけで、偉い!
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おわり
【心的外傷と回復】
【悲しむということ】
【沖縄「慰霊の日」に感じたこと】
【中村天風とエイブラハムの共通点】
【相馬野馬追】
【私の交通事故のトラウマ】