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旅するマガジン

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ウランバートルの交差点で

ウランバートルの交差点で

ウランバートルの交差点で若者たちを眺めています。数年前に訪れた時、彼等は、少し足早に、長いストライドで、目的のある歩き方をしていました。

今見る彼等の歩き方は、トーキョーの若者たちのそれに似ている気がします。Eさんは、「歩き方なんて、そんな急には変わらないですよ」と笑います。

でも、歩き方は、生活を反映します。都市化の波は、人人の生活様式を大きく変え、若者たちの歩き方さえ変えてしまった気がしま

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デールを身に付けた彼等

デールを身に付けた彼等

デールを身に付けた彼等の姿は、遊牧民そのものでした。観光客を馬に乗せ、ゲルに招き入れて馬乳酒を振る舞い、遊牧民の生活を「体験」させてくれます。

でも、Eさんによれば、遊牧民だった彼等は、今はこのキャンプ場のスタッフとして観光業に従事しています。別にそのことにがっかりする必要もありません。

ガイドとして同じく観光業に従事する34歳のEさんも、遊牧民として育ちました。でも彼の子どもは、夏休みのキャ

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土地とは(2)

土地とは(2)

土地とは、遊牧民にとっては、誰のものでもなく、いわば共有の資源でした。でも、国からの土地の分配制度によって、誰かのものになりつつあります。

Eさんに尋ねます。「死んだら、国に戻しますか?」「いえ、子どもがもらいます」。そうして分配され、相続された土地が彼等の定住の基礎となっています。

定住は彼等のニーズでもある、とEさんは、いいました。でも、わずかな土地と引き換えに、豊かな暮らしが都市化の波に

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土地とは(1)

土地とは(1)

土地とは誰のものか、と考えながら、車に揺られています。幹線道路を逸れた途端、道は、凸凹道に変わり、その凸凹坂を登った先にゲル地区がありました。

「18歳になると、国から700平方メートルの土地がもらえます」とEさんが教えてくれました。それは、社会主義から資本主義への移行策のようです。

そしてそれは、遊牧民の定住策のようにも見えます。けれど都市の中心部には住めず、このような郊外のゲル地区にゲルや

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数年前

数年前

数年前、ザイサンの丘は、広大な草原の向こうにウランバートルの町を遠望する場所だった気がします。でも今は、足下にまでマンションが迫ります。

「前に来た時と、変わりましたか」。ガイドのEさんに聞かれました。「町が大きくなりましたね」と答えます。「まだまだ大きくなります」と彼がいいます。

遊牧民たちが草原からこの盆地に集まり定住し、国民に占める遊牧民の割合は、今や1割といいます。「国は、遊牧を保護し

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町ぐるみで工事中

町ぐるみで工事中

町ぐるみで工事中のようだった数年前、私は、少しビクビクしながらこの町の夜の裏道を歩いていました。

けれど、数年振りのウランバートルは、あか抜けました。ビルが折り重なり、道には車が溢れ、人人はスマートフォンを片手に忙しく歩き回っています。

それを眺める旅人は、おいっ子・めいっ子に再会した親戚の気分です。「すっかり大きくなって」と目を細めつつ、一抹の寂しさを感じたりもしています。

身勝手な感傷で

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日曜日にもかかわらず

日曜日にもかかわらず

日曜日にもかかわらず、祖谷の集落では仕事に精を出している人を多く見掛けました。里道(赤筋道)の草刈りや石垣の補修に協力して当たっていました。

おじさんたちの「お盆になるからね」という解説を、私たちは、「帰省やら何やらで、人通りが増える準備をしているんだろう」と勝手に理解しました。

「盆路つくり」という言葉は、その旅の後で知りました。古く、人人は、郷の近くの山や墓地から霊たちが家家に帰ってくる、

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祖谷

祖谷

祖谷は、日本三大秘境といわれます。その中にあっても落合は、高低差390メートルの山肌に集落が形成され、伝統的建造物群保存地区になっています。

家家や耕作地が山肌にへばりつき、それらをつなぐ舗装道路は、斜面があまりに急なために直登できず、集落を左に右に大きく蛇行して登ってゆきます。

てっぺんからは、90軒程の集落が垂直に見下ろせます。その1つ1つに人がいる。その気配や息遣いは、平面的な集落より生

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吉良川(2)

吉良川(2)

吉良川の遍路宿の朝は早く、Iさんは、次の札所へと旅立ちました。それを見送った私たちは、安芸へ向かうバスに乗り込みました。

私は、昨晩のIさんの言葉をかみ砕いていました。ふーん、と昨晩の私は、思っていました。それが弘法大師の教義の真髄なのか、ピンときていませんでした。

けれど、才能ウンヌンの問題でつまずき、「何をやってもダメなんじゃないか」という疑念をやり過ごしたくてここにたどり着いた私には、何

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吉良川(1)

吉良川(1)

吉良川の遍路宿でIさんと出会いました。2度目のお遍路の途中といいます。夕飯の席、酒も手伝って少し多弁になったIさんは、私にもお遍路を勧めました。

「お遍路を1回終えた時、何かを悟れたものですか」と尋ねた私に、しばらく考え、「私が思ったことはねぇ…頑張らなきゃいけないってこと」と答えました。

そんなことなら、わざわざお遍路をしなくても分かる。Iさんが続けます。「あのね、才能のある人って、いるんで

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吉良川は風の町

吉良川は風の町

吉良川は風の町だ、と遍路宿の主人が教えてくれました。海と陸の温度差によって、昼は海から陸へ、夜は陸から海へと風が吹き抜ける、と。

遍路宿の朝は早く、従って夜も早い。夕食を終えた客たちは、部屋に戻って明かりを豆球だけに落とし、釣ってもらった青い蚊帳の中へ潜り込みます。

「水に入るごとくに蚊帳をくぐりけり」。麻布1枚で雑多な外界から遮断されている、あるいは守られている安心感は、まことに水の中の感覚

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帯広の市街から

帯広の市街から

帯広の市街から空港へ向かうバスの窓の外を眺めていました。進行方向右手に、襟裳岬を目指して一直線に進む日高山脈が、どこまでも続いています。

その手前には、だだっ広い畑がこれまたどこまでも広がっています。何十分と変わらない風景の中をひた走るバスが、ひどく滑稽に思えてきました。

「何も市街地からこんなに遠ざけなくても、どこかここいらに飛行場を置いても、問題ないんじゃないのか」。

思えば、今回の旅は

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土地とは誰のものか

土地とは誰のものか

土地とは誰のものか、をまだ考えながら、北海道を歩いています。ここニセコ町における有島武郎は、作家としてより以上に農場開放の人として有名です。

クロポトキンの相互扶助思想に親しんだ彼は、その理想と不在地主としての現実の狭間に苦しんだ末、伝来の農地を無償で小作人に与えてしまいます。

「空気や水、土地のようなものは人類全体で共有して個人の利益のために私有されるべきでない。小作人が土地を共有して」営農

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札幌の町並み

札幌の町並み

札幌の町並みは、碁盤の目のように明快で、その真っすぐ過ぎる道を歩けば、この土地が人の手によって開かれた、という事実を実感します。

札幌に限らずどんな土地でもそれはそうなのだけれど、第1回屯田兵の入植が1875年と聞けば、その歴史の生生しさが胸に迫ります。

碁盤の目を歩きながら、所有という概念について考えます。かつて誰の所有物でもなかった荒野が開拓によって土地として区画され、誰かの所有に属しまし

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