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会社を早期退職して、田舎でコメと野菜を無肥料・無農薬で育てる自給的農をやりながらローカル新聞社に週3日勤めています。note にはワタシが新聞に連載しているコラムをアップしています。YouTube にはワタシの日々の野良仕事の様子をアップしています。

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会社を早期退職して、田舎でコメと野菜を無肥料・無農薬で育てる自給的農をやりながらローカル新聞社に週3日勤めています。note にはワタシが新聞に連載しているコラムをアップしています。YouTube にはワタシの日々の野良仕事の様子をアップしています。

最近の記事

【大地の上と下】大地の上のものだけで暮らすなら平和、大地の下のものに手を出せば災いが訪れる

 京都大学の谷口正次特任教授は、著書「自然資本経営のすすめ」の中で、古代ローマの政治家、大プリニウス(AD23~79年)の予言を引用している。  「大地がわたしたちに薬や穀物をもたらすのはその地表においてである。なぜなら大地は、わたしたちの役に立つすべてにおいて寛大で好意的であるからだ。しかし、わたしたちの喪失の原因、わたしたちを地獄に導くのは、大地の奥底にねむり一昼夜では形成されることのない様々な物質である。(中略)地表にあるものだけを、つまりわたしたちの周囲にあるものだ

    • 【贅沢】自然の中でにぎりめしを食べることは贅沢だろうか?

       野良仕事の合間に木陰で心地よい風に吹かれながら、自分の育てたコメで作った大きなにぎりめしを頬張る。自家製の梅干しや佃煮がおかずだ。弁当の包みは山で採ってきた竹の皮。周りに広がるのは山や川、草原。そんな風景を都会の人が見たら「いいなあ、最高の贅沢だ」と漏らしそうだ。  贅沢という言葉を辞書で調べると「必要な程度をこえて、物事に金銭や物などを使うこと。金銭や物などを惜しまないこと」とある。これをさらに強めて「贅の限りを尽くす」と言い換えれば、豪華絢爛たる邸宅や調度品、食事、衣

      • 【食料危機は来るのか】小農の時代がやってくる

         約10年後に日本の食料事情はどうなっているのだろう。それを予測するためには、既に相当危険なレベルになっている国内自給の状況を知ることが必要だ。現在、野菜は国内産が約80%を占めるが、タネの自給率はたったの10%に過ぎない。つまり国産とされる野菜の90%は、海外から輸入したタネで育てたものだ。鶏卵にしても、ヒナがほぼ100%海外依存のため、自給率はゼロに近いという。見かけ上、国産とされる農作物も、タネや飼料、農薬などの海外依存度が著しく高いため、実態としては国内自給率は驚くほ

        • 【常識こそ疑うべし】石鹸も歯磨き粉も洗剤も要らない。

           映画「ゼロ・ウェイストPLUS」の監督、白鳥哲氏は映画上演後の講演で「流し台や洗面台の排水口を自分の口だと思ってください」と語った。そうすれば排水口に流しても良いものか、良くないものかを真剣に考えるようになるというわけだ。白鳥監督の話は、私が普段から考えていることと見事に合致していたので、即座に得心が行った。  私は、食器やフライパン、まな板、包丁などを洗うとき洗剤を使わない。スポンジもほとんど使わず、もう何年も水と手だけで洗っているがそれで十分だ。しつこい油汚れも熱湯を

        • 【大地の上と下】大地の上のものだけで暮らすなら平和、大地の下のものに手を出せば災いが訪れる

        • 【贅沢】自然の中でにぎりめしを食べることは贅沢だろうか?

        • 【食料危機は来るのか】小農の時代がやってくる

        • 【常識こそ疑うべし】石鹸も歯磨き粉も洗剤も要らない。

          【プロセス】プロセスこそが楽しく価値がある。お金で人任せにするのはプロセス放棄でしかない。

           もしもある日、目が覚めるとオリンピックの金メダルを獲っていたとしたら、あなたはうれしいだろうか。私なら全然うれしくない。来る日も来る日も積み重ねてきた辛い練習と、少しずつ感じてきた成長を知っていればこそ、その金メダルは何ごとにも代えがたい価値を持つのであって、その過程(プロセス)を経験していない者には意味がない。何をするにしても、結果に至るプロセスこそが一番価値がある部分だ。結果を心から喜んだり、ありがたいと思えるのは自力でプロセスを経てきた人だけなのだから。  大部分の

          【プロセス】プロセスこそが楽しく価値がある。お金で人任せにするのはプロセス放棄でしかない。

          【道具今昔】現代では長く使い込む道具は消えゆくばかり。道具は買った瞬間から消耗品。

           ずっと使い続けてきた道具には深い魅力がある。道具であるからには当然、使い続けるうちに劣化したり壊れたりするのだが、部品を替えたり、研いだり、磨いたり、油を差したりすれば道具は長く使える。何十年経っても、古い道具の果たす機能は増えも減りもしない。包丁は切る、かんなは削る、万年筆は書くという単機能を愚直に果たすのみである。しかし使い込むほどに手になじみ、使い心地が良くなっていく。何十年も自分のやり方で手入れしてきた道具なのだから当然だ。つまり使い手にとっての価値が時間とともに増

          【道具今昔】現代では長く使い込む道具は消えゆくばかり。道具は買った瞬間から消耗品。

          【一人前の生き方】自分で食べ物を作れない現代人は果たして一人前なのか?

           私は生まれてから50年以上、暮らしに必要な食べ物や道具などを「自力で生み出す」という経験をしたことがなかった。ところが社会人になってお金を稼ぐことだけはできるようになると、それで一人前の大人になったと錯覚していた。しかし自分を生物として見れば、これは極めて異常なことではないかと、40代の半ばになったときに初めて気づいたのである。野生動物は自力で餌をとれなければ死あるのみ。ところが私は人生の半分以上の歳月を生きてきて、自分の手で食べ物を育てたり獲ったりしたことが一度もなかった

          【一人前の生き方】自分で食べ物を作れない現代人は果たして一人前なのか?

          【物質依存からの脱却】カネやモノを追い求めれば幸せが遠のく。

           ここ数世紀あまり、カネやモノをたくさん持つ者が幸せであり、人生の勝者であるという価値観に支配された時代が続いている。腐ることのないカネは際限なく貯めることができ、欲望はどこまでも肥大していく。今世紀に入り、持つ者と持たざる者の格差がかつてないほどに大きくなってきた。フランスの研究グループの報告によると、今や世界の上位1%の富裕層が世界全体の4割近くの富を保有しているという。一方、世界人口の半分の人たちが、わずか2%の資産を分け合っているというのだ。世界には貧困が蔓延しており

          【物質依存からの脱却】カネやモノを追い求めれば幸せが遠のく。

          【もっともっと】もっと便利に、もっと効率的に―とどまるところを知らない現代人のもっともっと

           仕事がきついと感じたら、次回は工夫して少しでも楽な方法を採り入れるのが人間。楽になったら、今度はスピードを上げようと考え、更に生産を増やそうとする。そのために道具を作り、化石燃料を使って機械化、自動化する。  人間は、よりたくさんの食料を生み出すために森林を伐採して農地を広げ、化学肥料や農薬を使って収穫量を増やした。大型機械を使って効率を上げ、ハウスを作って季節を問わず野菜を収穫できるようにした。遺伝子組み換えによって強力な除草剤に耐える作物を生み出し、効率よく大量生産で

          【もっともっと】もっと便利に、もっと効率的に―とどまるところを知らない現代人のもっともっと

          【ゼロ・ウェイスト】使い捨ては恥ずべき文化。

           調味料や酒などを量り売りしてくれる店、持参した鍋に豆腐を入れてくれる店、野菜や果物、肉、魚などをその場で新聞紙に包んでくれる店。そんな店があったら、私はそこで買いたい。  ところが現実を見れば、野菜、肉、魚、卵、豆腐、調味料、菓子、水、洗剤など、ありとあらゆるものがプラスチック容器に個別包装されて店頭に並ぶ。そして家に帰って商品を取り出した途端にそれらの容器はゴミとなる。商品を店頭に陳列し、客が家に持ち帰るためだけの膨大な浪費(ウェイスト)である。ファストフード店では食器

          【ゼロ・ウェイスト】使い捨ては恥ずべき文化。

          【明け六つと暮れ六つ】明るい日中を活動の時間とする合理的な時間の考え方

           冬至が近づき、日が短くなった。日が西に傾いたかと思うとあっという間に暗くなる。午後5時半にはもう真っ暗。ついこの間までは明るかった時間帯である。  そこで思い出したのが江戸時代の時の刻み方だ。現代は「定時法」といって、1日を24等分し、それを1時間としているが、江戸時代は日の出の少し前を「明け六つ」、日没の少しあとを「暮れ六つ」として、その間を6等分して一刻(いっとき)とした。季節によって明け六つと暮れ六つの時刻が変わるので、当然一刻の長さも変わる。これを「不定時法」とい

          【明け六つと暮れ六つ】明るい日中を活動の時間とする合理的な時間の考え方

          【プロシューマ―】生産消費者になろう。自分で作ることが大切な時代。

           以前、放映されたNHKの朝の連続ドラマ「ひよっこ」を楽しみに見ていた。時代は昭和30~40年代。茨城県の奥茨木村の農村に暮らす主人公の祖父(じいちゃん)は、四六時中、何かを作ったり育てたりしている。田畑を耕し、縄をない、筵を編み、薪を割り、芋を保存し、梅干しや味噌、納豆などを作る。じっとしている場面がほとんどない。昔の農村はそういう暮らしだったのかと興味深く見た。  当時の都会では急速にモノが溢れるようになり、人々は消費者になりきっていった。生活に必要なモノやサービスはす

          【プロシューマ―】生産消費者になろう。自分で作ることが大切な時代。

          【存在する理由】自分はなぜ存在するのかは「不可思議」=考えても仕方がないこと

           もしも私たちの体の細胞の一つひとつが考える力を持ち、言葉を持っていたら「私たちはどこから来て、何のために生きているのだろう」と言うかもしれない。心臓なら「私はなぜひと時も休まずに働き続けなければならないのだろう」と考えるかもしれない。でも細胞も心臓もきちんと調和を保って元気でいてくれないと、私たちは生きていけない。  同様に、人間誰しも「私たちはどうせいつかは死んでしまうのに、何のために生まれてきてどこへ行くのだろう」と考えることがあると思う。その理由はこの大地や海や空や

          【存在する理由】自分はなぜ存在するのかは「不可思議」=考えても仕方がないこと

          【日本の家】内と外を区切らない自然素材の日本家屋の優秀さ

           我が家はいわゆる古民家である。縁側の網戸が老朽化してすき間だらけだったので、思い切ってアルミサッシごと入れ替えた。網戸が密閉できれば、虫などを気にすることなく窓を全開にできる。家の中を風が吹き抜けるのは爽快の一言。古い日本家屋は、部屋を仕切るものは襖だけなので、襖をすべて開け放つと家全体がひとつの部屋のようになる。だから風通しの良さは申し分ない。日本家屋は、外と内を隔てないというのが基本的な考え方のようだ。日本人の感覚では、外だ内だという線引きはあまりなじまないのかもしれな

          【日本の家】内と外を区切らない自然素材の日本家屋の優秀さ

          【八百万の神】実は日本人は類まれな信仰心を持っている。

           日本人は大切な客を見送るとき、姿が見えなくなるまで立ち去らず、客の背中に向かって頭を下げることも珍しくない。それは外国人から見たら意味の分からない行動かもしれない。でも日本人ならその行動や心情を察するだろう。  なぜ日本人はそういうことを当然と考えるのだろうか。それが礼儀だと教えられたから、という理由ももちろんある。でももっとも大きな理由は「八百万の神」の存在だと思う。あらゆるものに神が宿るという日本古来の考え方。一粒のコメに7人の神様が宿っているのだから、ごはんは一粒も

          【八百万の神】実は日本人は類まれな信仰心を持っている。

          【「こだわる」にこだわる】否定的なニュアンスを感じさせる「こだわる」という言葉。

           「こだわりの品質」だとか「食材にはとことんこだわる」といった表現は完全に市民権を得ている。こだわるという言葉を「手を抜かずに徹底的に吟味する」という意味で使っているわけだ。しかし私はこの使い方に少なからず抵抗がある。なぜなら、本来こだわるというのはあまり良い意味で使われる言葉ではなかったからだ。  こだわるという言葉を言い換えると「執着する」とか「拘泥する」「固執する」「くよくよする」といった言葉になり、どれもどちらかというと良い意味ではない。英語だと「アタッチメント」と

          【「こだわる」にこだわる】否定的なニュアンスを感じさせる「こだわる」という言葉。