【八百万の神】実は日本人は類まれな信仰心を持っている。
日本人は大切な客を見送るとき、姿が見えなくなるまで立ち去らず、客の背中に向かって頭を下げることも珍しくない。それは外国人から見たら意味の分からない行動かもしれない。でも日本人ならその行動や心情を察するだろう。
なぜ日本人はそういうことを当然と考えるのだろうか。それが礼儀だと教えられたから、という理由ももちろんある。でももっとも大きな理由は「八百万の神」の存在だと思う。あらゆるものに神が宿るという日本古来の考え方。一粒のコメに7人の神様が宿っているのだから、ごはんは一粒も残さず食べないと罰が当たると教えられる。「お天道様に顔向けができない」という表現も日本人にはなじみが深い。つまり身の回りのいたるところに神様がいて見ていらっしゃるから、常に襟を正し、悪いことを慎むという考え方が日本人の血には当たり前のように流れているのである。神道における神は、人間を護り、恩恵を与えてもくれるが、怒りを買うと祟られる存在でもある。だから悪いできごとが続いたり、天変地異に見舞われたりすると「祟りだ」「神様がお怒りだ」と考えるのだ。
外国人から見れば、日本人に「あなたの宗教は?」と聞いてもモゴモゴとはっきりせず、答えが要領を得ないことが理解できず、日本人には信仰心がないと感じるかもしれない。しかしそれはまったく逆で、日々の暮らしのすみずみにまで神の視線を感じている日本人にとっては、信仰心は生活と完全に一体となっているからではないか。
地震や豪雨などの大災害の被害に遭った日本人が、秩序を失うことなく食料配給に整然と列を作り、弱者を優先する姿は外国の人々から驚嘆の目で見られた。お天道様に対して胸が張れるような生き方をすることが、日本人の類まれな厚い信仰心なのではないだろうか。
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