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【存在する理由】自分はなぜ存在するのかは「不可思議」=考えても仕方がないこと

 もしも私たちの体の細胞の一つひとつが考える力を持ち、言葉を持っていたら「私たちはどこから来て、何のために生きているのだろう」と言うかもしれない。心臓なら「私はなぜひと時も休まずに働き続けなければならないのだろう」と考えるかもしれない。でも細胞も心臓もきちんと調和を保って元気でいてくれないと、私たちは生きていけない。

 同様に、人間誰しも「私たちはどうせいつかは死んでしまうのに、何のために生まれてきてどこへ行くのだろう」と考えることがあると思う。その理由はこの大地や海や空やあらゆるものを成り立たせるためだと言うほかはない。考えてもどうしようもないことを「不可思議」と言うが、まさにこれこそが不可思議というべきことだ。細胞の一つひとつが人間という存在を知覚できないのと同じで、私たち一人ひとりも大いなる世界を知覚できない。大いなる世界とは何かと考えてもわからないのである。

 私はこのコラムでときどき「大いなる意志」とか「宇宙の意志」といった言葉を使うが、それが何かはわからない。しかし何かがあるから私たちは必要とされる。みんなに役割がある。冒頭に述べたように、みんなが調和を保って元気でいてくれないと困る「何か」があるのだ。細胞の一つひとつが仲良く元気でいなければ「大いなる何か」は風邪を引いたり、がんにかかったりするかもしれない。だからお互いに尊重し合い、愛し合って生きていくことが大切だ。

 この世界は、たとえ戦争をしても、大災害に見舞われても、疫病が蔓延しても、いつかは回復して調和を取り戻すようにできている。愚かにも戦争を起こし、化石燃料を使い尽くし、自然を破壊し、動植物を絶滅させる人間は、いつかがん細胞のように大いなる免疫力に淘汰されてしまうのかもしれない。

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