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【「こだわる」にこだわる】否定的なニュアンスを感じさせる「こだわる」という言葉。
「こだわりの品質」だとか「食材にはとことんこだわる」といった表現は完全に市民権を得ている。こだわるという言葉を「手を抜かずに徹底的に吟味する」という意味で使っているわけだ。しかし私はこの使い方に少なからず抵抗がある。なぜなら、本来こだわるというのはあまり良い意味で使われる言葉ではなかったからだ。
こだわるという言葉を言い換えると「執着する」とか「拘泥する」「固執する」「くよくよする」といった言葉になり、どれもどちらかというと良い意味ではない。英語だと「アタッチメント」となり、これは付属物という意味を持つ。つまり人間に常について回る煩悩のようなものだということである。
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ところが、いつのころからか転じて冒頭のような肯定的、好意的な意味で使わるようになった。個性が重んじられる時代になり、興味の対象を深く追求する姿勢こそがカッコイイという評価に変わってきたという背景によるものだろう。ものの名人、匠といった人たちの生きざまをそこに重ね合わせて、「一切の手抜きをしない」「全身全霊をかたむける」といったニュアンスを帯びるようになったのだと思う。右へならえ的な平々凡々とした生き方ではなく、自分の目に自信を持ってモノの価値を見定めることを「こだわり」というようになったのである。
「こだわる」という言葉の本来の意味に〝こだわる〟のは50代以上の人が多いのだそうだ。どうしても否定的なニュアンスを感じて、良い意味で使うのを躊躇してしまう。しかし言葉は生き物。時代的、文化的背景によって使われ方や意味合いが変化していくのは仕方がないことである。言葉の変化を野放図にしておくのは考えものだが、ある程度許容していく柔軟性も必要なのではないかとも思う。