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要介護5の母と家族(急性期病院編)

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脳出血で要介護5となった母が救急搬送されてから急性期の病院にいる間までの家族の物語です✨悩んだり落ち込んだりする日々も、前を向いて家族で乗り越えていこうとする姿も赤裸々に書いてい…
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#母と娘

意識を取り戻した母

意識を取り戻した母

2021年6月27日に脳出血で母が入院して
もうすぐ2ヶ月が経とうとしていた。

急性期の病院には、
入院できる期間が国で決められていたため、
8月末には退院し別の病院へと
移動しなければならなかった。

自立呼吸が回復し、一般病棟に移ったものの、
2ヶ月意識は戻らなかった。

母は意識が戻っても
後遺症が残り歩けないかもしれない。
これまでと同じように
生活することもできないかもしれない。

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母と話したい

母と話したい

母が入院して2週間経った時、
主治医の先生よりこのまま自立呼吸が回復しなければ、肺炎の危険性も感染症の可能性も高まるため、気管支を切開する手術を行わなければいけない、と言われた。

そして、手術するどうかの決断を迫られた術後3週間経った頃に、母は自立呼吸が出来るようになった。
病院から知らせを聞いた父からLINEで家族に連絡があったとき、出かけていた私と妹は声を上げて喜んだ。

母はそもそも、脳出

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母が倒れた後の仕事復帰

母が倒れた後の仕事復帰

母が脳出血で入院して半月が経った。
脳出血の血を取る手術をしたが、少しずつ血が広がってきていて、頭の中の水の通り道が塞がっていて、意識が戻らず人工呼吸器もつけたままだった。

寝たきりの状態が続いているため、エコノミークラス症候群、肺炎、脳梗塞の再発、いつ何が起きてもおかしくはなかった。

母が入院している際には、週1回の面会以外は会うこともできなかったため、リモートワークではあったが、私は仕事を

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世界で1番尊敬している母

世界で1番尊敬している母

母が脳出血で倒れ、意識がない状態が続いている中
私たち家族は、いつどうなるかわからないことに
日々不安を抱えていた。

そんある日の夜、父が突然パソコンに入れられていた昔の写真を探し出してくれた。

そこには、優しい母の笑顔がたくさん詰まっていた

母が倒れたことによって
失ってしまったことや未来への不安を抱えていたが
母とのこれまでの思い出や、母からもらった沢山の愛情を思い出すきっかけにもなった

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集中治療室での面会

集中治療室での面会

救急で搬送された数日後
初めて母と面会できることとなった。

数日経った後も、母の意識は戻っていないこと
いつ何が起きてもおかしくないと
主治医の先生から言われていた。

コロナの影響もあり、集中治療室に入れるのは
一回につき2.3人ずつ面会することとなった。
父、弟、妹、祖母、叔父、叔母、私の7人で病院にいたため、3回に分けて母と会うことになった。

まず最初に妹と弟が集中治療室に入ることとなっ

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3度の脳梗塞と戦った母

3度の脳梗塞と戦った母

脳出血で意識の戻らない母。
救急で運ばれた後1週間が経っても目を覚さなかった

母に明日はくるのか。
これからどうなるのか。
何も分からず不安で押しつぶされそうなとき、
何か母につながるものに触れていたくて、
母が大切にしていたノートやら手帳やらを取り出し
母の言葉を読み返していた。

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2021年58歳で母が脳出血で倒れる前に
2016年の秋に脳梗塞と診断され緊急入院していた。

そし

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母に明日はくるのか

母に明日はくるのか

母が救急で運ばれた2日後、
母のその後の経過を聞くべく、病院に行くこととなった。

父、私、弟、妹、そして母の兄である叔父や叔母、私の祖母も朝の10:00に病院に集まった。

手術を担当してくれた先生より、
術後の経過を聞いた。

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脳の中の出血が引かずにいて、
まだ命の危険があり、集中治療室にいること

手術の際の麻酔は切れているが、
まだ意識が戻らず、人工呼吸器をつけていること

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落ち込んでばかりはいられない

落ち込んでばかりはいられない

脳出血による母の手術・入院をきっかけに
色々な手続きが必要になった。

仕事で忙しい父に代わり、
私たち兄弟で書類の申請やらをすることになった。

保険の手術費・入院費の手続きや
高額療養費の限度額適用認定証の申請をすることとなった。

とにかく聞きなれない言葉が多く、
制度についての理解をすることがすごく難しかった。保険や書類の手続きなどはこれま母が行ってきたことが多く、子供の私たちは知らないこ

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命を繋ぐ手術②

命を繋ぐ手術②

手術は緊急で運ばれた当日の夜中の12時から3時半まで行われることとなった。休日の救急の担当を脳外科の先生が担当していたことで手術ができるとのことだった。

緊急の電話がかかってくる可能性があったため、
父・弟・私の3人は自宅で待機し、
誰かしらが起きている状態で連絡を待った。

父はこんな状況でも仕事を休めなかったため、
手術開始後1時間ほどして、次の日のために休んでもらった。

夜通し私は起きて

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病院に運ばれるまで。

病院に運ばれるまで。

救急で運ばれた後、実家へと帰ってきた。

そこで弟から、救急車で運ばれるまでの母の様子を教えてもらった。

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夕方ごろ自宅の三階にいた母が一階にあるリビングに降りてきた。

突然の頭痛・めまいに襲われ、椅子に座ったまま頭を押さえていた。異変に気づいた弟は、リビングの横にあるソファに母を寝かせた。

その後強い吐き気があり母は急に吐いてしまった。

また、トイレに行きたいと言い出したが

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母が倒れた。

母が倒れた。

2021年6月27日。

仕事の残業中に、弟からの着信があった。

「ママが救急で運ばれた」

突然の出来事に驚き、急いで荷物をまとめて職場を出た。5年ほど前、脳梗塞で倒れたことのあった母だったため、手の痺れや呂律が回らないなど、軽度の症状で済むだろうと思っていた。この時までは。

最寄りの駅からタクシーに乗り、病院へ向かった。病院に到着すると、処置室の前の椅子に父と弟が座っていた。私が到着する前

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