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【イベントレポ】「親の年金をつかってキャバクラ SWING EXPO」東京展①

展示タイトルのインパクトが最大値でサブタイを付けるのをサボれる素晴らしさ。最高です。

このタイトルを見たときどう思いましたでしょうか。

「なにそれ」
「最低やん」
「とんでもない」

みたいな反応から、

「え?は?」
「そんなことしていいの?」
「なになにどういうこと?」

みたいな反応まで。

「いやむしろそれ俺してる……」

みたいな人も、少ないけれどいたかも。

ちなみにわたしは「親の年金をつかってキャバクラに行く企画」かと一瞬想像しました。笑
「そんなことしてええの!?」という言葉とともに、不安と興味と興奮を覚えました。

実際は全く違いましたが。笑

親の年金をつかってキャバクラ SWING EXPO2018

スウィングとは、私なんかが言葉で説明すると陳腐な言葉になるんですけど、一般社会では軽度の知的障がいと呼ばれる人たちを受け入れて、活動する京都のNPO法人です(違っていたらごめんね)

そしてこの展示は、その活動内容の成果物や過程、写真や作品そのもの、映像、文章などを展示したものです。

無知な私が抱いていた福祉のイメージとは全く異なり、そこには健常や障がいといった壁を超えた自由、弱さを認め、それを笑いに変える、なんでもありなあたたかさ、面白さがありました。

タイトルは、このスウィングのメンバー、増田政男さんが書いた言葉。

詳しくは上記のブログを読んでほしいんですが、写真の明るい笑顔や言葉のイメージからは我々には想像もできない彼の中での苦しみや解放のプロセスがあったことは確かだと思います。

また性懲りもなく、感じたままの長い感想を書いたので、お暇な方はお読みいただければ幸いです。

イベントを知った経緯と当日の心境

まず、このイベントについてはHSP・障がいのある方に楽しくなる情報を届けてくれるゼロクロさんという方のつぶやきで知りました。

しかし、そもそも、このNPO法人スウィングという団体に対しての知識が皆無の状態なので、前提ゼロでイベント概要を読んでもふわっとしか理解ができませんでした。

でもなんか「親の年金をつかってキャバクラ」という言葉を黒板に貼ってニコニコしてるこのおっちゃんの過去の苦しみとか、そしてここまで来て、これをして笑える場所って、生き方って、なんなんやろ……?

生きづらかった人生から少しずつ解放されるため、暗中模索しているわたしにとってはタイムリーで、何かヒントをもらえれば……行きたいな……と思いました。

結論から言って、心の底から「行ってよかった」です。

実はここ一週間ほど、体調不良で外出が難しい調子でした。しかし、外出を企てた14日は見事に快晴。まるで見えない何かから「行ってこい」と言われているような気がして、寝不足の身体を引きずって、黄色い電車に飛び乗りました。

そんな天啓に導かれるようにたどり着いた展示会場は、平日なせいもあってか誰もおらず、まず顔見知りもいるはずがないので完全アウェー。おどおどしながら会場に入り、ふらふらとさまよい、手探りで展示の世界に入って行きました。

※掲載は見た順です。実際の展示の順序と微妙に異なります。

写真OKのマークがあったので、備忘とnote用に撮らせていただきました。このオール撮影OKなのも、なんか、「ならでは」だなって感じました。

展示の全景とか撮ればよかったね。なんも考えずパシャパシャとしてたので、写真がド下手くそで見せられるものが少ないけど貼って行きます。

こんな感じで、ハイセンスな写真とハイセンスな文章+ゆるい感じの展示内容が展開されていきます。この文、刺さる人には絶対刺さるからまじで読んで。

最初のセクションは絵。アート。

暑くてしんどいアヒル

個人的にめっちゃ好きだった絵。どうやら大人気だそう。まず足が四本あるし頭の角度もやばいし、くちばしも丸いし……相当暑いんやろうな……。

これら「オレたちひょうげん族」メンバーの書いた絵はグッズ展開されていて、各取扱店で実際に買うこともできます。
私はアヒルと光るネコのラッピングペーパー買って帰りました。

なにも言われなかったら普通にオシャレアートグッズじゃない……?真ん中のはエアロビをしているネコちゃんだそうです。ネコのほうそくがみだれる

しかもこれ、よく見ると西陣織という豪華仕様。うーん、京都ならでは。

ラッピングペーパーの裏に入っている説明の紙。
入れ歯限定かい!!!くっしゃくしゃやん!!こういうノリめっちゃ好きなんですよ。味のある字もたまらん……。

ほかにも子供たちと一緒になって色々したりしています。これはメンバーの描いた鹿の絵に色々切ったり貼ったりしてもらうという試み。

「なんだこれコレ!?」「ワカラナイ!」

なんか、これ見てたら涙出てきたんです。(ちなみにこの日はこういうことがちょいちょいあったので、この先も唐突な身の上話が始まります)

子供の頃、こういう自由に何かするっていうの本当に苦手で。たぶん、親が何かしようとしたら止めたとか、怖い思いをしたとか、何かしらトラウマがあるんでしょうけど。

わたしは何かとルールに従おうとするクセがあって。でも本当はのびのびやりたくて。周りがのびのびやってるのが羨ましくて、先生たちは褒めてくれたけど、全然楽しくなかったんですよね。

なんかそういうことがぶわーっと思い出されて、微笑ましい写真のはずが、泣いてしまいました。でもきっと、自由ってこういうことで。楽しいことに年齢なんて関係ないんだなって、そう思わせてもらえました。

何でもかんでも、答えを探さなくちゃって縛られてて、それは性分で、仕方のないことなんですけどでも、そればっかりじゃやっぱり辛い。病む。でも「ワカラナイでも、いいんだよ」って、言ってもらえてるみたいで、すごく楽になりました。

この自由さ。その姿に、肩の力が抜けると同時に、感情が揺さぶられる。

しかし、ゆるい絵もあれば、こんな気の遠くなる几帳面な絵もありました。

これを描いた櫻本さんという方は、材木店に勤めていて、20年間、無遅刻無欠勤。その間誰とも喋らずにいたそうです。すごいです。その間のしんどさ、想像もしたくない。

しかも「人間関係を形成する」という前提すらなかったので、スウィングに初めて来るときに心配したことは「バスにちゃんと乗れるか」だけだったそうです。

しかし、スウィングに来てからは、自分を解放できて、冗談しか言わない人になったそう。

多くの人はそれを見て「変わった」ように見えると思います。しかし人の本質は変わらず、生かされ方、環境によって見える部分がちがっているだけ。それの振り幅がものすごく大きい例だなって思いました。

だって、無遅刻無欠勤の几帳面さ、絵にバッチリ出てるじゃないですか。笑

次は「OYSS!」「ゴミコロリ」。
OYSSは「O=面白いこと・Y=役に立つこと・S=したり・S=しなかったり」の略です。

「しなかったり」……このゆるさいいですよ。好きです。

「ゴミコロリ」はようは地域のゴミ拾いなんですが、メンバーが「ゴミコロレンジャー」に扮して子供たちと一緒に街を歩いたり、寸劇したりします。

ポスターもあります。全員ブルー。(歪んでいるのは私の撮り方が下手くそだからです)

これ最初「全員ブルーなのに地味にマスクの形違う!おもしろい!」と思ってたんですが、後から聞いたら「購入時期の違いで、商品のマイナーチェンジでデザイン変わってるだけ」だそうです。市販品かよ。ゆるい。めっちゃすき。

こんな見た目なんではじめは通報されたそうですが、今は落し物を届けたりして交番もへっちゃらとかなんとか…。

そういえば、小学校の時ゴミ拾い活動を思い出しました。

あれみんなイヤイヤやってたんですよね。「今日はゴミ拾いです」「ええ〜」みたいな空気があって。先生も「大変なことだけどやらなくちゃいけないんだ」みたいな強制の文脈で生徒に言うし、生徒も「イヤだけどやれって言われたからやる」みたいな。

でもそれって思い込みですよね。そこに「ゴミを拾う」という行為があるだけ。たしかに「他人の尻拭い」「自分がやらなくても誰かやる」みたいな側面もあります。けど「誰かがやらなくちゃいけないこと」でもある。

それを楽しくみんなでやっていくっていうのは、子供にとってもいい思い出になるし、まちも綺麗になるしでとてもいい循環やなって思います。自分と他人はつながっているって感じられる活動でもあるしね。

しかもこういうのって、目に見えないことでちゃんと返ってきますからね。

「それを面倒と思うかどうかは自分の解釈次第」なんですよ。やってると案外面白いゴミが出てきたりして楽しくなることもあるしね。

それはさておき。

今回、なんかこういう「当たり前」の価値観を揺さぶられることがすごく多かったです。全体的に。

あと、写真に撮りそびれたんですけど、拾ってきたゴミが色々な方法で展示されてました。水道局のステッカーとか「なんでそんなもの!?」というものから、セブンのコーヒーカップみたいな「あー落ちてるよねえ」というものまで様々。

そういえば、私は海の近くの小学校だったので砂浜掃除があったんですけど、ロシアから流れ着いたゴミとか大量のハリセンボンとか、変なモノがいっぱいあって面白かったなあ。(出身地がバレる)
その土地ならではのゴミの背景を想像するのも楽しいですよね。

お次は「ことば」。

メンバーの書いた詩や書が展示されています。含蓄がありそうだったりなかったり。

この詩、「それを書いてもいいんだ」と、頭の枷をすごく揺さぶられる。私にはすぐにマネできないけど、心を開くヒントにしたいと思いました。

こんなクソ真面目に考えず、ふつうに「ゆるいなあ」と思えればいいんでしょうけど。笑

私はクソ真面目なのが性分なので、クソ真面目に行きます。

脳みそだけになりたいと思ってた私には衝撃的。でも脳みそ捨てられたらきっと楽かも。

せやな、ずっとしんどいな。しんどいときは寝ような。

わかるわあ〜〜〜〜。

軽度知的障がいって、私が無知だからあまり詳しくはないんですけど、IQとか、色々なものが判断基準になって、発達に遅延が見られるとかそういう理由から判断されるんでしたっけ。すみません、理解がおぼろげで。

そういう前提がすっぽ抜けてたので、逆に良かったんでしょうかね。
このとき本当に「この人達、絵も字も味あるなあ〜〜」くらいにしか思ってなかったので。理解はあとからするんですよ。頭の回転が早いときと遅いときの落差が大きい。笑

ただ、これ読んで私が感じて思ったのは「同じ人間」なんやなってことで。

悩み方や悩む状況は違うし、感情の発露のさせ方も違うけど、悩んでることはほとんど変わらんやん……って。

たとえばこれも「感情のコントロールが上手くできない」のは、知能指数とか関係ないですからね。

よく、IQがとかEQがとか言ってマウント取り合うの、ほんとクソ喰らえだと思ってるんですけど(高知能者には高知能者の悩みがある)、それを理解できない人ほどそこにこだわるんですよね。

でもそれは世の中8割を占める平均的な知能を持った人たちも同じで。「生きづらい」のはみんな同じだと思うんですよ。

ただ、その度合いというか、悩み方の形が違うから分かり合えないというか。でもそこで「そっかそっか」って、受け入れるってことは、やろうと思えば誰でもできると思うんですよね。

はあ、すみません、長々と。

これな。わかる。わかるよ。いや露出したいとかじゃなくて。

ちなにこの増田さんは「親の年金をつかってキャバクラ」を書いた方です。

私はこの詩を「しがらみとか鎧とかを脱ぎ捨てて、そのまま普通に生きたい」ってことだと解釈しました。「そこまで考えてないよ」ってご本人に言われたら恥ずかしいですけど。笑

でも、そんな風に生きられたら楽じゃない?

だって服着てなきゃ「いけない」っていうのは人間が勝手に決めたルールで、「何やっててもいい」「誰も(いい意味で)気にしない」社会だったら、生きやすいじゃないですか。

露出する人を見て「変態や」と思う人は数多かれど、その人がその行為に手を染めるに至った経緯に思いをはせる人が一体どれだけいるのか。異常性癖なんてものはだいたい愛着の問題とか後天的なトラウマが絡んでくるんだけどまあその話は今はいいや。

かと言って、そこまで考えられない人がいるのも事実だし、露出されるのは生理的に怖いし、でもそうせざるを得ないほど追い詰めた社会の問題が……とか色々あって、考え出すときりがなくて、とにかくほんと、生きづらいですよ。 

私は「親の年金をつかってキャバクラ」の裏話…というか、それを繰り返すことに葛藤があった、ずっと引きこもっていた、ということを踏まえると、この詩はなんというか、「らしい」なあと思いますし「自分を抑圧してきた」身としてはすごく響くものがありました。

習字、書もありました。ちょっと見切れててすみません。

「ハムスター おさけをのまし しびれてる」

いやいやいや、何やってんねん!ww

「テロリスト危険だね」

お、おう、せやな〜〜〜〜。

ちなみに、この四宮大登(たいと)さんも、スタッフの人からお話聞いたんですが、元々はなかなかスウィングでやることが見つからなくて悶々としていたそうです。

その時に書いた作品とかは全然自分を出せてなくてつまらなくて、ある時、「思ったままでええよ」って言われて書いたのがこの「テロリスト危険だね」だったそう。

そこに意味はない、ただ感じたままの言葉を「それでいい、それもあり、面白い」とみんなで笑ってあげることで、それ以降この大登くんは自分の思ったことくだらないことも何でも言うようになり、周りも発言のハードルが下がって、朝礼とかはすごくいい空気になったそう。

このエピソードを聴いたのは別会場にいた方からなので、撮りそびれたんですけど(戻る体力はなかった)「黒」っていう大登くんの詩があって。

細部はうろ覚えなんですけど、黒がつく言葉が並んでる詩で「暗い黒 暗黒…」とか厨二っぽい詩かな?と思ってたら「黒いネズミ ミッキーマウス」とか出てきて最終的に「黒豆」で終わる。

思わず笑ってしまいました。笑

【追記】後日、木ノ戸さんに「黒」を送っていただきました。

なんかこういう「ゆるさ」「なんでもないこと」が許される場所があると、人ってこんな風に生きられるんだ……って思って、泣きそうになってしまう。

実生活の場でも、子供がくだらんこと言ったら大人は「そうだね」ってニコニコしてあげるけど、大人同士でそういうことってなかなかしない、できない人が多いと思うんです。でもそれが大人同士でもできるようになると、ずいぶんと楽になるんじゃないかな。

ちなみに壁に展示されてる詩だけじゃなく、実際にメンバーが書いた詩のノートが雑多にちゃぶ台とともに置かれていて、自由に見ることができました。

ちらちらっと見たんですが、いきなり暗い感情全開のド重い詩が書いてあって、そっ閉じしてしまいました。

いや、うん、詩自体はいいんです。本当は読みたかった。けどすみません、私自身、他者の感情に非常に影響されやすい体質なので、私はこれ見たらいけないな、寝込むなって。だから自己防衛です。

でもやっぱ、それも含めて人間なんやなって。だからこそ、あの壁にある詩が書けるまでに至るプロセス、それを書けたという事実が本当に尊いなって思います。

その②に続きます。

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逸見灯里
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