慶長16年(1611)3月28日は家康が二条城で豊臣秀頼と会見した日。秀頼に加藤清正・浅野幸長が付き添い亡き秀吉の正妻高台院も臨席し無事終了した。会見の無事終了を畿内の庶民も喜んだとか。徳川への臣従を示すことになると会見反対派もいたようですが戦は回避。ただ、大坂の陣まであと3年。
永禄4年(1561)8月3日は清須城下で木下藤吉郎(秀吉)とおね(ねね)が結婚した日。二人に子はなかったが秀吉家臣にとって母のような存在。おねを気遣い秀吉をハゲネズミという信長の手紙が印象深い。おねなくして秀吉の出世は考えられないとさえ思う。パートナーの有り難さをよく考えねば。
永禄4年(1561)8月3日は清須城下で木下藤吉郎(秀吉)とおね(ねね)が結婚した日。おねは杉原定利の次女で浅野長勝の養女となっていた。足軽どうしの家のため婚礼は簡素に行われたという。二人に子はなかったがおねは自分たちの親類縁者を養子や家臣として育て上げ秀吉を支える存在だった。