南関東の石造物⑫:国済寺宝篋印塔群(庁鼻和上杉氏墓所)
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名称:国済寺宝篋印塔群
伝承など:庁鼻和上杉氏墓所
所在地:埼玉県深谷市国済寺 国済寺
庁鼻和上杉家氏は、関東管領を代々務める山内上杉氏の祖である上杉憲顕の四子・上杉憲英から始まる家系で、上杉家の分家として重きをなした家柄であるが、深谷の国済寺はその庁鼻和上杉氏の菩提寺である。
寺の周辺は上杉氏の館跡と伝わり、深谷に居館を移して深谷上杉氏と呼ばれるようになった四代の房憲以前の当主はこの地に本居を構えていた。
境内には初代上杉憲英以下一族の墓所があり、宝篋印塔で構成されている。
墓所中央の覆屋には上杉憲英の墓とされる室町時代の宝篋印塔(三枚目)があり、その両脇には並ぶ宝篋印塔が二代目以降の墓所と考えられる。
憲英の墓は墓所内唯一の完形宝篋印塔で、応永十一年銘がある。
両脇の宝篋印塔はいづれも乱積みであるが、基礎に「応永」「文安」などの年号を判読出来るものもある。
深谷に居館を移した房憲以降は菩提寺も変わったため、元来は二代憲光以降の当主、または一族の墓塔であったのだろう。
両脇の宝篋印塔群の中の一基は須弥壇式宝篋印塔で(四枚目の向かって左端)、寺伝では二代憲光の墓とされ、基礎には憲光の戒名も刻まれている。
ただし、没年が文安二年となっており、これは上杉禅秀の乱にて戦死した憲光の事績と異なるため(上杉禅秀の乱は応永二十三年のこと)、追刻と思われる(追刻の際に没年と戒名のいづれかが別人と混同されたのだろうか)。
ただ、基礎と別石である須弥壇と笠については、憲光の没年と概ね合致する。
また、深谷市内にある上杉氏関連の石塔としては、深谷市役所北の高台院の宝篋印塔がある。
この石塔は、戦国時代の深谷上杉氏(元の庁鼻和上杉氏)の当主・上杉憲賢と夫人・高泰姫の墓であり、向かって右が憲賢の墓で、左が夫人の墓(二枚目)である(夫人は同寺の中興開基)。
夫人の墓には没年である元亀四年銘があり、戦国時代末期の宝篋印塔の基準作である。
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