自分の枠。とても小さい。 幸せ以前に何も得ようとしない 『不自由の枠』がある。 心を学んで驚くほど人生が変わってきたけれど、まだまだ。 自分で自分を理解できない。 自分の価値を認められない。 人に決めてもらいたがっている。 胸を張って選択できない。 今年中に絶対卒業しよう。
離人症が治ったせいで、過去に自分の身に起こった出来事はすべて本当のことだったと理解して、たいへんなショックを受けている。 いままで現実はどこか絵空事だったから耐えられたのに。子どもにそーゆーことするオトナってどうなのよ??この世の汚さに絶望。 ただし悟っているので立ち直りも早い。
戦争もなく身分制度もなく身分違いの恋も成立しない今日、確実に波瀾万丈になる人生なんて、毒親育ちとLGBT関連くらいしか無いのではないか。 わたしは宗教団体に生まれて毒親と縁を切ったLGBTのはしくれだけれど、そのことに全く後悔はない。 甘やかされて育ったシスの異性愛者に憧れない。
まるで爆弾抱いて自爆テロでもできそうなくらいに、わたしはわたしに無関心だったのに。 ある日離人症感覚と自殺願望が消し飛んでしまい、わたしはわたしなのだとわかった。 この身体があたしなんだよね!? 自分の姿を見たくて 鏡ばかり見るようになってしまった。 これ?あたし?恥ずかしい💦
性の話ってなかなかできないけど、ご飯を食べたり睡眠や呼吸するくらいに大切だと思うのに、同性愛ってまだまだホントの悩みはそうそう話せない。 これってホントの友達にしか話せないことなのかな
人は突然死ぬことがある。 億女で、新たなビジネスも展開し始めたばかりの知人が亡くなったときいたとき、改めて感じさせられた。 私は名もなき存在だけれど、それなら、今を楽しく過ごしたい。ささやかながらに。躊躇している暇はない。 毎日おいしいご飯が食べられればOKだけどね。