
自殺した友について2
話は2007年9月に戻る。
そしてその頃の私は『ハタチまで生きたし、ミイラであってももう死ぬことを考えるのはやめよう』と決意していたし(そう、私はずっと死にたかった)、労働している間になんとミイラはニンゲンになっていた。
空気の読める人間にはなっていなかったが心身体理性は一致していた。気づいたら(まあ努力もしたんだけど)分裂していたものは1つの容器に収まっていたのだ。
彼女が亡くなったと連絡をくれた友達が(わたしが心から信頼してる友達だ)『なんで死んだん、何があったん』と宙でから回る私の問いには答えず
『どうしても一緒に葬式に行ってほしい』と懇願するので『その友達のために』行くことにした、死んだ彼女のためじゃない。
そのときの私は今まで生きてきた中で思ったことのない『裏切られた』という強い感情に支配されていた。
当日葬式に行く前にマクドに寄った。どうしても心の整理がつかない。動悸はひどかったと思うし、手は震えていたし、友達の顔が見れない。
ふと視線を上げたら明らかに泣いたんだろうなと分かる目が目の前にある。だめだ、また視界がにじんでいく
ここでも理性は能力を発揮して『香典はいくらにした?』『香典袋ってこの仏教っぽいのでいいのかな』『出る前にトイレに行こう』とまるで日常会話みたいに進行していく。
この場は空虚な会話劇だ。あるいはそうすることで心のダムの瓦解をふたりで必死に防いでいた。
私はやっと取り戻せた心に実直に生きたかったので、形式で心を包んで甘やかに埋没させる葬式という儀式に本当に参加したくなかった。
ただここまで来た以上逃げられないし、そして眼前の友達のためにも社会的に折目正しく無礼でないように振る舞わないといけないのだと心も身体も覚悟していた。
葬式会場につく、『たぶん自死だから、ひっそりとやるんだろうな』という予想からびっくりするほど外れた昼間の光がさんさんと降り注ぐ大きな窓のある大きな部屋に通された。荒れ狂う心と現実が見せる非情さの乖離にめまいがする。
こんな大きな部屋、突然すぎる自死で来る人なんかいないよ。ガランとした部屋に卒業式の前日に準備した保護者席かよと思うほど多く無機質に並ぶパイプ椅子。遠くに棺が視界に入る。
彼女が北京に留学していたとき両親揃って当地に観光に来て、同じタイミングで北京に遊びに来ていた私たちと合流し泰族のレストランでパイナップルご飯なるものをおごってくれたご両親がいた。
お母さんは憔悴しているはずなのに、過剰にも思えるほど普段どおりの発声で『来てくれてありがとう、顔見てやって』と言って香典を受け取った。
香典、受け取るんだと思った。香典はつっかえされるのではと思っていた。
私たちは2週間前誰もこんな結末を想像してなかったし、香典の中身だって香典としてじゃなくて、彼女との飲み代として使われたほうがどれだけしあわせだったろう。
『虚無への供物』そんな言葉が頭をよぎる。電車代かけて和歌山までくるなら、笑ってるお前に会いたかったのに、本当にどうしてこうなった
私は棺の中を見たくはなかった、ミイラだった過去での葬式の様子がフラッシュバックしていてすでに大粒の涙は感情と理性から離れて流れでていた。
彼女は病死ではない。彼女の死因を聞かされていないので溺死や身体のどこかを切っての死だったりした場合、私が生まれて初めて直面するであろう彼女の身体の変貌が怖かったのだ。
その場から走って逃げたかったがお母さんがしつこく勧めるので顔だけ拝むことにした。
棺から2メートルほど距離を取り、斜め後方から見ていたが、友達がそそくさと見に行って、数分経ってしまったので行かないわけにいかなくなった。
あのときの私は過去与那国島で行われていた口減しのための島民の苦肉の策、真正『デッドオアアライブ』を賭けた久部良バリ(裂け目が3〜4メートル・深さ8メートルの崖)を跳ぶ前の妊婦の気持ちだった。
自我を失くすかもしれない葛藤とともに決死の覚悟をして棺を覗き込むと、そこには生前と変わらない彼女がいた。
『え、こんな綺麗なん?』
なんだ、生きてるときと変わらんやん。うっすら化粧もしていた。なんなら中国ブラついてホコリにまみれていた頃より綺麗じゃね?
ただもう動かないし笑わないし、あのかわいらしく高い声で私の名を呼ぶことはない。止まって動かない綺麗な彼女という身体がそこにいた。
お母さんは必死に死後硬直で下顎が開いてしまう彼女の口を閉じようと何度も試みていた。それはいつも話すときチラと見せていた彼女の上のガチャ歯となぜか噛み合わないようだった。最後には諦めて『ハハ、閉じないね』なんて笑った。
綺麗な死体ともう二度と叶わない彼女と過ごす未来の時間との間の深い溝におちて、この日出せるだけの水分が私の両目と鼻から流れでていったはずなのにまだまだ水分は溢れてくる。
感情も理性も停止しているのか、何も言ってこない。そこにいる誰もが彼女には無力だったし、その状況に無抵抗だった。
隣の部屋に食事が用意してあるからどうぞとお母さんが言ったと思う。そこで彼女が幼少期から懇意にしていたというおそらく彼女の親友と言える人に会った。
その人は泣いてはいたのだろうが、これまた私たちがそうしようとしたように折目正しくちょこんと座っていた。
そして親友は饒舌だった。まず自己紹介をし、彼女との日々を切々と、ときに面白おかしく語る。聞いている私たちが引き込まれるような語り口だった。
そして
『彼女はこの数日、自分のものをシュレッダーにかけている、と言ってたんです』
と語った。
絶望は確信を得る。計画的だったのだ。単なる衝動や魔がさしたわけではなく彼女は淡々と準備をして、虎視眈々と家族が家を不在にする時間を待った。
彼女が好んで北京に習得しに行った中国語。その中国語のカルチャースクールに母親が行き受講しているその隙を狙って実行した。
今なら言える。
その計画性、他のことに使えよ!バカ!
ほんとバカ!
バカバカ!私は傷ついたんだ。
2週間前のあのしょーもない飲み会も、
これまでの5年ほど一緒に過ごした時間も
飼ってたペットの名前、お互い似てるねって
共通点を見出して、もしかして趣味も似てる?
なんて話したり
梅干しの嫌いなお前に毎度毎度桐箱入りの
高級南高梅送ってくる親でも
送ってくれるだけ優しいやんって言って
毎度その梅もらってたり
どうひいき目に見たって
ブサイクなケーキ作って喜んで
仲間の誕生日祝ったり
猫の額みたいな庭でスイカ割りやったり
キムチ鍋にチキンラーメンいれて
チキンラーメンの存在感スゲーって
ゲラゲラ笑ったり
解決しそうにないお前のサークルの
問題点を聞いてたのも
あれも全部なかったっていうの?
なんの価値もなかったの?
お前の中に何も残せなかったの?
そんなの私のこの気持ちがウソみたいじゃん
友情とかって思ってた自分がバカみたいじゃん
ミイラがやっと手に入れたノドから手が出るほど欲しかった感情が闇の中に消えてく
もちろん分かっている。自殺者や自殺未遂者の多くがその行為の直前にはうつ病などのメンタル疾患にかかっていて、本人はやりきれないほど苦痛なのだ。
貧困や何かしらの障壁を感じていて、それは死にたいほどの苦痛をともない自死以外を選べない崖に毎秒立たされている。
考えてみてほしい。
毎秒が新鮮で、その毎秒襲いかかる死への切望。
これは知ってる?私は経験した?泣いた?苦しかった?でも実行しなかった。
考えれば考えるほど彼女の地平は遠くかすんでく
私が泣いてる場合じゃない。一番辛かったのは彼女なんだ。自分は寄り添えなかったどころじゃない、彼女の予兆に気づきもせず、あまつさえ背中を押したかもしれない。
そう思っては自己嫌悪に陥って落ち込むことを繰り返しては、彼女が目の前からいなくなったことを、
肉体から灰になったことを1つの人類普遍の事象とすることで肚に呑み込んで、
昨日と何も変わらないデスヨ、私の人生に突然の台風なんて来てないデスケド?というフリをして過ごしてきた。
過ごしてきたが、どうしてもモヤモヤして時間があればいつも考えてしまう。
数年もすれば共通の友人達はもう吹っ切れたか乗り越えたように見える。
当然悲しみ方は人それぞれだ。大声あげて哭いてるひとのほうが、ひっそりと無言のうちにいる人より悲しみが大きいとは言えない。
乗り越えたように見える人が薄情で、沈鬱に見える人が彼女を特別思っているなんてこともない。
亡くなった人のことをどのくらい思っているかなんて他者が計り知ることはできない。
だけど、どうしてこんなに自分はモヤモヤしていて、前に進めないし、9月がくるたび心がザワザワするし、死を忌避して悲しみに浸ってるんだろう。
それとも悲しみに浸ることが心地良くて手放せないだけなのかな、
でも思い出だけがふたりが唯一生きれる場所だとか思い出だけが死に勝利できるなんて思いたくない
彼女を受け入れたい。
彼女を、彼女の選択も含めて肯定したい。
だから聞きたい。
どうして死んだの?
どうして仲間たちの結婚式に
お前はいないの?
お前もいつか結婚して
子どももいたかもしれない。
お前の好きな本や映画の話を
今なんでできないの?
トランプみたいなのが
アメリカの大統領になったんだよって
言ったら笑うかな、
アホな国民って嘲るかな、
新しく読んだ本の話してくれるかなあ。
何回でもするつもりだった次の乾杯を
なんでもうお前とできないの?
(彼女は結構な酒飲みだったのだ)
そうだよ、私は怒ってるんだ
それに17年たってやっと気づいた
2人でくだらない話しながら
笑い合う未来ももうないし
金城武もハゲて映画に出なくなったし
フェイ・ウォンも中国お抱え歌手になって
つまんないねって言い合えない
写真のお前は若いまま
いつも通りの顔で笑ってるのに
鏡に映る自分はどんどん疲れて老いていく
だから、決めた
次あったら一発しばいてやる!
お前が簡単に輪廻転生できないように
呪ってやる!
簡単に次の生を手に入れられると思うなよ
私はしつこいんだ
ふだん心が広い代わりに、
ほんとに傷ついたことは
死んでも覚えて祟ってやるからな!
黙っていっちゃったこと忘れないからな!
絶対お前のことを忘れてやらないから、
だからもう、そこにいてよ
もう墓参りはしない
お前の部屋を改変したお前の親も気持ち悪いし(個人的な感想です、
もちろん何をしようとご両親の自由です)
お前の最後の姿を見たであろう
お前んちの猫も死んだ
墓の前で話しかけたって虚しいんだよ
墓石蹴り倒してやりたいくらい
怒ってんだからな!思い知れ!バーカ
でもほんとに次あったときは
今はできない次の乾杯をさせてよ
そのときはあの鈴みたいな高い声で
また名前を呼んでよ
お前老けたなって言って、
お前は変わんねーなって言わせてよ