意味は「心の味」と書く。 人生に意味はあるのか? という問いは、馬鹿げている。 むろん意味はあるのだ。 腐っていようが、光っていようが。 意志があれば、意味は輝く。 意見があれば、意味は深まる。 人の生きる意味とは、 きっとそういうものだろう。
すなわち、愛とは、 何かに向けた特別な想いと、 それに付随する、傍から見てバカな行動。 その特別さとは、 他のあらゆる幸福にない余り物の感情で、 目的と手段を超越して、確かに存在する。 何故あるのかは誰も知らないが、 それが無いと生命が希薄するという感覚は、 誰しもが抱くという。
世界は相対化されることで、 すれ違い、間違い、失敗が生まれる。 しかし、私自身をひとり切り離して、 絶対化してしまえば、それは生まれない。 自身の絶対性を人質にとり、世界の相対性を駕ぐ。前へと突き進む。 これをやりきると誓うことこそ、姑息でない自己肯定の源力であると感じた。
言葉の力は、ツライものほど強くなる。 そこには 一つ、抗えないもの 二つ、曖昧なもの 三つ、大切なもの の三要素が必要だ。 人は言葉を得て、言葉を守ろうとする。 生、死、命、愛、恋、心、体… そんな言葉を捻じ伏せ、また、受け入れて、乗り超えてようとする事こそが、 人を育てる。
言葉は人を惑わせる。一度棄ててみればよい。 この世界に、私、幸せ、情け、意味、神が本当に存在しているのか、心で感じるといい。 ただ、その答えは言葉にならない。 感情を許容できない論理や、哲学的な言葉を信用しきった言論を時々目にする。 そんなモノはいずれ廃ると僕は思っている。