そんな日もある。
こんばんは、魚亭ペン太でございます。
さて、筆を動かそうにも、話のネタがない。
ないということもないのだが、話すべきではないことが多く、自然と思考にロックが掛かる。
すると、付き合い始めて数ヶ月後のような、新鮮味のない、差し障りのない会話になる。
常日頃の会話も、SNSで読み飛ばされる記事のようになってしまう。
いや、むしろ、そういうものではないだろうか。
人付き合いをする。
必ずしもその人の興味のある話題、スポットを提供できるかどうかは、ほぼ当てずっぽうに等しい。
とりわけ、若くして異性との関わりを煩わしく思うのは、正解のない試験が人生に一度きりだと、そう勘違いしているからではないだろうか。
無数に選択肢があって、正解率は著しく低いのが、この抜き打ちテストの特徴だが、器用な人、要するに上手くやっている人は、消去法が上手い。
「〇〇が苦手」「〇〇が好き」
こうした話をつぶさに覚えておいて、その条件で選択肢を絞っていく。
正解がわからない、途方も無い。というのは、こうした絞り込みによる自信を持つことができないからではなかろうか。
ただ、この絞り込みによる自信というのは根拠がない。
考えてみれば根拠のある自信というのは、この世にないのではないか。
「自分の信じること」が自信なのだ。
世の中、ほとんどの根拠は大多数がそう思うからであって、絶対的な理由は一つもない。
そうでない場合というのは、一定数ある。
あのとき会話が続かなかった。
喧嘩をしてしまった。
告白ができなかった。
仕方ないのではないか。
あのとき資格試験に合格できなかった。
あのとき理想の職場に就職ができなかった。
あのとき理想の結婚ができなかった。
なんであれ、その人なりの一つの結果になったのだから、悔やむこともないのではないか。
くだらない話題をふる。
それに対するそっけない返事。
そういう日もある。
大半がそういう日の連続なのだ。
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