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スケール別の自由

運命論や決定論、選択理論に自由意志。
と様々あるが、これら人生に対する目的意識の極端な振れ幅について、うまく或る世界軸に収めるようと考えてみると、どうだろう。
私は一つのアイデアが生まれた。

目的意識は、人を捉える視点のスケールに左右させるのではないか。
つまりは個人、家族、世間、社会、世界などとスケールを分割したとき、それぞれのモチベーションとして採用したいと思う理論が、先に挙げた四つを行き来する現象が起こったのだ。

個人は決定論的であり、
家族は運命論的であり、
世間は選択論的であり、
社会は決定論的であり、
世界は運命論的である。
と私は勝手に思うしそう思いたいが、恐らく別の人に訊けば別の返答が返ってくる。
もしかしたら全て運命論だと主張するかもしれないし、私みたく理論を乱れ打ちに使っている人もいるかもしれない。その日の気分によって変わる人だっているはずだ。

私の主張は、結局スケールに分割して目的意識を暴き出すと、人のモチベーションそのものが自由意志の範囲で有効であるような錯覚を起こす。
そのため、あらかたの人は普段自分がどこで錯覚を起こしているかを特定でき、その錯覚を逆利用してモチベーションを闇雲に奮い立たせることが可能だと考える。
だがそうした行動を矛盾だと、生命又は人間として逸脱していると心情受け付けないならば、絶対的な運命論を信じる冷めた目線を持つことになるが、それもまた絶対的なものは不可能だと感じ、折れて諦めて妥協して、きっとどこか心の隅で自由意志の存在を信じることになるだろう。

読んでくれてありがとう。
あなたに心ばかりの幸せを。

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