深夜にドキュメンタリー見てました。 当時、事件の間接的な余波は受けていたし、今もシンボリックにあげられてしまう所もあるので、追ってしまう所はあります。 今日は関連ワードが出る映画を、きっと何者にもなれない人類代表としてレイトで観てきます。(舞台挨拶の人は楽しんでね~)
実はブロックされる方が、現実にはその人が認識されていること、まだ他者からの視線がある、その視線のなかに留め置かれていることでマシだという主張をどこかで読んだ。私の場合、確かにnoteではブロックされないのだが、視線を感じない透明な存在であることはかくも怖いのかと思わされた。