わたしの小さい頃の大人たちが使いわけていた「正気人」と「神経殿」という言葉のニュアンスはおもしろい。気ちがいの方に殿をつけ、自分たちを正気人という。俗世に帰る道をうしなってさまよう者への哀憐から、いたわりをおいてそう云っていた。 『椿の海の記 (河出文庫)』(石牟礼道子 著)より
「意識のろくろ首のようになって、わたしはこの世を眺めていた。そのような意識を、もとのように折りたたんでしまうすべが、わたしにはわからない。 彼方の山々は靄をかつぎながら、曇天の奥に定かならぬ鬱金色の陽がかかる。そのような陽の下の~」 『椿の海の記 (河出文庫)』(石牟礼道子 著)
「歳時記とは暦の上のことではなくて、家々の暮らしの中身が、大自然の摂理とともにあることをいうのだった。」 (『椿の海の記 (河出文庫)』(石牟礼道子 著)より)
「山に成るものは、山のあのひとたちのもんじゃけん、もらいにいたても、慾々とこさぎ取ってしもうてはならん。カラス女の、兎女の、狐女のちゅうひとたちのもんじゃるけん、ひかえて、もろうて来」(『椿の海の記 (河出文庫)』(石牟礼道子 著)より)