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石牟礼道子 「椿の海の記」

この作品を読む前に「苦海浄土」を読み、あらためて水俣病の惨状に深い悲しみと怒りを感じることとなった。
しかし「苦海浄土」は単なる史実の記録やドキュメンタリー小説といった範疇を超え、作者の目に映し出される患者や家族の描写が、実に生き生きと詩的に表現されていて優れた文学作品としても堪能することができた。
続編に読み進む前にもう少し文学的な作品を読んでみたくなり、この作品を選んだ。
しかもこの作品に描かれている土地が、のちに水俣病という災禍に見舞われる舞台となるのである。


作者が育ったその地の風景や生息する動植物、そこで生活する人々の様子を、たった四歳の頃の幼い作者の目を通して生き生きと表現している。
その描写が繊細で躍動感のある美しい言葉の表現力によって際立っている。
この作品は日記や物語や小説というカテゴリーには収まらず、時にはおとぎ話のようでもあり全編が詩のようである。
それほど文章そのものに味わいがあり、先に読み進む楽しみよりもその場に佇んで道草を食うことに喜びを感じてしまうような感覚だった。
それゆえに途中何度か note のつぶやきに気に入った部分の引用を載せた。
つぶやきには文字数制限があり伝えきれなかったので、あらためて掲載することにした。

「山に成るものは、山のあのひとたちのもんじゃけん、もらいにいたても、慾々とこさぎ取ってしもうてはならん。カラス女の、兎女の、狐女のちゅうひとたちのもんじゃるけん、ひかえて、もろうて来」
おもかさまがささやくように、いつもそういう。まだ人界に交わらぬ世界の方に、より多くわたしは棲んでいた。

わたしの小さい頃の大人たちが使いわけていた「正気人」と「神経殿」という言葉のニュアンスはおもしろい。気ちがいの方に殿をつけ、自分たちを正気人という。俗世に帰る道をうしなってさまよう者への哀憐から、いたわりをおいてそう云っていた。そのころの、ふつう下層世界の常人は、精神病患者とか、異常者とか冷たくいわずに、異形のものたちに敬称をつけて、神経殿とか、まんまんさまとか云っていた。

「おもかさま」とは作者の祖母のことであるが、盲いて気のふれた「しんけいどん」なのである。
しかし ”みっちん” とよばれる作者とはきちんと意思の疎通があり、生活の中では保存食の状態や手立てについての判断を下す重要な存在でもあった。
果たして本当に狂人であったのだろうか?
「徘徊タクシー」に出てくる坂口恭平の祖母に重なるものを感じた。

「意識のろくろ首のようになって、わたしはこの世を眺めていた。そのような意識を、もとのように折りたたんでしまうすべが、わたしにはわからない。 彼方の山々は靄をかつぎながら、曇天の奥に定かならぬ鬱金色の陽がかかる。そのような陽の下の春の海は、天のかげりを宿して沈んでいた。」

「赤子にも、すでにこの世のつとめというものがあり、それは、はるかな大人になってゆく劫の、第一歩であったろう。  今でも、赤子にむかってものいおうとすれば、その眸の奥から逆にさしのぞかれてうろたえて、笑えなどとはよういえぬ。ふいの出遭いは、それが赤子であればなおさらにまぶしすぎる。わたしは自分の感覚が過剰であることに当惑していた。好きな神さまを、自分から選んで来てもらうわけにはゆかなかった。」

このように繊細で鋭いものの見方とその表現力に圧倒される。

「十五夜さんの来らすとば待っとっとばい。小おまんか、みじょか子じゃねえ。そら、早う太うなれ」
 春乃はそう云って鍬の先で、ざっくざっくとけずりほぐした泥を、その里芋の株の畝にかぶせてゆく。

「歳時記とは暦の上のことではなくて、家々の暮らしの中身が、大自然の摂理とともにあることをいうのだった。」

四季折々の果樹や作物、植物や生き物と共に暮らす生活の様子は、貧しいながらも非常に豊かで喜びに満ちている。
人間がいきてゆく本来の姿はこのように自然に則したものである筈である。

のちにこの大自然の恵み豊かな土地が、歪んだ近代化の波にのまれて地獄のような不毛の地と化してしまうのである。


石牟礼道子の代表作は「苦海浄土」であるが、この「椿の海の記」は作者を知る上でも是非読んで欲しい作品だと思う。

さて、次は「天の魚」(続・苦海浄土)に読み進むことにする。




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