慈しみとは何か?―石牟礼道子【百人百問#020】
アメリカ留学の最中に祖父が亡くなった。日本を旅立つ前に病床で留学のことを告げると、「がんばらんばな(がんばらないとな)」と力強い声で言ってくれた。最近、祖母に生まれたばかりの子どもを連れて行ったとき「みぞかねえ(かわいいねえ)」と優しい声で言ってくれた。
方言には力がある。それは地元の人間ならではの語感を受け取れるからかもしれないし、幼い頃からの記憶が一気に湧き上がるからかもしれない。
地元である長崎が嫌で東京に出てきた。
海に囲まれ、日本の端っこの地だ。その辺境感覚からか田舎特有の閉鎖性からか、早くここを抜け出したかった。自由を求めていたのか、単に都会的なものへの憧れなのか、田舎から逃げることだけを考えて大学受験に向き合っていた。
田舎は多様性に厳しい。目立った服装をすればすぐに噂になるし、繁華街で誰かと歩いていればすぐ知れ渡る。公務員や銀行員が”普通”とされ、そうじゃない道を行く場合は「なんで?」となる。否定されるわけではないが、いちいち理由が求められる。だから、早く田舎から抜け出したかった。田舎のしがらみから漂白されたかったのだと思う。
上京してすぐに標準語に適応した。方言は語尾に出やすい。だから、敬語を多用することで、長崎弁をかき消すように努力した。その甲斐もあってか、地方出身というのを隠すことができた。
こうして、うまく標準語を体得し、東京人に紛れ込み、田舎の呪縛から抜け出すことができた。
そんなある日、長崎を離れて10年くらいは経っていた頃、石牟礼道子の文章に出会った。驚いた。数行読むだけで、一気に自分の中の「長崎」が押し寄せてきたのだ。
それは悪い感情ではなかった。幼少期を長崎で過ごした自然や文化や慣習や環境や感情が押し寄せてきたような感覚だった。それは石牟礼道子の『椿の海の記』の一節だった。
みっちんとは本作の4歳の主人公だ。父がみっちんによくいう言葉らしい。この1行でやられてしまう。石牟礼道子は熊本の人なので長崎とは違うが、方言はかなり近しいものがある。特にぼくの父方は島原出身ということもあり、熊本とは天草の海でつながっている。
だから、この1行が心に響く。
懐かしいとか心地よいとかではなく、「ぞわぞわ」する。自分の中の「長崎」が押し寄せてくる。ジェットコースターで急降下する直前のぞわぞわのようでもあり、思春期に母親と歩いているときに友達に会うようなぞわぞわでもある。
特に「実ば」の「ば」がぐっとくる。目的格の「ば」にこそ、九州が詰まっているとでも言いたくなる。加えて「山の神さん」というのもたまらない。神を一神教的な絶対神にせず、親戚のおじさんくらいの距離感で「さん」づけする感覚。この「近さ」にぞわぞわする。
この「ば」と「神さん」が同時にやってくることで、もはや何も言えなくなる。せっかく漂白した長崎が蘇ってくる。沈殿していた澱が再び水中を舞うように、体全体に長崎が溢れ出すのだ。
神さまの話が続く。神さまは小さい人なのか、大きい人なのか、みっちんは興味津々だが、年寄りたちは、あいまいな答えをする。この4歳と老婆たちとのやりとりが微笑ましい。「どげんひと?」が心にしみる。
こうしてみっちんとそのまわりの世界が少しずつ明らかになっていく。山の神、父の亀太郎、母の春乃、祖父の松太郎、祖母の「おもかさま」と、取り巻く人々の顔が子どもの視点から見えてくる。
みっちんは人間以外とも関わり合う。彼女は動物も怪異のたぐいも妖精のようなものも、一緒くたに世界と触れ合っている。
山のものは「あのひと」のもの。猿や狸や狐や山の神たちのものなので、すべてを採ってはいけない。「あのひと」たちと一緒に生きている。この境界性の無さがみっちんの世界だ。そこに「棲んでいた」のだ。
みっちんは人と神、人と動物の区別もしなければ、人と人の区別もしない。祖母のおもかさまは盲目で、心が病んだ人だった。
おもかさまは「神経殿」と呼ばれ、狂人扱いされていた。でも、みっちんは区別なく関わり合う。
正常も狂人も区別しない。むしろ冷静に大人たちの言葉遣いを感じ取っている。決して無邪気なだけではなく、みっちんはわかった上で振る舞っている。
みっちんの生活は貧しいものだった。もともとは裕福な家だったが、みっちんの父は事業に失敗し、町外れの「とんとん村」という被差別地域に住むことになるのだ。
憐れみの視線を受けつつもみっちんは、元気に過ごす。みっちんの無邪気さと石牟礼道子の冷静さが交互にやってきては、水俣の暮らしが立体的に見えてくる。
これは決して地方や田舎や自然を礼賛する物語ではない。そこに「在る」世界をそのまま伝えている。石牟礼道子自身が「みっちん」として4歳の時分に見た世界である。この後、この熊本県の水俣は公害病・チッソに犯される運命を辿る。それ以前の世界をそのまま残していることに『椿の海の記』のフィクションともノンフィクションとも言えない小説を超えた存在感がある。
ジェイムズ・ジョイスは『ユリシーズ』を書いたことで、ダブリンが滅びたとしてもその街を再現できると言った。同様に、この『椿の海の記』があることで、水俣の世界観はいつまでの残るように思う。長崎を離れて20年近いぼくに対して、「長崎」をたちまち去来させたからだ。
みっちんは世界をどう見ていたのだろうか。この一節がたまらない。
「おじいさんの妖精」が、まさにぼくが「神さん」に感じた感覚だった。それは自分といのちの切れていない関係性なのだ。この連続性や境界のあいまいな感覚が日本の、そして水俣の人々の暮らしだった。
最後のシーンでみっちんとおもかさまは、畦道を歩く。
「あい、あい」という声が畦道に響き、二人は暗くなるまで歩いた。この物語はみっちんの詩で終わる。
池澤夏樹は本書の解説で、この本を前にしたら「ゆっくり読むこと」と言っている。「一行ずつ賞味するように丁寧に読まなければたくさんのものをとりこぼしてしまう」と付け加えている。ゆっくり読むほど、ぼくの中の「長崎」は迫ってくる。
石牟礼道子といえば『苦海浄土』である。水俣病で苦しむ人々を描いた世界でも唯一無二の文学である。『苦海浄土』があまりに大きな存在だからこそ、池澤夏樹は「日本文学全集」で石牟礼道子の他の作品をまとめたかったという。『苦海浄土』後の読者にとっても、『苦海浄土』前の読者にとっても、この『椿の海の記』やその他の作品が石牟礼道子の奥行きを伝えてくれるからだ。
石牟礼道子が2018年に亡くなったとき、現在の上皇后陛下は「慈しみのお心が深い方でした。日本の宝を失いました」と石牟礼道子の長男に言葉をかけたという。石牟礼道子と親交のあった漁師の緒方正人は「今の制度社会からこぼれ落ちるものをすくい取る慈愛の人だった」と表現した。
慈しみとは何か?
みっちんと、そして石牟礼道子の目を通して世界を見たときに、そこには区別も差別もなく、おじいさんの妖精の世界が見えてきた。それこそが世界への慈しみの姿勢なのかもしれない。その目があったからこそ、水俣病と向き合い、世界文学を残せたのかもしれない。
長崎が嫌で逃げ出したにもかかわらず、石牟礼道子の世界を感じられるというだけで、九州に生まれたことを少し喜べるような気がする。