会社にいる時の自分も、家にいる時の自分も、友達といる時の自分も全部自分。ただ、自分が分かれているだけ。これを分人と呼ぶ。「本当の自分」なんてものはない。相手によって自分は定義されるから。だとすれば、「本当の自分」はどんな自分なのか、と悩む必要がない。だって、どれも自分なのだから。
自我や「本当の自分」のような中心は存在しない。しかし、足場となるような重要な分人を一時的に中心として、そのほかの分人の構成を整理することができる。 分人主義、結構腑に落ちた。 #私とは何か #個人から分人へ #平野啓一郎