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課題図書「分人思考」をインサイド・ヘッドで考える①~私は人との距離感がバグっている。~

平野啓一郎さんの名著『私とは何か「個人」から「分人」へ』が今月の課題図書だった。
毎月zoomで5時間ほど喋り倒す友人と、桜林直子さんと。
その友人と先に概要はなんとなく知っているけど読んだことないよねとこの本を課題図書にしていたところに、サクちゃん聞いてで「あれは中学生全員読んだほうがいい」とサクちゃんが話していてウワワー!この本はー!となったのだ。

そりゃもう読むっきゃない。読むつもりだったけど。

読む前もvoicyで度々耳にしていた【分人主義】という考え方。
妻という顔、母という顔、noteでの顔、プライベートの顔は違うし、友人とママ友の前とでももちろん違う。
そういうことだよな、という程度だった。

ちょうど娘たちと観ていた『インサイド・ヘッド』で1人の少女の中に複数の感情が共存している、まさにこういうことなのかな、と思ったりなどしていた。



ド田舎育ちの私には、ずっと所属コミュニティが少なかった。
習いごとの経験もなく、高校卒業まで「学校」か「家」しか無かった。
家にはいつも、いつも通りの家族しかいない。
友達すらいない両親だったので、社会人になって初めて「母親が母親でなく一人の人間である」ということに自覚的になったのはマジな話である。

中学校1年生で輪番制イジメの無視ターゲットになったときは本当に世界が終わったと思ったし、大学時代はサークルに妄信的になっていたし、社会人になってから歴代彼氏にそれはそれは依存した。


この数年でゆるい繋がりが増え、それぞれの関わり方を模索したり距離感バグりすぎて火傷をしたり特に理由もないのに一方的に気まずくなって距離をとったりを試行錯誤している。
人生で初めてこの作業をやる私が心を病まずにこれるのはきっと、オンラインや浅い関わりのコミュニティが多いこと、今の自分に揺るがない優先すべき家族という存在がいるからだと感じている。

あの人にとっての私は私が思うよりも優先度が低いかもだけど大丈夫、私には愛する夫と娘たちがいる。
恥ずかしいことがあったけど大丈夫、あれはオンライン匿名の世界だから。(本書の「匿顔性」という概念も面白いよね。)

大丈夫、とは言ってはいるものの、実はそんなに大丈夫ではない。
インサイド・ヘッドの感情全員がライリーのしょんぼりに倣ってしっかりしょんぼりするのと同じくらい、私全体でしょんぼりしている。
ただ全身全霊で悲しんだり悔んだりしていられるほどの余裕もないので、目の前のタスクを日々こなしているうちに紛れていってしまう。


その感覚にピー!ピピピー!と笛を鳴らしてくれるような一冊だった。
見ず知らずの人からのツバみたいな一言に心を揺さぶられしょんぼりしてしまうこともあるけれど、それは100%の私で受ける必要はなく(というか、見ず知らずの人からのツバなんぞそもそも受ける必要はない。)、その人に向いていた分人としての私だけが省みたり距離を取ったりすればいいのである。

インサイド・ヘッドでのヨロコビやイカリを分人として考えるのではなく、ライリーのなかにある「島」がまさに分人である。
インサイド・ヘッド2では家族の島が遠く小さくなりキラキラ度も減った。
その時々で近さや大きさやキラキラが変わるインサイド・ヘッドのライリーの「島」、そこで過ごす自分を自分で愛せるかどうかということだ。


私が見ず知らずの人のツバに大きく心を揺さぶられるのは、社会的分人が弱く、すぐに特定の個人としての分人を作ってしまおうとハイジャンプをかましている可能性がある。

例えば私は、スーパーで試食のオバちゃんと目が合ってホラホラ!と呼ばれたら感じのいい笑顔を作って寄っていき、にこにこと試食をし、かなりいいリアクションをして、よほど要らないものでなければその商品を購入してしまう。そのオバちゃんに対して私が「良い客」であろうとしてしまう。
感受性が高い八方美人だなと自覚はしていたけれど、これはきっと、私がオバちゃんに対して「社会的分人」で接することができていれば起こらないはずだ。
手が触れて恋に落ちるように、目があって言葉を交わしてしまうと私のなかで特定の分人化が始まってしまう。
他にも、コメントを数回やり取りした人のSNSフォローを外したらひどい奴だと思われるだろうな・嫌われるだろうか、と感じてしまうくらいには、やっぱりちょっと距離感バグってる。そうか私って距離感バグってるのか。ということをメタ認知できた。

極端な表現を承知で言えば、今の私は
すれ違う人に会釈されたら自分を全て見せつけたくなる露出魔であったり、
SNSで推しからイイネをもらったから私のことを好きなんだ!と勘違ってしまう素養も持ち合わせている。
やだ、相当にやべえ奴じゃん。


それが私の良さでもあると言ってくれる人もいるだろう。
最近言われるコミュ力お化けだよね、というのがそれに当たると思う・
でも再びスーパーで試食が増えてきた今、私はもう要らぬものを毎回買いたくは無いのだ。
そんなところで時間と愛想を使っている場合では無いのだよ。

社会的分人を意識して生活してみよう。

というか、そもそも私に社会的分人ってあるのだろうか?
もしかしたら無いかもって思ったりする。
そこからかー。


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