渡米して、向こうの知識を得てさらなる成長をと思っていたら、いつの間にか自分のやり方を構築して、国際間の差異を説明できるようになっていた。そんな高橋洋一さんのような留学が一番カッコええな。ワイもあやかりたい。
大学入試、頑張ってる受験生は数学に物理に気を吐いてる気合いまっしぐらなシーズンだろう。かくいう僕もテキスト読み込んで過去問解き明かしてる最中で、正に天王山な時期なのである。共通テストもその後の本試験もひたすらしがみつくしかない。養老孟司さんのバカの壁を読みつつ、休み休み行こ。
人が紡ぐ歴史の中で、信仰心や偏見、差別の多くが文明そのものの排斥を意図せずして呼んだと考える。ましてや、一人の指導者が選りすぐりのエリートを集め、それを官僚として知恵袋として重宝し、大きな組織を動かしていく近代の国家像というのは、偏に多くの軋轢も生じただろう。義とは何かを考えたい
ボストンはいかにもお勉強の街という感じだったな。日本でいう御茶ノ水みたいな。御茶ノ水を茶水って略す気風には反旗を翻したいけど。学生街は公認会計士とか司法試験とかの予備校があり、ご飯食べる処もあり。ボストンのフェンウェイパークは楽しかった。危なく窃盗されそうになったけど、財布。
最近グランメゾン東京の録画を夜中に観る。好きなのは4話と7話と8話。最終回も捨てがたいが、努力と天才のぶつかり合いは学業でも実社会でも熱いテーマである。頑張れば出来るを信じられるのは小学校低学年まで。少しおませなキッズなら、早々に努力の限界はあると気付く。それに気づけないと悲惨。
真珠湾攻撃を日本の醜悪さの代名詞みたいに語る西洋の人々よ。日本から見たらアメリカと支援諸国と一戦交えるのなら、あれくらいの不意打ちをして和平交渉に持ってかなければ、とても日本に勝ち目はない事をまず理解してくれ。ゼレンスキー大統領、あなたも。寧ろウクライナにとっては逆転の手だ。
好きな科目ばかりやるのは良くない、という意見がある。特に中高生で言われるアドバイスだろう。自分もひたすら物理と英語に執心してたが、ときに数学を挟んでみると、ガラリと物の見え方が変わった。証明のやり方は大きくその当時の自分に影響を与えた。ここから証明しないと相手に伝わらないのかと。
ふと、社会科学のファジーさに開き直るときってあるんだなと気付く。自然科学と違って定量的でないから、議論のあちこちに綻びを見せる事が多い。理屈の積み重ねより、実は数字を出すデータが破壊力を持っている。ただそれも数値をどう解するかで、議論は左右されるけど。という訳で、語るに落ちる。