ボストンはいかにもお勉強の街という感じだったな。日本でいう御茶ノ水みたいな。御茶ノ水を茶水って略す気風には反旗を翻したいけど。学生街は公認会計士とか司法試験とかの予備校があり、ご飯食べる処もあり。ボストンのフェンウェイパークは楽しかった。危なく窃盗されそうになったけど、財布。
真珠湾攻撃を日本の醜悪さの代名詞みたいに語る西洋の人々よ。日本から見たらアメリカと支援諸国と一戦交えるのなら、あれくらいの不意打ちをして和平交渉に持ってかなければ、とても日本に勝ち目はない事をまず理解してくれ。ゼレンスキー大統領、あなたも。寧ろウクライナにとっては逆転の手だ。
最近グランメゾン東京の録画を夜中に観る。好きなのは4話と7話と8話。最終回も捨てがたいが、努力と天才のぶつかり合いは学業でも実社会でも熱いテーマである。頑張れば出来るを信じられるのは小学校低学年まで。少しおませなキッズなら、早々に努力の限界はあると気付く。それに気づけないと悲惨。
ふと、社会科学のファジーさに開き直るときってあるんだなと気付く。自然科学と違って定量的でないから、議論のあちこちに綻びを見せる事が多い。理屈の積み重ねより、実は数字を出すデータが破壊力を持っている。ただそれも数値をどう解するかで、議論は左右されるけど。という訳で、語るに落ちる。