最近(2009年春)、話題になっている本です。
著者の中谷巌氏は、「経済戦略会議」での主張をはじめとしていわゆる「構造改革」路線を積極推進した中心人物でした。
その中谷氏が、本書で、「新自由主義」に基づく自らの考えを改め、マーケット至上主義・グローバル資本主義の問題点の指摘、さらにそれらが生起させた弊害に対する改善提言を行なったのです。
氏自ら、本書を「懺悔の書」と称しています。
新自由主義の思想は、“機会の平等”を前提に自由競争を促し、その結果をすべてと考えます。
著者は、こういった自由競争が、所得格差を生み、地球環境破壊を引き起こし、社会生活を大きく変容させるに至ったと指摘しています。
たとえば、格差拡大に関する日本の実態です。
また、社会の相互扶助機能の喪失についての指摘です。
本書のタイトルは、「資本主義はなぜ自壊したのか」ですが、必ずしも「資本主義」が、その経済の基本パラダイムとしての意味をなくしたのではありません。アメリカ発の特殊な「グローバル資本主義」と言われるものが問題視されているのです。
従来の資本主義とグローバル資本主義との間には大きな質的な違いがあることは、本書でも指摘されています。
グローバル企業は、世界の中で最も安価な労働力のある国に生産を移していきます。そしてその恩恵は、その結果利潤を得る人及びその製品を消費する人にもたらされるのです。そうして世界中に格差拡大の悪影響を及ぼしていくわけです。
そういったグローバル資本主義の特性を踏まえ現実的な対応策を考えると、そこにはローカル資本主義との適度な並存がひとつの解として浮かんできます。
さて、最後に本書。いくつかの有益な論考もありましたが、正直なところ、著者は本当にこんなに単純な「ステレオタイプ思考」をされていたのかと驚く部分もありました。
後者の例では、たとえば、以下のようなアメリカ的資本主義の成立経緯についての記述です。
本書の後半部で示されている「日本は環境立国になるべき」という提言も、根本の発想の始点に不安を感じざるを得ません。
先日、「反貧困」という本を読みましたが、そこで指摘されているような「現実」を、著者はどこまで理解しているのか・・・
こういう記述を目にすると、著者が、本書の前半で、自ら明らかにした新自由主義信奉に至った道程、すなわち、1970年代以降の「豊かなアメリカの夢社会」への思い入れと、未だに思考スタイルの根っこは変わっていないように感じてしまいます。
そして、本書から10年以上の歳月を経た今日、当時指摘されていた「格差問題」が何ら解決されることなく、さらに悪化の一途を辿っている現状を見るにつけ、歯車を反転させるいかなるアクションがあるのか・・・。
重要な転機だった先の総選挙の結果をみても、今一層の意識改革の必要性を痛感します。