人気の記事一覧

日露戦争後、何が起きていったかが意外と知られていないので当時の新聞から。

秋風とともにタイムスリップ:博物館明治村で感じる明治の歴史と紅葉

21時間前

樺太鉄道とロシアパン

小村寿太郎を学んで神田うのを思い出す。【宮崎県飫肥城巡りの旅】

「北方領土返還要求運動強調月間」の札幌と岩見沢―イベントと展示を少しだけ見る―(2023年8月。写真中心。その2)

「北方領土返還要求運動強調月間」の札幌と岩見沢―イベントと展示を少しだけ見る―(2023年8月。写真中心。その1)

連載日本史205 日露戦争(3)

2022年9月5日(月) もしも明日が。

【百年ニュース】1921(大正10)12月31日(土) 元駐日ロシア公使ロマン・ローゼンが死去。日露戦争開戦当時の駐日公使でポーツマス講和会議ではロシア全権代表セルゲイ・ウィッテとともに日本側と交渉に当たった。ロシア革命後はニューヨークで暮らした。12月14日晩に六番街でタクシーに轢かれ回復せず。

19 日露戦争と日露講和条約

20 日露戦争後の国際関係

ちゃんとつながる! 日本の歴史の流れ 第10章 日清戦争~日露戦争の流れ

ポーツマス条約調印のテーブル

3年前

今更聞けない!アジアを変えた日本海海戦の戦い。

3年前

大正時代を考える~デモクラシーの隆盛と終焉に見る近代日本の分水嶺~②

4年前

ムラムラの紛らわせ方

日露戦争中の1905(明治38)年6月、日本海軍はロシアのバルチック艦隊を破った。だが戦争継続の余力を失った日本は、同様に疲弊したロシアに対する停戦の斡旋を米国のルーズベルト大統領に申し入れる。 同年9月5日、米国ニューハンプシャー州ポーツマス近郊にて両国の講和条約が締結。

❖関ヶ原の戦卵(せんらん?)❖ まいに知・あらび基・おもいつ記(2021年12月23日)

外交家列伝③ 小村寿太郎(1855~1911年)