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自由社VS学び舎 7.日露戦争(3)
日本は、明治天皇のロシアに対する宣戦布告の詔書にありますように、安全保障上のため、朝鮮の保全とロシアの満洲からの撤兵という戦争目的を達成し、この戦争に勝利しました。
学び舎には全く書かれていませんが、自由社は、「日露戦争は、日本の生き残りをかけた戦争だった」と記述しています。(195P)
日本が負けたらロシアや西洋に支配されるという危機意識が一般の人々にもありました。このとき清国は、ロシアと秘密のうちに同盟を結び、ロシア側だったことが後で明らかになりました。日本は清国に賠償金を要求できる立場にいたのです。
自由社は、バルチック艦隊と遭遇したことを石垣島まで知らせに言った5人の青年をたたえている久松五勇士を紹介してます。
さらに「世界を変えた日本の勝利」の見出しで、ロシアに圧迫されていたトルコ、フィンランド、ポーランドの人々に勇気を与えたと記述しています。
ポーツマス講和会議で戦争は終了し、日本は、朝鮮半島の主導権をロシアにみとめさせた。また、中国の遼東半島南部の租借権、南満州にロシアが建設した鉄道の権利を譲り受け、南樺太の領有を認めさせた。
日露戦争に勝利した日本は、世界の列強の仲間入りをしたものの、西洋諸国から警戒心をもって見られるようになった。そして、黄色人種は将来白人種の脅威になるという黄禍論が欧米に広がるきっかけとにもなったと自由社は記述しています。
早速日露戦争の3年後アメリカは、16隻もの戦艦をつらねて横浜港に入港します。明らかに長崎事件のように日本に対する威圧です。
そして、北満洲と蒙古がロシアの勢力圏となったことが後の日本の危機を再び生じさせます。次回は、満州事変です。