手奇塾 おとなが知らない各社教科書(歴史・公民)をやさしく徹底比較
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「最門司さくらの憂国日記」授業で教える ロシア・ウクライナ紛争(後編)
今回は授業で教える、ロシア、ウクライナ紛争の後編です。この紛争は4月30日現在、残念ですがまだ続いています。そして長期化すると予想されています。ところで、ジョージアの時は、ロシアはすぐ介入しましたが、ウクライナではそうしませんでした。 2014年にウクライナの内戦が始まり、翌2015年2月に、停戦合意が隣の国、ベルラルシーのミンスクで成立しました。しかし、大規模な戦闘は止まったものの、ミンスク合意後も、なぜか合意無視の戦闘が断続的に続いていたのです。そもそもヤヌコビッチ大統領は、2010年から2014年までウクライナの大統領でした。彼は日本や中国を訪問しています。選挙公約の一つが、ロシア語を第二公用語にするというものでした。 実際この公約が成立して法律になります。これはウクライナ南部、東部に多く住む、ロシア語住民のためでした。そのためしん露派の大統領と言われました。しかし、ジョージアがそうであったように、過激民族主義者達は、わざと国を分裂させるような動きをし、この法律に反対します。 やがてオバマ大統領・バイデン副大統領の時の米国の介入もあり、マイダン革命と言われる暴力クーデターで、親露派といわれたヤヌコビッチ大統領は失脚させられ、臨時の大統領、そしてポロシェンコ大統領、そして今のゼレンスキー大統領になったわけです。ドネツク、ルガンスクやロシアは、未だにこの暴力的クーデターは、外国勢力が加担したとして認めていません。 2014年2月23日、政権交代の翌日、この第二外国語をロシア語とする法律の、無効宣言がされました。そのため南部や東部のロシア人たちは怒りました。さらに親ロシア派の住民が、南部の街オデッサでイベントをしていると、過激民族主義者達がこれを襲い、約50にんの人々が、虐殺されたのです。その後東部2州は、国民投票の結果、独立宣言をします。ゼレンスキー政権は、これら東部ドンバス地区の分離独立を許しません。 ウクライナ政府、軍、警察の中にも過激民族主義者が浸透し、かれらの発言力が強くなっていたこともあって、市民の犠牲を伴う、激しい内戦になりました。国連人権高等弁務官事務所が発表した、報告書によれば、2014年4月半ばに、ウクライナ東部で紛争が勃発して以来、合計で少なくとも7962にんが死亡し、少なくとも1万7811にんが負傷したとされています。 このような中、分離独立宣言をした、ドネツク人みん共和国とルガンスク人みん共和国を、ロシアが承認して、両国の要請と称してこの2国を支援する、軍事介入をとうとうおこなったというわけです。要請を受けて軍を派遣したので、侵略ではないというわけです。また、戦争でもないので特殊軍事作戦と言っているわけです。 日本もアメリカもマスコミの報道は、8年前からのこれらの出来事を報じずに、今になって突然ロシアが軍事介入したように報道して、侵略だと言っているわけです。トランプ大統領からバイデン大統領に代わって約1年後のできごとです。最初ロシアは、シリア国内のアメリカ軍の様に平和維持軍といっていました。 これに対し、西側諸国とわが国の岸田政権は、ウクライナを侵略した、力による現状変更という見方をして、ウクライナに改めて武器援助をし、ロシアに対して経済制裁を科しています。武器を援助することは、国際法上敵国とみなされますので、わが国も制裁に参加し、防弾チョッキや円借款を提供しましたので、ロシアの敵国になりました。国会の決議もなく、国民の知らないうちに、いつの間にかロシアの敵国になってしまったのです 民主主義国家としては、問題にしてもよい話ですが、何らかの深い事情があったのではないでしょうか。そしてロシアから平和条約や北方領土交渉の打ち切りを宣告されてしまいました。3月にはロシア太平洋艦隊が、津軽海峡を通過しましたし、4月には、ロシアの潜水艦が日本海に向けて巡行ミサイルの発射実験をしました。敵国ですから、ここで日本の都市が攻撃を受ける危険もありましたが、それはさけられました。 4番目の、生物兵器の研究所は、元々はソ連時代からの研究所で、ソ連が引き揚げた後は米国の資金で運営されていたようです。ロシアからすればやめて欲しいところでしょう。今のところ生物兵器研究所については、どちらの言い分が正しいかわかりません。同じく、過激民族主義の奨励とはなんでしょうか。これは、公安調査庁のホームページですが、アゾフで検索しますとこのような記述が見つかります。 ただし、今はこの部分は、日本政府の方針で削除されています。これはNATOが発表したウクライナ軍の女性兵士の写真です。よく見ると過激民族主義者のマークの、黒い太陽の紋章があります。ウクライナと周辺諸国に、過激な民族主義者がいることは事実で、アゾフ大隊という準軍事組織が、その後ウクライナの戦車や装甲車を持つ保安警察部隊となって、ロシア軍と闘っているのも事実です。本部はマリウポリにあります。 そして、彼らがロシアのプーチン大統領を怒らせるほどの、ヒドい仕打ちをしんロシア派の住民に対し、おこなっていたのも確かです。ロシア軍は、マリウポリ市を包囲して彼らを追い詰めました。このアゾフ大隊の司令官や、ウクライナ軍幹部22にんを、逮捕して、ロシアで裁判にかけようとしています。さて、ロシアの言い分の2と3は関連があります。これこそプーチン大統領が、多くのロシア国民から支持をされている大きな理由です アフガニスタン、イラク、リビア、シリアもみな、英米が民主主義を広めるという大義名分のもとで、反政府勢力が政府を倒してしまう、暴力的クーデターが起きたのです。シリアだけはロシアの軍事援助があり、反政府勢力は駆逐されて助かります。シリアはロシアに対し恩義がありますので、今回のウクライナの紛争にも義勇兵を派遣しています。英米のエリート達は、ロシア民族とロシアの文化を、今でも差別しているといわれています さらにプーチン大統領の前の時代に、英米の大資本家達は、ロシアを民主化するという大義名分を掲げ、ロシアの豊富な天然資源を利用して、英米人を含む少数の人達が、しふくを肥やしたことがありました。プーチン大統領は、これらのひと達から、ロシアの富を国民の財産に、力ずくでもどしたのです。ですからプーチン大統領は当然彼らに恨まれています。 どうですか、プーチン大統領は侵略者ですか、それともロシアの国民と文化と資源を守る、愛国者なのでしょうか。シリアの許可なく駐留しているアメリカ軍は、侵略者ではないのでしょうか。これは難しい問題ですが、ヒントがあります。 安倍首相は、当時国会答弁で「国際法上の侵略の定義については、様々な議論が行われており、確立された定義があるとは承知していない」「国際連合、総会決議第3314号、及び国際刑事裁判所に関する、ローマ規程に関する御指摘の改正決議が「国際的な合意に相当するかどうかについて、一概にお答えすることは困難である」などと回答しています。 つまり我が国の立場は、侵略とはこういうものであるという定義は、まだ国際的な合意ができていないという立場です。ですから結論は、米英、ウクライナの側に立てば、ロシアは侵略をしたことになり、ロシア、ドネツク、ルガンスク人みん共和国の立場に立てば、侵略ではなく、独立のための紛争の援助で、侵略しているのはウクライナということになるわけです。みなさんはどちらの側にたちますか?それとも中立の立場にたちますか? ロシア、ウクライナの戦争が一日も早く停戦となって、問題が解決されて、平和が来ることを願っています。それでは、皆さんさようなら。
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「最門司さくらの憂国日記」ロシア・ウクライナ紛争(前編)
ロシア・ウクライナ戦争を冷静に報じないマスコミ 日本人は、猫も杓子もロシア非難一色の様子。マスコミは、戦時プロパガンダで、かつての執拗なモリカケ、花見報道と同じだ。3月23日のウクライナ大統領の日本の国会演説で、彼が絶対言えなかったことがある。米国の干渉と過激民族主義者の軍、政治への浸透や彼に反対している選挙で選ばれた親露派議員の自宅軟禁などだ。経済制裁でも英米を信用しないサウジ、インド、ベトナムは不参加。在日ウクライナ大使館が、戦闘ボランテイアを募集して、日本人70人が応募したという。すでに、米国など各国から義勇兵がウクライナで戦闘しているという。1日の日当は、千ドルから二千ドルという。しかし、入金が全くないという傭兵もいるらしい。かつてシナ事変でも米国義勇兵が戦闘機とともに日本のゼロ戦、隼と空中戦をしていた。フライング・タイガースだ。真珠湾よりも1年早く日米は戦争をしていたのである。その後彼らは部隊復帰している。そのためプーチン大統領は、義勇兵は、捕虜の待遇を受けられないと警告した。戦時国際法に従っただけである。 米紙によれば、当初キエフ陥落の時は、ゼレンスキー大統領を亡命させて、政権引き継ぎで戦争継続させるつもりでいた。米国は、どうしてもロシアを疲弊させるつもりらしい。支那事変で蒋介石を南京から重慶に避難させ、戦争を長引かせ、日本を疲弊させたことを想起させる。その後大東亜戦争になったが、ロシアが疲弊した頃、次にロシアに再び降りかかるのは何か?大日本帝国解体同様にロシア解体かもしれない。まったく正義も道義もありはしない。 戦争の半年前にアチソン国務長官が、アメリカの防衛線はアリューシャンから日本を通ってフィリピンにいたる線であると演説した。ソ連も中国も北朝鮮も台湾と朝鮮半島が入っていないことに注目し侵攻した。 今までアメリカは、NTOを東方に拡大するばかりでなく、ウクライナを通じてロシアに対し、大いに挑発してきた。ロシア・ウクライナ戦争の直前、2度もバイデン大統領は、ウクライナに米軍は、派遣しないと言明した。我慢に我慢を重ねてきたプーチン大統領は、やはり朝鮮戦争前の アチソン宣言のときのようにここに注目した。 さて、今米国民主党は、中間選挙で大敗が予想されているが、中国に対し、議員を訪台させるなどの挑発をエスカレートさせている。中国が絶対に台湾進攻をしなければならない条件は、台湾独立である。米国が台湾を国家として承認。その後ある日突然、米軍は、第一列島線を超えないとブリンケン国務長官が宣言する。習近平がこれに注目しないはずはない。中国経済が停滞している中で、台湾、先島諸島、尖閣を侵略するだろう。わが国は、米軍が出ない以上何もできない。日本海ではロシア、北朝鮮が軍事演習。米国は日本に欲しいだけの武器を売ると約束。正にわが国の存立危機だが、自衛権を発動したとたん、どこかに核弾頭を落とされ、三回目の被爆国となる。
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「最門司桜の憂国日記」【手奇塾】歴史戦に対応できない外務省
強制連行:https://www.youtube.com/watch?v=QIi70a_fd30 なかった南京事件:https://www.nicovideo.jp/user/17559649/video?ref=pc_userpage_menu 最門司さくらの憂国日記。今回は、反日用語不適切を閣議決定、それでも歴史戦に対応できない外務省です。 歴史戦とは、学術論争などではなく、中国や米国、韓国北朝鮮、そして一部マスコミなどの、日本を誹謗中傷する政治宣伝に対し、それに反論する情報戦争の一つといってもよいでしょう。もっとも日本政府の反論は、主に対外関係のためか、外務省の役割になっているようです。 〇〇大虐殺、従軍慰安婦、性奴隷、強制連行、徴用工、奴隷労働などの反日宣伝用語が作られ、一部マスコミや反日と言われる人々によって、国内だけではなく、世界中に宣伝されています。しかし、過去の外務省の対歴史戦の戦果を振り返ってみますと、必ずしも成果を上げているようには見えません。それどころか、一体外務省は何をしているのかと疑ってしまうことも、数多くありました。 ごく最近の例では、新潟県の地元のヒトたちの働きかけで、佐渡島金山を、世界文化遺産に登録しようとする動きが、政府内部にありました。これに対し外務省は、佐渡島金山の登録推薦を、見送る動きをしたのです。理由は、政府の推薦前に「当事者間の対話を促す指針が、世界遺産委員会にあるからということのようです。 当事者とはいうまでもなく韓国、北朝鮮で、戦時中、佐渡島金山は、朝鮮半島出身の労働者が、強制的に動員されて、過酷な労働に従事させられていた場所であるとして、登録に反対したのです。正に歴史戦をしかけてきたのです。外務省は、韓国、北朝鮮が反対しているので、登録の見込みが立たないと判断して、今回は見送るといい、韓国や北朝鮮などに反論する機会を逃すところだったのです。 菅内閣が、国会の答弁書を閣議決定し、もはや、従軍慰安婦、強制連行、強制労働という、韓国、北朝鮮や日本の教科書、マスコミがよく使う反日的な用語は、不適切だと決定しているにもかかわらずです。歴史や公民教科書からも、これらの反日用語は今後消えていかねばなりません。外務省は、歴史戦、情報戦をさけて、岸田首相は、世界文化遺産登録を推薦しないことを一度は決定したのです。 しかし、このような外務省の態度は、韓国の嘘の主張を認めることになるということで、各方面から猛反対が起こりました。 例えばツイッターにはこのような例がありました。そのため岸田首相も考えを一転させて、2月1日、国連教育科学文化機関、ユネスコに、佐渡島金山登録の推薦書を提出しました。またも外務省の国益を深く考えない行動が、混乱を招いてしまったのです。 2017年7月、韓国で韓国映画、軍艦島が封切られました。もちろん内容は、フィクションですが、例によって半島から強制的に日本に送られ、奴隷労働を強いられたというものです。見たひとは、あたかも事実であったような強烈な印象を受け、反日意識を大いに高めたでしょう。 韓国は、平成27年に世界文化遺産登録された、長崎市のはしま炭鉱、いわゆる軍艦島の徴用工問題を、佐渡の金山にも持ち込んで、日本に言いがかりをつけていることは明らかです。しかし、以下の事実は、外務省の資料に明記されていたのですが、怠慢の故でしょうか、国会で高市早苗議員が要求してようやく出してきた資料です。 終戦直前に日本にいた朝鮮出身者は、約100万にんで、このうち70万にんは、自ら職を求めて日本に来た人達と、その後生まれた子供で、30万にんが、鉱工業、土木事業の募集に応じて、自由契約で渡来した人達でした。このころの戦時徴用労務者は、245にんで、所定の賃金などは支払われていたと資料に書かれています。 しかし、マスコミがほとんどこれを報道しないので、日本人の中でもこのような事実を知っているひとは、少ないのではないでしょうか。また、2018年10月、韓国の最高裁判所は、いわゆる強制徴用賠償判決で、新日本住金に賠償を命じたのです。しかし、麗澤大学の西岡力教授によれば、裁判の4にんの原告の中に徴用工は一人もいなかったそうです。 教授は、日韓の反日勢力は、法に基づく徴用工動員が「強制連行による奴隷労働だったというウソをまき散らしてきたとおっしゃっています。外務省は、韓国、北朝鮮が宣伝する徴用工について、奴隷労働という嘘に反論しなければならないはずです。 ところが外務省のホームページには、旧朝鮮半島出身労働者問題というページがありますが、徴用工の実態について説明はなく、とても反論とは言い難い内容です。また慰安婦についてのホームページも同様に、謝罪したとか基金をつくったとかで、吉田清治証言は虚偽で、朝日新聞は謝罪したとか、慰安婦は性奴隷ではないとか、もと慰安婦の強制連行証言は事実ではないなどの反論は全くありません。 1996年、国連人権委員会のクマラスワミ氏が、慰安婦は強制連行された性奴隷だったという、ウソを作り上げた戸づか弁護士の要求を取り入れた、報告書を提出しました。このときも外務省は、なぜか反論らしい反論をしなかったと言われています。その結果、2007年には米国議会下院と欧州議会が、日本政府を非難する慰安婦決議を採択したのでした。これも外務省の怠慢の結果まねいた事態といってもよいのではないでしょうか。 これは南京大虐殺(南京事件のホームページです。誤解される文章で、今でも存在すること自体が有害なホームぺージです。削除すると米国からお叱りを受けるのでしょうか。戦後76年間歴史戦に負け続けてきた日本ですが、ようやく海外でも歴史の真実を研究する学者が現れて、論文発表や本を出版するなど、流れが変化し始めています。 例えば、米国の有名な法学者で、日本研究者の、米ハーバード大学のラムザイヤー教授は、慰安婦が売春婦であったことを示した学術論文を発表しました。韓国でもソウル大学の、イ・ヨンフン名誉教授が、戦時中の慰安婦は、強制連行や性奴隷でなかったと主張する「反日種族主義という本を出版しベストセラーになりました。 そして、キム・ビョンホン氏は「ウソだらけの虚像を剥ぐとして、『赤い水曜日を出版したのです。もちろんこうした勇気ある人達への嫌がらせや誹謗中傷も起きています。それでもこうして、米国や韓国でようやく慰安婦運動の偽りの暴露や批判が始まったのです。私たちは、このような人達とともに手を携えて、歴史戦を戦い、米国や韓国、中国、日本などの特定勢力による日本米国韓国の関係を分断しようとする工作を防がねばなりません 中国は、南京事件だけでなく、様々な場所に記念碑などを作り、日本と日本人を悪く言う、反日教育をおこなっていますので、中国人の中には、今度は東京大虐殺だとネットに書き込むものもいました。中国人教師が、授業で〇〇事件に疑問を述べると、職を解かれたり、精神病院に送られてしまいます。外務省は、大東亜戦争開始時に、米国への宣戦布告が予定よりも遅れるという、大失態を演じていますが、誰も責任を取っていません。 お陰でパールハーバーの奇襲攻撃は、スネークアタックと揶揄され、米国の大統領や議員は今でも時々、パールハーバーを演説や声明の中で引き合いに出しています。真珠湾以前に米国は日本に戦争を仕掛けていたにもかかわらずです。 米国、中国、韓国などが、わが国の歴史を歪めて、宣伝していることに対して、国は外務省に任せずに、歴史戦の専門組織を設立し、世界の人々に一つ一つ事実を丁寧に証明していき、理解してもらうことが重要ではないでしょうか。コメント欄に、強制連行、なかった〇〇事件の動画のURLを載せてありますので、ご覧いただければありがたいです。
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「危ない公民教科書」 皇位継承
「危ない公民教科書」第2回は、退位と書く東京書籍、譲位と書く自由社、そして天皇制という共産党です。前回、教科書も情報戦争の一つの手段となっていることを学びました。今回の学習は、皇位継承です。最近の朝日、毎日、NHKなどの新聞やテレビは、愛子天皇誕生の印象操作をしているのではと疑ってしまうほどです。 しかし、これは、後で述べますように、皇室典範第1条の、皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承すると明記されている法律に反しています。これも外国勢力が喜ぶ、世論を誘導しようとする情報操作かもしれませんね。それでは教科書を比較していきましょう。これは東京書籍の公民教科書の索引ですが、天皇は5ページです。同じく自由社は、4ページとなっています。 これだけですとどちらの教科書も、同じように見えますが、自由社は、天皇の国事行為などに関連するコラムも入れますと、6ページにもなります。しかし、東京書籍の方は、天皇の文字だけが出て、説明がないページを省くと、天皇についての説明は、僅か10行の記述になっています。実際に比較してみましょう。なんと東京書籍は、天皇の記述よりも、アイヌの記述にかなりのページを費やしているのです。 なぜ東京書籍の公民教科書は、天皇についての記述が自由社と比べて極端に少ないのでしょうか。生徒諸君に天皇について教えたくないようにみえてしまいます。東京書籍は、大きな見出しではなく、小見出しで「象徴としての天皇を記述しています。しかも東京書籍は、側注で天皇の退位といっているのです。 これに対し自由社は、平成の譲位と記述しているのです。単に生徒諸君に天皇を詳しく教えたくないだけではなく、譲位を退位と記述したり、象徴に鍵かっこを付けている意味はなんでしょうか。何か意味がありそうです。ここに教科書執筆者の意図を感じてしまいます。東京書籍の教科書は、天皇について詳しく記述しないわけですから、皇位継承や皇室典範についての説明がなくても不思議ではありません。 自由社は、68ページで「今後も皇位を安定して継承できる仕組みの、法制化がまたれている、と記述し、69ページで、皇位継承儀式・大嘗祭の儀に向かわれる天皇陛下のお写真と説明を載せています。さらに皇室典範の要約を巻末に乗せています。先に延べましたように、皇室典範、第1条は、皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承するとあります。生徒諸君の多くが、これをしらないのではないでしょうか。 つまり女系天皇ではなく、男系天皇を法律でめいきしているわけですが、東京書籍はこれを生徒諸君に教えたくないのでしょう。令和3年12月、皇位継承有識者会議の報告書が政府に提出されました。この有識者会議は、当然ですが、皇室典範にあるように、次世代の皇位継承資格者として、悠仁親王殿下がおられることを前提に、皇位継承の流れをゆるがせにしてはならない、ということで意見が一致したそうです。 悠仁親王殿下の、次代以降の皇位の継承については、1,女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保持する、2,皇族の養子縁組を可能とし、皇統に属する男系男子を皇族とするとして、男系継承を明確にして、皇族数の確保を柱としています。1と2とで、女性天皇と女系天皇を婉曲に否定していますが、皆さんはどう思いますか?皇室典範第9条では、皇族は養子を認められていないので、自由社の記述にあるように法改正が待たれます。 これに対し、立憲民主党は、女性天皇、女系天皇、女性宮家の創設について、報告書はなにも示していないとし、反発しています。令和元年のときは、女性天皇や女系天皇を認めていたのは共産党だけで、他の野党は難色を示していたのです。しかし、今は、前回の総選挙で立憲と共産が共闘したためか、立憲民主党も、共産党と同じように、女性天皇や女系天皇を主張するようになったのです。 我が国の歴史上、女性天皇の時代はありましたが、女系天皇は存在したことがないばかりか、避けられてきました。そして、現在愛子天皇から女系天皇へという、マスコミによる世論誘導が見られるようです。しかし、我が国の歴史は、初代神武天皇から、126代のきん上陛下まで、男系でつながっているのです。これを男系継承といいます。英語ではメイルラインサクセションです。 公民教科書では、自由社以外、国家や宗教をほとんど取り上げませんので、日本はどういう国なのか、生徒諸君は教わることはできません。そのため外国人に日本がどういうくにかを、説明できる生徒諸君は少ないでしょう。なぜ公民教科書は、天皇や国家を詳しく記述しないのでしょうか。やはり、教科書会社の姿勢、執筆者の思想と関係がありそうです。 また、教科書会社もたくさん教科書を売りたいので、学習指導要領に沿って、かつ売れそうな記述をしているのかもしれません。どの教科書を採用するのかは、各自治体の教育委員会に任されていますが、実際には声が大きい教職員組合の影響が強いといわれています。つまり左寄りの先生が好む教科書が、売れる教科書なのでしょう。そのように考えますと、公民の教科書に天皇や、国家の記述が異常に少ないのもわかる気がします。 最後に日本という国はどのような国でしょうか。時代とともに変わってきたものもあります。また、時代が変わっても変わらずに、今でも続いているものはたくさんあります。それらは何かを知ることで、日本という国の本当の姿が見えてくるでしょう。中でも天皇は、日本という国と一緒に、時代が変わっても変わらず続いてきました。共産党は、天皇を制度とみなし、天皇制と呼び、変えられるものとしてとらえています。 しかし、多くの国民は、天皇は制度などではなく、単なる象徴でもなく、長い長い年月を通して受け継がれてきた、日本国の権威ととらえます。帝国憲法でも現在の日本国憲法でも、天皇を立憲主義の元首と考え、権力から分離した権威と考えることができます。その権威は、国民全体の総意に基づいて、日本および日本国民統合の象徴として、特別な地位についていらっしゃるわけです。 この特別な地位は、神話の時代から現在まで続いていることは誰も否定できません。ギリシャ文明もローマ文明も、今はもうありませんし、神話の時代から続いている王朝も、他にはありません。しかし、日本文明と天皇は、神話の時代から現在までずっと続いているのです。ですから日本は、世界でもまれな奇跡の国、日本と言えるわけです。天皇のお仕事は、国事行為以外にも大切なお仕事があります。 中でも一番大切なお仕事が、国平らかに民安かれと、国民のために毎日祈られることです。最後に東京書籍の国事行為と、自由社の国事行為を比較します。どちらがよりよく天皇の国事行為を理解できるでしょうか。これは天皇の権威を理解することにもつながります。また、外国では天皇を元首としてお迎えしていることも、皆さんは自然に理解できるでしょう。それでは終わります。
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「危ない公民教科書」 情報戦と公民教科書
再投稿して教科書画像の一部を訂正しました。深くお詫び申し上げます。 手奇塾ニコ動:https://www.nicovideo.jp/user/17559649 手奇塾チャンネルyoutube: https://www.youtube.com/channel/UC0ykxG932FVl3OnbAxu0ZDg あぶない公民教科書。第1回は、情報戦争と公民教科書です。公民とは公の民の意味ですが、これに対する言葉は私です。私達は、オオヤケとワタクシの2つの面を持っています。公民の教科書を学ぶとは、平たく言えば今の社会の仕組みの基本を学び、自分はその社会を作っている一人であることを、自覚することということができます。 ただし今の社会は、長い長い日本の歴史の上に成り立っている社会です。そしてこれからも変化していくものと、あまり変わらないものがあるでしょう。また、変えたくないものや、変えてはいけないものがあるかもしれません。例えば神社のお祭りとか、除夜の鐘とか、元日の初詣でとかはこれからも続いてほしいですね。 日本の社会を学ぶときに、日本という国はどのような国なのかを知っておく必要があります。みなさんは、日本が、どんな国だと思いますか。日本という国が好きですか、すぐに答えられない生徒諸君がいるかもしれません。しかし、安心してください。この講義を最後まで学んでいけば自然に答えられるようになるでしょう。 生徒のみなさんは、情報戦争という言葉を聞いたことがあると思います。情報の中には真実の正しい情報がありますが、中には怪しげな情報や、偽物の情報も含まれています。また皆さんのパソコンやタブレット、スマートフォンなどから、皆さんの個人情報やお友達の情報が、知らない間にコピーされて、外国のサーバーに記録されてしまうこともあります。個人の情報だけでなく、企業や国の秘密の情報も盗まれてしまうことがあります。 今では大切な情報を盗まれないようにすることが重要になっています。さらに情報を盗むだけではなく、間違った情報を拡散し、分からないように皆さんの意識を変えて、世論を誘導したりすることも実際に行われています。このような状況は、まさに情報戦争といえるでしょう。情報を発信する媒体をメデイアといいますが、テレビ、新聞、ラジオなどは大勢のひとに向け発信されるのでマスメデイアと言われます。 その中には真実の情報もあれば、世論を誘導するために流される偽情報もあります。そしてそれは、教科書も例外ではありません。特に歴史や公民、公共の教科書は、皆さんの歴史や社会に対する知識を形成する大事な情報媒体と言うこともできます。もし、ここに間違った情報が記述されていたり、重要な情報が記述されていなかったりしたら、皆さんの知識は間違った、狭いものになってしまうでしょう。 来月、冬季北京五輪が始まります。アメリカやイギリス、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、リトアニアなどは、中国がチベット、ウイグル、南モンゴル、香港などで著しい人権侵害をしているということで、政府高官を派遣しないという、外交ボイコットを決定しました。日本は敢えてボイコットとはいいませんが、派遣しない方向です。 朝日新聞や毎日新聞などと同様に、東京書籍は、この中国の人権侵害の、チベット人、ウイグル人、モンゴル人などへの虐待を全く記述していませんが、自由社の公民、歴史教科書は記述しているのです。東京書籍で学ぶ生徒諸君は、なぜアメリカやイギリスなどが、北京五輪の外交ボイコットをするのか、詳しくわからないでしょう。 教科書の違いを知る方法は、最後の方にある索引をみてみることでもわかります。東京書籍のア行を見てみましょう。一番最初にアイヌが三つ並んでいます。自由社の索引にはアイヌが一つもありません。あるのは愛郷心と愛国心です。逆に東京書籍には愛郷心や愛国心はありません。次に、このぎょうの、国という漢字のところを見ますと、東京書籍も国という漢字がたくさんありますが、国家とか国益という文字はみあたりません。 自由社の索引には出てきます。
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第13回 敗戦と東京裁判史観からの脱却 後編
東京裁判史観ということばを、はじめて使われたのは、東京大学名誉教授の小堀けいいちろう先生といわれています。平和に対する罪と人道に対する罪は、ポツダム宣言が発せられたときにはなかった、明らかに事後法でした。後からつくった法律でひとを裁くことができないのは、近代法の大原則です。これだけで、東京裁判は、法律を無視した、裁判とはいえない裁判だったということができるでしょう。 敗戦後76年もたった現在でも、なぜ東京裁判をわが国政府は、完全に否定することができないのでしょうか。これは外務省のホームページです。「東京裁判は、戦後連合国が、日本人の重大戦争犯罪人を裁くために、設置された裁判で、28名が平和に対するつみや、人道に対するつみ等により起訴され、病死または免訴となった者以外の25名が、有罪判決を受けたものです。 この裁判については様々な議論があることは承知していますが、我が国は、サンフランシスコ平和条約第11条により、極東国際軍事裁判所の裁判を受諾しており、国と国との関係において、この裁判について異議を述べる立場にはないと考えています。」これがわが国政府の公式見解です。重大戦争犯罪人とは敵国側の言い分ですが、そのまま使用しているのです。わずかな救いは、様々な議論があると言う文言をいれていることでしょうか。 嘗て国会で、日本は、極東軍事裁判所の判決、その他、各連合国の軍事裁判所による裁判を受諾したのか、あるいは「諸判決・裁判の効果を受諾したのか。もし判決、裁判の効果を受諾したと解釈すれば、東京裁判の内容や正当性については受け入れないが、その判決、裁判の効果については受け入れたという解釈になるが、どちらかという質問がされました。 これに対する平成18年6月16日の、政府見解は、我が国は、裁判を受諾しているというものでした。外務省のホームページもこれにもとづいて書かれているわけです。したがって東京裁判の正当性を否定することは、76年たっても政府はまだできないのです。これが英米、中ソが日本にはめた足枷です。繰り返しますが、戦後日本のすべてがここから組み立てられているわけです。日本国憲法もその一つです。 南京事件に関する外務省のホームページの「あったことは否定できないと考えています。と書かれている本当の意味もこれに基づいていることが分かります。東京裁判では、松井石根大将の責任を問うために作られた南京事件で、松井大将は有罪となり絞首刑になりました。東京裁判を否定すると松井大将は冤罪ということになるからです。また、GHQが草案を作った日本国憲法も、東京裁判の副産物と言ってよいでしょう。 現在国家公務員や警察職員などは、この日本国憲法を遵守しますという宣誓書に、署名捺印しなければならないと法律で決められています。それでは永久に東京裁判を否定し、東京裁判史観を政府も国民も脱却することはできないのでしょうか。日本政府も国民も、指をくわえて、ただ76年間穏忍自重していたわけではありません。 サンフランシスコ講和条約発効の昭和27年、1952年、4月28日の独立を待って、翌年国会は、戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議赦免要求を、共産党を含む全会一致で可決し、東条もと首相の時、外務大臣だった重光葵は、A級戦犯とされましたが、後に衆議院議員選挙に当選し、国連で演説しています。東条英機の奥様、かつ子夫人は、その後ももと首相がおられた、用賀の官舎にお住まいになられ、恩給も支給されていました 当時の国会も政府も、赦免できなくてもできるだけのことはしていたようです。また、平成27年2015年、8月14日に閣議決定を経て発表された、安倍談話では、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子供たちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりませんと決意を表明し、あの戦争に対する贖罪意識を、わが国民は捨て去ることにしました。 このように日本国憲法や、その他戦後日本にはめられた足枷は、牛歩の歩みですが、少しづつ外されていると考えることもできるのではないでしょうか。また、76年経っても成立できない、自主憲法の問題もありますが、現憲法を改正するやりかたで、前進しようとする機運が高まっていることは、世論調査でもあきらかになっています。 私達の父、祖父、曾祖父が戦った大東亜戦争を、胸を張って子や孫たちに語り継いでいきたいものです。それでは終わります。みなさん、さようなら。
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これでも侵略か 「敗戦と東京裁判史観からの脱却」
これでも侵略か、第12回は、敗戦と東京裁判史観からの脱却です。令和3年の今年は、日本の開戦からちょうど80年の年です。テレビヤ新聞は、もう戦争はこりごり、平和こそが大切だという論調で報道されていました。なぜ戦争になったのかや、そこから何を学んだのかは明らかにされませんでした。 NHKは真珠湾攻撃に参加したもと航空母艦、加賀の101歳の整備兵のかたを取材し、「どうしていまだに世界が平和になっていないのか疑問に思う。戦争を防ぐためには、相手のことを思いやって対話していくことが、何よりも大切だ」と話していましたと報道しました。でも戦争は対話、つまり外交で避けようとしても避けられないから戦争になってしまうわけです。当時日本も英米との戦争を避けようとして必死でした。 戦略家、クラウゼヴイッツも戦争論で、戦争は外交の延長と言っています。当時日本は、日中戦争で国力を消耗しているときに、英米から経済制裁を受け始めたのです。制裁だけでなく、陰で日本と戦っている蒋介石政府を支援していたのです。この時日本は、石油をアメリカから輸入して、中国の蒋介石国民党軍と戦っていたわけです。アメリカからみれば日本を生かすも殺すも石油次第でした。 唯一アメリカに誤算があったとすれば、たとえ日米間で戦争になっても米国の損害は少なく、まさか3年8か月も戦いが続くとは思ってもいなかったでしょう。敵側であったマッカーサー自身が、昭和26年、1951年5月3日、米国上院軍事外交合同委員会で、日本が戦争をした理由は、大部分が自衛のためだったと証言しています。東条英機もと首相も、東京裁判の宣誓供述書で、大東亜戦争は自衛のための戦争だったと証言しています。 敵も味方も両方の戦争指導者が、日本は安全保障上、戦争になったと認めているのです。しかし、日米の歴史教育や一般常識では、日本は侵略をしたから英米から経済制裁を受け、日本は英米に戦争をしかけた。しかも宣戦布告前の卑怯なだまし討ちを真珠湾にしたということになっています。昭和20年、1945年7月26日に、米英チュウの3カ国の名前で、日本に対する降伏条件を示したポツダム宣言が発表されました。 昭和20年8月6日、広島に人類史上初めて原子爆弾、ウラン型が投下され、一瞬で市は壊滅的な被害を受けました。9日には、別のより威力のあるプルトニウム型の原子爆弾が長崎市に投下され、2種類の原爆による市民の死者は、21万にん以上となりました。これは明らかに、当時の戦時国際法法規に照らして、不必要に一般市民を殺害した、憎むべき、人道に反した米国の戦争犯罪でした。 同年8月14日に、ポツダム宣言を受諾し、同9月2日に戦艦ミズーリ号上で、わが国は、降伏文書に調印しました。8月15日ではなく、9月2日が国際的には日本降伏の日とされています。 GHQの占領時代を経て、わが国は、サンフランシスコ講和条約を米国など48カ国と結び、独立、主権を回復しましたが、同時に対米請求権も放棄させられました。この間の6年8か月が、連合国軍最高司令官、マッカーサーによる日本の占領統治です。その最大目的は、よく言われることですが、日本が二度とアメリカの脅威にならないように、我が国の伝統文化から国家体制まで作り変えることでした。 昭和21年、1946年5月3日から、昭和23年11月12日まで、2年6か月間開かれた、極東国際軍事裁判について、もと上智大学名誉教授の渡辺昇一先生は、公正な裁判には不可欠な2つの条件が欠けていたとおっしゃっておられます。一つは裁く根拠となる法律がなければならない。裁判官は、公平でなければならない、この2つがかけていたのです。 また先生は、あれが裁判の名に値するものであったと認める国際法学者は、今一人もいないといわれているにもかかわらず、日本人の多くはそれを知らないともおっしゃっています。東京裁判史観とは、このおよそ裁判の名に値しない、連合国の報復裁判によってつくられた歴史観をいい、この歴史観にもとづいて、戦後日本のすべてが組み立てられてきたといってもよいでしょう。 東京裁判史観ということばを、はじめて使われたのは、東京大学名誉教授の小堀けいいちろう先生といわれています。平和に対する罪と人道に対する罪は、ポツダム宣言が発せられたときにはなかった、明らかに事後法でした。後からつくった法律でひとを裁くことができないのは、近代法の大原則です。これだけで、東京裁判は、法律を無視した、裁判とはいえない裁判だったということができるでしょう。
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「最門司桜の憂国日記」【手奇塾】日本の移民 多文化共生VS自然な同化
厚生労働省によれば、外国人労働者数は、武漢コロナにもかかわらず、2020年末で172万4,328人と過去最高を更新しました。国別にみると、ベトナムが最も多く443,998 人で、外国人労働者全体の25.7%、次いで中国が419,431 人(同 24.3%)、フィリピンが184,750 人(同 10.7%)の順となっています。この半数近くが低賃金で働く、技能実習生と留学生のようです。ベトナムの首都ハノイで、今年3月、日本の建設分野の技能試験が実施され、24人が受験したといいます。これは第二次安倍内閣の時、2019年4月に創設された、外国人労働者受け入れのための「特定技能」と言われる新しい資格試験です。実務経験を持ち特別な教育・訓練が不要な人は、1号資格を、現場の統括役となれるような練度を技能試験で確認できれば2号資格を取得できます。1号には、介護、農業、漁業、建設、造船など14業種が含まれ、5年間滞在できますが家族は呼べません。2号は、建築と造船などの2分野に限られています。この2号は資格更新が可能で、家族も滞在資格が得られ、在留10年で永住権取得が可能になります。しかし、この制度は当初期待されたほどの成功を収めていないようです。これは出入国在留管理庁が3か月ごとに発表する特定技能在留外国人数の内訳です。令和3年9月末現在の合計人数は、38,337人です。そこで入管庁などは、来年度、2号にさらに11分野を追加し、計13分野にする方向で現在調整しているそうです。特定技能で外国人を雇用する場合、企業側にも報酬などの点で奴隷労働といわれないように、相応の支援体制がもとめられています。第2次安倍政権は平成24年の発足以来、規制緩和を重ね建設、造船、家事支援、介護など複数の分野で労働力の受け入れ推進をしてきました。これは、移民は専門職や技術職だけを受け入れると言う、これまでの方針を変更して、制限を緩め、企業が必要とする労働者を幅広く受け入れるということです。最長5年間の技能実習を修了した外国人に、さらに特定技能で5年間在留資格を与え、最長10年間の滞在が可能になります。資格試験の難易度で合格人数を調整できるにしても、外国人が、日本に来て働き、努力すれば、さらに家族とともに永住できるように門戸を開放するわけです。これはわが国経済界の要求で、原因は人手不足と言われています。治安の維持や不法滞在、集住の監視には、警察力で対応し、異文化には共生で、国民が協調するよう啓発するということでしょうか。中国のネットでは「日本は、中国人が来ないので困ってるなら行ってあげてもいいよ」とか「日本は、労働者不足で困ってるなら行ってあげてもいいけど、日本人と同じ保証はしてもらうよ」等の投稿やコメントが目立つそうです。 なにやら強がりを言っているように聞こえますが、今は中国人よりもベトナム人に、日本は人気があるようです。一般的に移民とは、外国籍の移住者が1年以上滞在した場合の外国人をいいます。日本では、技能実習生、留学生、新設の特定技能などの「中長期在留者」や、在日朝鮮人とその子孫などの「特別永住者」が「移民」に該当します。技能実習制度は、本来開発途上国の「人づくり」に協力する目的で、外国人を受け入れる制度でしたが、実態は低賃金外国人労働者で、賃金や解雇のトラブルが多いと言われています。すでに日本は世界第4位の移民大国だとよくいわれます。これはOECD、経済協力開発機構による統計で、2016年に日本が受け入れた移民が、42万人。これは、ドイツ、アメリカ、イギリスに次ぐ4位にあたる数字という意味です。2020年の統計では日本の移民数の世界ランクは、22位となっています。また総人口に占める移民比率ランキングでは、2.19%で133位となっています。ちなみにドイツは、55位、英国は74位、オランダ75位、イタリア93位です。法務省によれば令和2年末現在、中長期在留者及び特別永住者を集計した在留外国人の数は、合計288万人です。武漢コロナで4万人減ったそうです。この数字を移民としますと、日本の労働人口に占める移民の比率は、4%くらいです。これは法務省の内訳です。昨年末時点で中国人が全体の27%の77万人、次がベトナム人で15.5%で約45万人。次が韓国人の15%で43万人です。内閣府によれば、わが国の総人口は、今後、長期の人口減少過程に入り、2026年に人口1億2,000万人を下回り、その後も減少を続け、2048年には1億人を割って9,913万人となり、2060年には8,674万人になると推計されています。これは70年前の、1952年頃の人口と同じです。1952年頃の産業構造は現在と違いますが、生産性向上によって労働力不足を補うことはできないのでしょうか。移民に頼らない、無人化、ロボット化です。これらの技術で今すぐに対応するのは難しそうです。 一足先に移民を積極的に受け入れた、ヨーロッパはどうなったのでしょうか。かつて、ドイツなどヨーロパ諸国は、やはり日本同様に人手不足が原因で、政府は、移民受け入れ政策を積極的に実行しました。そのため東欧、中東、アフリカから多くの人がUE加盟国のドイツ、イギリス、フランス、ベルギー、スエーデンなどに移住しました。EU加盟国同志では、条約で人、物、お金が自由に移動できます。一般的に「たくさんの人、物、お金、情報などが国境をこえて移動することで、世界の一体化が進んでいることをグローバル化と言います。グローバル市場が完成すると物は、自由貿易、お金は、金融の自由化、人の自由な移動は、合法・非合法に国境を越える移民により達成されることになります。政府は小さく規制がない方がよい。国境もない方がよい。通貨は統一され、国家主権がはく奪され、やがて国家は無くなる。社会秩序破壊という、形を変えた共産主義の思想とよく似ています。ヨーロッパの国々では多文化共生により、よりよい社会が実現したのでしょうか。残念ながらそうはなりませんでした。今欧米では、安い労働力の移民を受け入れた結果、犯罪が増加したり、様々な問題が起きて、移民を制限したり、反移民を掲げる政党が勢力を伸ばしました。イギリスのEU脱退やトランプ大統領の国境の壁建設もそうです。「多文化共生」とは、異なる考えを持つ人が互いに協力し合い、よりよい社会を築くことといわれますが、これは理想で、川口市の芝園団地の例を見ても、口で言うほど簡単ではありません。移民制限のトランプ大統領から民主党のバイデン大統領に代わって、再びアメリカに今移民が押し寄せています。ヨーロッパも同様です。ヨーロッパでは移民の大移動を政治的に利用しているのではないかと、ロシアを批難する意見も出始めました。わが国では歴史上多くの移民を受け入れてきました。663年の白村江の戦い後、百済から王族や貴族、一般の人々まで多数が、今の滋賀県や関東に移住しました。さらに日本書紀には応神天皇のとき半島経由で弓月のきみが大勢の民を引き連れて日本に移住したと記されています。秦うじの先祖と言われています。日本は古代から移民を受け入れてきたのです。そして彼らは大和民族に同化していきました。わが国の皇室、伝統文化を尊崇する外国人であれば、我々は喜んで彼らを歓迎してもよいのではないでしょうか。しかし、反日の移民は、お断りしなければならないでしょう。移民の条件としてそれを法律に何らかの形で盛り込むべきではないでしょうか。それでは終わります。
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「キャンセルされた歴史を取り戻す」これでも侵略か 第11回大東亜戦争とアジアの独立、後編
(後編) 谷豊という当時3歳の日本人一家も福岡県から、マレー半島南部の州都、トレンガヌに移住して,クリーニング店と床屋を営んでいました。 満州事変が起こると、それを口実に、トレンガヌ一体にも排日の動きがでてきて、華僑が日本人の商店を襲って、略奪、投石をするようになりました。 昭和7年、1932年11月の事でした。豊青年は、徴兵検査で日本に帰国、幼い妹は風邪で一人とこに臥せていました。悲劇はこの時起きました。 ひとりの華僑が妹の首を青龍刀で切り落とし、反日デモの中でそれをかざしたのです。 返ってきた豊青年はこのとき誓ったのです。華僑と、背後で反日を煽っているイギリスに復習すると。 谷豊はその後、表向きはゴムの仲買商人でしたが、華僑、イギリス軍を敵に回して荒らしまわる、盗賊数百名の親分となっていました。 イギリスと結び、現地の経済を支配していた華僑をこらしめ、病気や貧しい者を助け、現地のひとには大の人気者でした。 彼は、マレーの虎ハリマオと、イギリス人や華僑には、恐れられるようになりました。 つかまって刑務所いきになりますが、直ぐに仲間が助け脱獄してしまいます。彼は、日本軍の諜報組織の目に留まり、賄賂を使いタイの刑務所を出ます。その後彼は、部下とともに、その諜報機関に協力するようになりました。 軍隊は命令があれば直ちに戦をしなければなりません。平和な時でも訓練をしたり、作戦を考えたり、いざというときに備えるのが軍の仕事です。 ソ連に対しては、作戦は整っていたのですが、南方での戦いは、想定していなかったのでできていませんでした。 それもアメリカが石油を輸出してくれるという前提です。ところがアメリカの動きが怪しくなっていきます。 それまでもアメリカの排日政策は続いていましたが、1937年5月頃からアメリカは、中立を破り、日本と戦う蒋介石政権に対し、軍事援助を強めていました。 このままでは石油を断たれるかもしれない。日本軍は事前に、南方での諜報活動を始めたのです。 地図はもちろん、道路や河川や食糧事情、飲料水の有無、風土病、ジャングルの中の害虫や毒ヘビまで調査しておく必要がありました。 1940年(昭和15年)9月、とうとう日本は、英米をけん制するために三国同盟を締結します。 実際アメリカが石油の輸出を禁止すると、日本はオランダと石油輸入の交渉をはじめますが、アメリカが裏から手をまわしてオランダも売ってくれません。 アメリカの要求は、ハルノートに書かれていたように、一言でいえば、日本は中国大陸市場から撤退せよということでした。 このままでは日本は石油危機となり、電気は止まり、工場は操業を停止し、街には失業者が溢れ出ます。餓死者も出たでしょう。 のちにマッカーサー自身が、1951年にアメリカ軍事外交合同委員会で、日本の戦争理由の大部分は、安全保障だったと証言しています。 それでは、実際に植民地にされ、その後独立した国の人々は、日本をどう思っているのでしょうか。 ミャンマーのバーモウ初代首相は、著書「ビルマの夜明けで、歴史を見るならば、日本ほどアジアを、白人支配から解放させることに貢献した国はないと書いています。 インドネシアの首都ジャカルタの独立広場には、大きな碑が立っていて日付が17-8-05と書かれています。 独立した8月17日です。05は西暦ではなく、日本に敬意を払い、皇紀2605年と刻まれているのです。 これは防衛省にある、インドネシアから送られたスデイルマン将軍の像です。独立戦争では、日本兵とともに戦った最高司令官です。毎年8月17日に献花式が行われます。 タイのククリット・プラモードもと首相は「12月8日と題して、次のように大東亜戦争を回顧しています。 日本のおかげでアジア諸国は、すべて独立した。日本というお母さんは難産して母体を損なったが、生まれた子供はすくすくと育っている。 12月8日はお母さんが一身を賭して重大決心をされた日である。さらに8月15日は我々の大切なお母さんが病に伏した日である。この二つの日を忘れてはならない。 台湾の李登輝もと総統の秘書をされた、早川友久氏によれば「李登輝は、いつも言っていた、台湾にとって日本はなくてはならないが、日本にとっても台湾はなくてはならないんだと。 だから「台湾のことはまかせましたよという言葉は、日本人の私たちにも向けられた言葉だということを忘れてはならない。この言葉こそ、李登輝の遺言だとおっしゃっています。 これは台湾の有事は、日本の有事であるということでしょう。アジアにはこのような国々があることを、私たちは知っていなければなりません。 それでは、第11回、大東亜戦争とアジアの独立、後編を終わります。
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「キャンセルされた歴史を取り戻す」これでも【手奇塾】侵略か?第10回 大東亜戦争とアジアの独立
キャンセルされた歴史を取り戻す、これでも侵略か、第10回は、大東亜戦争とアジアの独立です。 第二次世界大戦は、1939年9月に、ドイツがポーランドに武力侵略したため、イギリス、フランスが、ドイツに宣戦布告。こうしてヨーロッパでの戦争が始まりました。 日本が英米、オランダ、オーストラリアと戦った、太平洋インド洋での戦いは、それから2年以上もたってからでした。 この間まだ大陸で、日本と蒋介石との戦争は続いていましたが、下火になっていました。しかし、英米の日本に対する圧力は、日増しに強まっていきます。 この時の日本の戦争を太平洋戦争といったり、侵略戦争というのが、今までの学校教育でした。そして自由社以外の教科書には、日本の戦争がアジアの植民地を開放したとは書かれません。 中国への侵略の始まりは、満洲事変からとか、朝鮮半島への日本の侵略の始まりは、朝鮮併合とかいろいろな言い方がされています。しかし、これらは中国やイギリス、アメリカ側の見方、朝鮮側の見方と言えるでしょう。それらは自国にとって都合の良い、日本人に罪悪感を植え付け、ひ弱な日本のままにして、日本から利益をむしり取るための政治宣伝といえそうです。 蒋介石政権が日本に戦争を仕掛けたことは、すでに日中戦争でお話ししました。1898年にアメリカはフィリピンを、それ以前にイギリスは、インド、マレー半島など、オランダはインドネシアを武力で支配し、植民地として、現地住民を奴隷のように安い賃金で働かせていたのです。日本も江戸時代あるいはその前に、へたをすれば欧米の植民地にされていたかもしれません。 そうならなかったのは運がよかったのではなく、我々のご先祖が強く、賢かったからとしか言いようがありません。日本は、日清・日露戦争、第一次世界大戦をへて、強大な軍事力を身に着け、国際社会に登場してきたわけです。それを英米、ソ連は恐れ、警戒し始めます。しかし、彼らは日本の弱点がエネルギー、つまり、石油であることを知っていました。 いざとなったら、日本への石油輸出を止めれば、軍艦、飛行機は動かず、日本は言うことを聞かざるを得ないと考えていたはずです。いざ戦争になっても、小競り合いていどで、まさか彼らの植民地支配が終わるなどとは、夢にも思っていなかったでしょう。日本は、1919年、大正8年、第一次世界大戦後のパリ講和会議で、人種差別の撤廃を提案しました。 国際会議で、こうした人種差別の撤廃を訴えたのは、日本が歴史上初めてでした。植民地支配をしている英米は、当然賛同せず、特にアメリカはこの提案を潰してしまいます。この頃は日本人も、白人と同等に扱われていませんでした。アフリカもアジアもアパルトヘイト、人種差別が常識でした。「そんな国際連盟なら参加する必要はない」という強硬な意見も当時あったそうです。 アメリカは、1924年、日本人移民を禁止する排日移民法を制定し、日本の対米国民感情は悪化しました。わが国は第1次世界大戦で、地中海に駆逐艦隊を派遣して、ドイツのUボートから英国商船を護衛したり、チンタオのドイツ軍を攻撃し、占領したりして、戦勝国となりました。 このころは日本の商社など、企業や個人も経済的に力をつけて、ドイツの権益を受け継いだ、南太平洋や今のマレーシアー、インドネシア、フィリピンなどに進出していました。そのためすでに商権を確立して、一大勢力になっていた華僑や、東南アジアを植民地支配していた欧米諸国にとても警戒されるようになったのです。彼らは、満州事変、続く満州国建国を反日宣伝に利用しました。華僑とは、中国籍のまま海外に移住した中国人です。 たとえばこのような例がありました。マレーシアは、イギリスの植民地でしたので英領マラヤ、通常マレーと言っていました。谷豊という当時3歳の日本人一家も福岡県から、マレー半島南部の州都、トレンガヌに移住してクリーニング店と床屋を営んでいました。満州事変が起こると、それを口実に、トレンガヌ一体にも排日の動きがでてきて、華僑が日本人の商店を襲って、略奪、投石をするようになりました。 昭和7年、1932年11月の事でした。豊青年は、徴兵検査で日本に帰国、幼い妹は風邪で一人とこに臥せていました。悲劇はこの時起きました。 後編に続く
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「最門司桜の憂国日記」【手奇塾】台湾有事と日本の危機
今回の「最門司さくらの憂国日記」は、力の均衡、台湾有事と日本の危機についてお話しします。産経新聞によれば、中国の習近平氏は、10月9日、辛亥革命110年の記念演説で、台湾問題は完全に中国の内政で、外部のいかなる干渉も許さないと強調し、祖国の完全統一という歴史的任務は、必ず実現しなければならないと述べたそうです。また、イギリスBBCニュースも同じく、中国と台湾の緊張:習近平氏は「統一」が実現されなければならないと述べたと伝えています。中国が、いつのまにか台湾や尖閣諸島を自国領土と主張するようになりました。漢民族が満州人の清朝から独立した辛亥革命では、漢人による満洲人の虐殺が1週間も続いたといわれています。これは決して教科書には書かれません。満州人は満州国の崩壊とともに滅んでしまったのでしょうか。かわの前統合幕僚長は、台湾有事になれば沖縄、奄美も戦域になるのは軍事的に常識とおっしゃっています。台湾国防部の発表によれば、10月1日の昼に延べ25機、そして夜に延べ13機、合計延べ38機の中国軍機が、防空識別圏に侵入したそうです。これは1日に確認された中国機の侵入としては過去最大だったそうです。さらに翌日2日には昼に延べ20機、夜19機、さらに10月4日には、52機が侵入したと発表しました。またも過去最高を更新したのです。昨年、台湾のADIZに進入した中国軍機は、計380機でしたが、今年はすでに600機を超えたそうです。確実にエスカレートしています。これについて台湾の新聞報道では「国慶節に合わせ、中国軍が軍事力を見せつけたのと同時に、夜間に第1列島線の外側で、台湾や他国の海軍と空軍の部隊を攻撃する能力があることを示している」という専門家の分析を伝えています。この他国のという意味は、明らかに今南シナ海に展開している、西側諸国の空母部隊を指しています。また、台湾の国防部は8月末に「台湾の南西沖を中国軍の訓練区域として取り込み、台湾軍の活動空域を狭めたり、防空の負荷を増やしたりしようと企てていると言っています。日本では9月に台湾がTPPに参加申請をしたため、中国が怒ったからという報道もあります。しかし、今中国は、電力不足や大手不動産会社の巨額債務返済問題を抱え、国民の不満は高まっているでしょう。民間企業の報道事業を禁止にする予定とか、国内の締め付けもエスカレートしています。もはや言論はおろか報道さえも自由が無くなりつつあります。台湾に対する軍事的圧力を高めて緊張をエスカレートしている理由は、この辺も関係しているのではないでしょうか。もしそうであれば今の緊張は高まるばかりで、緩和する可能性は低いのではないでしょうか。まさに少しづつ、台湾の空域を切り取っていく、中国のサラミ作戦です。台湾進攻のためには、どうしても制空権と制海権を中国側が握らなければなりません。現在の中国機による台湾空軍や西側艦隊に対する猛烈な圧力は、制空権は必ず中国がとるという意思を示しているのかもしれません。台湾と与那国島の距離は111kmです。天気が良ければ見えることもあるようです。この距離は、今の戦闘機であれば15分で飛べる距離です。台湾軍機も中国軍機もスクランブル中は、日本の防空識別圏など無視して侵入するかもしれません。この時わが国はどう対応するのでしょうか。航空自衛隊の中国軍機に対するスクランブル回数がこの3年平均で、約680回という数字も十分に異常ですが、最近の台湾海峡は、日本よりもさらに異常な状態にあることが分かります。これは航空自衛他のスクランブル回数のグラフです。2020年の中国軍機へのスクランブルの減少について防衛省の担当者は、「対象になるような距離まで近づいてくる航空機は減ったが、遠い空域での飛行は続いている。中国機の活動は引き続き活発だ」と話しています。先の総裁選の討論会で高市氏が発言した、敵基地攻撃能力の保持とは、わが国や台湾の防衛に、米軍の後方支援という限定的な軍事行動ではなく、積極的に、且つ主体的に台湾と先島、尖閣諸島を防衛する、自衛権の範囲で行う抑止戦略といえるのではないでしょうか。敵ミサイルから自国を防衛できなければ抑止力を高めることが必要です。つまり力の均衡です。これはわが国が開発中の長射程弾道ミサイルの射程距離を示した図です。最終的には北京と平壌が射程距離に入ります。抑止力のボタンをわが国は、他国にたよることなく、持つことになります。また、我が国の外交方針も少しづつ変化しています。令和3年4月、菅首相とバイデン大統領の首脳会談の共同声明では、初めて中国を名指しで非難したのです。「経済的および他の方法による威圧の行使を含む、国際秩序に合致しない中国の行動について懸念を共有した」と明記されました。また令和3年のわが国防衛白書では「台湾をめぐる情勢の安定は、わが国の安全保障にとってはもとより、国際社会の安定にとっても重要」と言っています。いままで政府は、台湾という表現ではなく、台湾海峡と言ってきました。しかし、今回の防衛白書では遠慮せずに台湾と表現しているのです。6月に、中山泰秀防衛副大臣は米ハドソン研究所でのオンライン講演で「我々は民主主義国家としての台湾を守る必要がある」と主張しました。7月5日の講演で、麻生太郎副総理兼財務相は、中国が台湾に侵攻した場合、安全保障関連法が定める存立危機事態として認定する可能性があるという考えを表明しました。存立危機事態になれば、日本が直接攻撃を受けなくても「我が国と密接な関係にある他国」に対する武力攻撃が発生したと政府が認識し、限定的な集団的自衛権を行使できます。制約はありますが、オーカスやクアッド諸国の軍隊に自衛隊が協力できるわけです。麻生副総理の発言は、もし中国が、台湾に武力攻撃をした場合、日本は、自国の存立危機事態とし、限定的な集団的自衛権を行使しますよという中国に対する脅しともとれます。これには早速中国が、日本はけしからんと怒り、中国が日本を核攻撃するyoutube動画を発信し、わが国民を恫喝しましたが、わが国のマスコミはこれを無視しました。さて、国民が注目した自民総裁選挙でしたが、岸田内閣が成立しました。この内閣の内に中国が台湾に侵攻するかどうかわかりません。しかし、防衛大臣と外務大臣が再任され、クアッド諸国や英国との意思疎通は途切れず、継続されることになったことは米国や欧州も歓迎するでしょう。今後中国は、台湾に対する圧力をさらに高めていくのではないでしょうか。いざというとき専守防衛では、自衛隊の犠牲が大きくなる危険があります。ミサイルの時代、専守防衛ではもはや台湾はおろか自国の防衛さえ心もとない状況です。政府は昨年12月の閣議決定で、敵基地攻撃能力をめぐる検討の無期限延期を決めましたが、私たち国民は、憲法改正や敵基地攻撃能力保持が、待ったなしということをもう理解しなければならないのではないでしょうか。 次の総選挙で国民の判断を仰いていただきたいものです。
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「キャンセルされた歴史を元に戻す」安全保障 日清・日露&支那事変・大東亜戦争
今回は「キャンセルされた歴史を取り戻す」わが国の安全保障です。第一次戦の前は、ドイツが世界の敵になりました。第二次戦の前は、日本が世界の敵になりました。第三次戦はソ連との冷戦という見方もあります。それでは第四次戦は、中国が世界の敵になるのでしょうか。今のところはそうなっていくように見えます。それでは日清戦争から大東亜戦争まで、戦争に至る国際情勢を見ていきます。 明治維新後日本は、条約改正や国境の画定など、外国との外交交渉は、忙しかったはずです。周囲は欧米の植民地でした。国内産業保護育成で、できれば戦争などにお金を使いたくはなかったでしょう。日本軍は始めから強かったわけではなく、開戦の時でもわが国の兵力は、清国に比べこのように劣勢でした。この兵力差では、必ず勝てると言う自信はなかったでしょう。 明治15年、1882年、軍近代化に不満をもった、朝鮮の軍人が起こした反乱、壬午事変では、日本公使館が襲撃され、館員が殺害されました。2年後の改革派のクーデターの甲申事変では、クーデターを平定しに来た清国の軍隊と、公使館、領事館保護に派兵した日本側と戦闘になり、将兵と多くの在留邦人が犠牲になりました。この紛争で日本は、2度清国に負けているのです。 朝鮮は、清のさくほう体制に入った属国で、朝鮮の問題は清の国内問題でした。日本は逆に、清の言いなりになる朝鮮では困るので、清から独立して欲しいわけです。過去元寇のように大陸の王朝と朝鮮が一緒になって、日本に攻め込んできたことがあるからです。学問のすすめを書いた福沢諭吉も、清や朝鮮も近代化をして、西洋列強に侵されない独立した国になることを望みました。 大国清だけではなく、東に向かってシベリア鉄道を建設するロシアの脅威も日本は感じていたのです。日本の安全保障上、朝鮮半島の自存自衛は日本にとって最も重要なことでした。豊臣秀吉の時代の明も、同じだったのかもしれません。 清国は日本を見下して、一歩も譲りませんでした。日本は、欧米列強の極東での外交政策をにらみながら、仮想敵国となった清との戦争に備えたのです。 10年後、半島で大規模な宗教的農民一揆が起こり、清国は一揆を平定するために出兵、日本も公使館、在留邦人保護のため、軍隊を派遣しました。アジアに植民地を持っている欧米列強は、隙があれば介入してくるはずです。正に日本外交の正念場でした。日本がうかつに動けば、ロシアがスキを狙って北海道に攻め込むかもしれません。列強各国との腹のさぐり合い、日本側の必死の外交交渉の結果は、どちらも譲らず日清両国の戦争でした。 日露戦争では、ヨーロッパ諸国は、ロシアと戦うにはあまりにも日本は小国とみていました。ロシアは、この時日本の10倍の国家予算と軍事力を持っていました。ちなみに中国の数字は怪しいのですが、2020年の中国の名目GDPが、1570兆円。日本が538兆円ですから、日本の約3倍。日本はなんとか外交交渉で戦争を避けようと努力しました。元老の伊藤博文も山県有朋も、初めはロシアと協調せざるを得ないとみていました ロシアも、ヨーロッパやアフガン、黒海方面で、ドイツやイギリスと対峙していて、極東に大兵力を送って争いを起こすことは、望ましくないと考えていたかもしれません。 しかし、1900年、義和団の乱がおき、シベリア鉄道の支線で旅順まで行く、東清鉄道に大きな被害を受けたため、ロシアは、満州にも軍隊を派遣、駐留していました。 これに対し、日本、イギリス、アメリカなどはロシアに抗議しましたが、完全には撤退しませんでした。旅順には要塞ができ、満洲、朝鮮国境の朝鮮側にもロシアの軍事基地ができました。ここで元老の山県や桂首相・小村外相や陸海軍の首脳部は、戦争になることを覚悟しました。それでも戦争に負けた時のことを考えたのでしょう、元老の伊藤や井上馨は、ロシアに満州での一定の権益を認めるという、戦争回避論を主張しました。 外交で日本は、だんだんとロシアに譲歩していきます。そして日本側は 1903年6月、御前会議を開き、ロシアとの外交交渉の条件を決めたのです。外交交渉の条件から満洲を外すとか、朝鮮の北部に中立地帯を設けるとか、なんとか戦争回避に必至となります。日英同盟があっても、軍備増強や猛訓練でも、勝つ自信は薄かったのでしょう。必死の外交交渉にもかかわらず、日本の指導者達は戦争に追い込まれていきます 最後まで戦争に反対だった伊藤博文は、日露開戦と決まった後は、つぎのような言葉を残しています。吾輩も国民軍に入り、自ら銃を肩にして海岸を守り、一歩たりともロシア人を日本の土地に上がらせない決心である。ここでも政治の先、つまり外交交渉の先は戦争でした。支那事変・大東亜戦争も必死の外交交渉の結果が、戦争ということではやはり同じでした。 日本のお陰で満州は清に戻され、日本は清から改めて遼東半島の租借権を得ます。イギリスも租借地を得ていました。ロシアが極東から去り、支那大陸の鉄道利権の争いは整理されたのですが、今度は新たに米国が鉄道利権をめぐる争いに参加してきました。米国と国際連盟は、歩調を合わせて日本批難の宣伝を始めます。そして今度は、ソ連が極東に現れます。 ソ連は、孫文・蒋介石と手を結びました。中国共産党の支部として日本共産党も作られました。1921年、ワシントン会議の間に、いつの間にか外蒙古を独立させて、共和国をつくってしまいました。ソ連は、支那を世界革命の踏み台として利用しようとしていたのです。後で蒋介石が気づいたときは、支那全土でソビエト共和国が密かに作られていました。蒋介石は必至に毛沢東共産軍を攻撃して、壊滅寸前まで追い込みました。 しかし、西安事件で共産主義者の罠にはまり、抗日戦の準備をしかたなく始めます。戦争に向けて兵器廠、製鉄所、飛行機工場、軍需品の製造工場の計画が進められました。このとき支那が世界最大の武器市場になったのです。次第に支那大陸のプレイヤーは、日本、アメリカ、ソ連、担ぎ出された蒋介石と言うことになりました。 満州事変、そして満州国建国と、欧米をあざやかに出しぬいた日本は、欧米諸国の嫉妬と恨みを買い、いつの間にか世界の敵となっていたのです。国家のていをなしていなかった蒋介石政府が、統一国家の中華民国として国際連盟に加盟できたのも、共産主義のソ連が加盟できたのも、欧米列強の反日のための都合でした。欧州諸国の反日宣伝と外交は、満州人の満州国を認めず、米国と日本を対決させて、漁夫の利を得ることでした。 米国みんは、やがて対日戦争になるだろうと思い込まされ、日本への敵愾心を植え付けられ、かつて世界中が反ドイツに向かったのと同じ方法で、反日の世論が世界に形成されていきました。大陸から日本を追い出したい、欧米、そしてシナを革命政権にしたいソ連、米ソを利用して、日本を追い出したい蒋介石は、互いに利害が一致するようになっていきました。日本は満州事変後、欧米の日本批判に対して必死の外交努力をしました。 当時60に満たない独立国のうち、満州国を承認した国は、バチカンなど20か国にもなったのです。日米間で戦争が起これば、世界恐慌の問題や、第一次世界大戦の戦時国債の問題も解決し、米国が極東貿易を中止すれば、日本は身動きができなくなり、日本の満洲、東南アジアへの進出を食い止めることができる。そうなれば欧州は再びシナ大陸市場で優勢を確保できる。欧州の得られる利益は計り知れない。 このような国際情勢の中で、日本は最後に、日露戦争で地を流した、満鉄の利権を放棄するまで譲歩しました。しかし、蒋介石との和平交渉は何度も潰されます。アメリカも、日本との貿易を段階的に制限していき、シナ大陸から撤兵し、汪兆銘政府ではなく、蒋介石政府を承認せよとまで言ってきたのです。ハルノートです。わが国は、エネルギーぶそくで工場の操業が止まり、大量の失業者が生まれ、その結果大勢の餓死者が出たでしょう。 もはや国際連盟を脱退しようと、我慢を重ねて連盟に残ろうと、欧米が望む戦争というゴールは変わらなかったでしょう。すでにこのとき欧米諸国は、日米戦争を前提として、外交政策を決めはじめていたのです。それでは現在はどうでしょうか。今各国は国際情勢を見ながら対中政策を決めているようです。中国は今後どうふるまうのでしょうか。それでは終わります。
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「最門司桜の憂国日記」【手奇塾】南シナ海波高シ 決断は迅速、正確に
最門司さくらの憂国日記 今回は南シナ海波高しです。 研究10年判断一瞬(連合艦隊司令長官東郷平八郎) 中国は、今台湾や日本の尖閣諸島を勝手に自国の領土にしてしまっています。沖縄県さえも中国の領土だと最近言い始めています。そして沖縄県の独立を密かにけしかけているようです。かつて中国は同じように、満州国、チベット王国、東トルキスタン、南モンゴルを自国の領土にしてしまった過去があります。そして今、ブルネイやマレーシア、フィリピン、台湾、ヴェトナムが、南シナ海で中国と島の領有権で対立しています。また、これらの国の漁船が中国公船に衝突されることが最近何度も発生し、緊張が高まっています。とうとうフィリピンは、オランダ・ハーグの常設仲裁裁判所に訴え、2016年、裁判所は、中国の主張を認めない判断を下しました。ところが、中国はこの裁判所の判断を紙屑といって一蹴してしまいました。日露戦争で日本は、イギリスの良質な石炭を輸入して軍艦の速度を早めました。大砲の砲身も訓練で摩耗したので、同じくイギリスから輸入したほどです。もちろん軍艦もイギリスに発注して作ってもらいました。日英同盟を結んでいたからできたことです。戦争になった時、応援してくれる国があるということはやはり重要です。もしイギリスが助けてくれなかったら、日露戦争で日本は、ロシアに勝てたでしょうか。支那事変、大東亜戦争では、軍隊が使うエネルギーは石炭から石油にかわりました。石油が無いと軍艦も飛行機も動きません。日本は、ほとんど石油が取れませんので輸入するしかありません。実はアメリカから石油を輸入していたのです。ですから日英同盟と同じように日米同盟がその時あったならば、大東亜戦争は負けずに済んだかもしれません。しかし、肝心な石油を輸入しているアメリカは、敵国になったのです。本来最も仲良くすべき相手だったのですが、そうはさせてもらえませんでした。しかたなくドイツ、イタリアと三国同盟を結びましたが、石油をくれたわけではなく、役に立ちませんでした。ここから得られる教訓は、いざというとき日本を必ず助けてくれる同盟国を持たねばならないということです。もちろん日本もいざというときは、相手の同盟国を助けなければいけません。当たり前ですが、戦争は避けられるものであれば避けねばなりません。しかし、実際には戦争を避けようとする努力が少しづつ潰されていき、最後はどうにもならなくなって戦争に突入していきます。日清戦争、日露戦争、支那事変や大東亜戦争の時も日本政府は、当然ですが、次々と戦争回避の政策を打ちますが、一向に改善せず、だんだんと戦争に近づいて行ってしまいました。国力が強く、過大な要求を突きつける国と、国力が弱いのでなんとか戦争を避けたいという国の国際舞台でのせめぎ合いと言ってもよいでしょう。一国では力不足の時は、お互いの国をみんなで守り合おうと言うことになります。これが集団的自衛権です。ただ日本だけは、他の国々と違って、憲法や法律の制限があり、自衛隊は何でもできるわけではありません。まず、国際法に従わなければなりません。さらに最高司令官の命令がなければ自衛隊は動けません。最高司令官は、法律が認めている範囲内でしか命令ができません。自衛隊法や周辺事態法などです。最高司令官が自衛隊に、武力行使を命令する時は、3つの原則に従います。一つは日本に向けて武力攻撃が発生したときです。二つ目は他国が攻撃されたときに、同時に日本も存立の危機となる場合です。三つめは、武力行使は必要最小限度にとどめなければなりません。なぜかすっきりしませんが、日本国憲法が障害になっているからです。もちろん最高司令官とはわが国の首相です。なかなか決断できない首相では、反撃を始めた時にはすでに手遅れで、いたずらに自衛隊の損害が、大きくなるばかりという、最悪の場合も考えられます。最近では、アフガニスタンの邦人救出の自衛隊機の派遣です。決断が遅く、1日の差で作戦は成功しませんでした。私達は選挙を通じて間接的にですが、有事の際に正しく、早く決断できる総理大臣を、選ぶことが大事ですね。尖閣諸島や先島諸島がC国に攻撃されたとき、自衛隊は直ちに必要最小限度の反撃をします。台湾が攻撃をされた場合、日本の存立危機ですので自衛隊は反撃ができますが、日本だけではなく、同盟国のアメリカやその他の国々と一緒に行動するでしょう。令和3年8月、中国政府は、南シナ海の中の、領土領海と見なす130万平方マイルの海域に入る前に、すべての外国船にコース、コールサイン、貨物内容を報告することを義務付けるという新しい法律を一方的に発表しました。これは公海の自由航行の原則という国際法に違反する行為です。中国は、何世紀も前から領有権があると主張して、南シナ海でサンゴ礁を破壊し、軍事基地を建設しました。これをオバマ大統領は、何もせず見ていただけでした。昔の大日本帝国でしたら毅然と対抗していたでしょう。もしこの中国の要求に従へば、南シナ海の公海が中国の主権が及ぶ海域であると認めることになってしまいます。そうなれば中国は気に入らない国の船舶に対し航行を禁止したり、危害を加えるかもしれません。それを防ぐために今、日本、アメリカ、イギリス、フランス、オーストラリア、インドなどが共同で、軍艦を南シナ海に派遣しています。イギリスもフランスも南太平洋にいまだに海外領土を持っているからかもしれません。アメリカの軍艦は時々、中国が主権を主張する海域の中を航行しています。これを航行の自由作戦と言っています。また初めにお話ししましたように中国は台湾を自国領と主張して、いま台湾に軍事的圧力を猛烈にかけています。さらにパイナップルの輸入を禁止したり、ワクチンの輸入を邪魔したりもしています。これに対しアメリカは、台湾を守るため、今までは遠慮していましたが、トランプ大統領の時、台湾に強力な武器の販売を始めました。地図をみますと、南シナ海を自国の内海にして、潜水艦を潜ませたい中国にとって、台湾、日本の先島諸島、尖閣諸島、沖縄はとても邪魔なのです。つまり台湾と日本国そのものが邪魔と言ってもいいかもしれません。中国が他国を自国領にする手口はいつも同じです。初めに漢民族の移民を大量に送り込みます。人口構成で漢民族が上回ったところで、中国の自治区としてしまいます。次に言語を禁止し、文化伝統を禁止、中国化していきます。これを中国語で洗民といいます。今世界中で大問題になっているチベット人、ウイグル人、モンゴル人に対する弾圧がこれです。今頃問題になるのは60年遅いのです。南シナ海に中国の主権が確立してしまうと、石油の最短輸入ルートが断たれ、反原発でエネルギー不足となり、再生エネルギーでは不足を全く補えず、最後は台湾も日本も中国の自治区にされる可能性が高まります。日本人でありながらごく一部の人々が、集団的自衛権や特定秘密保護法、原子力発電に反対したり、女系天皇や女性宮家創設に賛成する理由は、日本を将来中国の自治区にし易くするためと考えることもできるのではないでしょうか。それでは終わります。
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「キャンセルされた歴史を取り戻す」”これでも侵略か” 満州事変と満州国建国4
邦人保護の任務を全うした関東軍部隊:https://youtu.be/4GY1_yA2YkA みなさん、こんにちは。キャンセルされた歴史をとりもどす、これでも侵略か。今回は、満洲事変と満州国建国4、最終回です。米軍の引揚と同時にタリバンが侵入し、アフガニスタン政府は崩壊しました。同じように、日本の停戦と前後して、ソ連軍、毛沢東共産軍、蒋介石国民党軍が満州国を侵略、満洲国は、消滅しました。このとき満洲国在住の邦人の運命に危機が迫ります。8月9日ソ連軍は、日ソ中立条約を破り、満州国に武力侵攻、在留邦人の苦難と悲劇が始まります。8月14日、旧満州のかっこんびょう(現在の中国内モンゴル自治区に向けて避難する、日本人1千数百人に向けて、ソ連軍の戦車隊が機銃掃射をしました。生き残ったひとは僅か百数十名という、残酷きわまりない事件が起きました。彼らを護る関東軍はすでにいなかったといいます。軍は命令で動きますが、軍上層部は誰一人、邦人の安否を気にかけなかったのでしょうか。アフガニスタンの首都カブールが、タリバンによって占拠されたとき、邦人を置いて逃げた日本大使館員とまったく同じように思えてしまいます。関東軍の本来の任務は、満洲在住の邦人保護でした。しかしその時満州にいた関東軍は、精鋭部隊が南方に移り、士気も戦力も著しく落ちていたようです。満洲にいた関東軍は、8月15日の降伏命令の玉音放送に従い、ソ連軍や共産軍に武器を引き渡してしまいます。その結果、ソ連軍による違法な日本兵のシベリヤ連行、強制労働や、残された邦人が自力で脱出する際、先ほどのような数々の悲劇が起こりました。工業の発展した満洲国を占領すれば、なんとかなると考えた毛沢東、蒋介石。またソ連軍まで、製鉄所などの機械設備を強奪したのでした。毛沢東共産軍は、満州国の首都、新京の外側に陣取り、国民党軍は新京内に陣取る。どちらからも物資が入らず、日本人の引揚者の子供たちは、多くが餓死してしまいます。日本人を餓死させるため、共産軍の八路軍はわざと門を閉ざしたのです。この恨みは、日本人の記憶に永久に残ると言われています。遠藤誉氏がお書きになった「チャーズは、この時日本人が中国人から受けた、残酷な仕打ちを明らかにしています。また満洲人も、国を失い、その後中共に支配され、満州語を禁止され、洗民され、同化政策の対象とされました。今のチベット、ウイグル、南モンゴルと同じです。このような悲惨な状況の中、降伏せず、武器を捨てず、邦人保護という本来の任務に忠実に従った関東軍もいたのです。軍の食料を分け与え、邦人を列車に乗せて送り出すまで、ソ連軍機械化部隊と戦闘を続けた、駐蒙軍司令官、根本中将麾下2千数百名の兵士です。そして毛沢東共産軍と闘いながら、邦人270名とともに北京方面に退却した、満洲の南端にいた下道大尉の部隊です。この詳細についてはユーチューブ「最門司桜の憂国日記をご覧ください。URLが、説明欄にあります。今から思えば、日本が2つの間違いを犯したのではないでしょうか。一つは、満州の権益を独り占めにし、外国を排除したことでしょう。満洲への投資も日本だけではなく、英米を引き込んで仲良く一緒に投資すべきだったのではないでしょうか。2つ目の失敗は、コミンテルンと張学良を甘く見て、西安事件を防げなかったことです。せっかくタンクー停戦協定締結により、満洲国の国境が定まり、中国側は満洲国の存在を黙認したのです。その後蒋介石は、毛沢東共産軍を壊滅寸前まで追い込んでいったのです。日本は安全保障上、満洲国に隣接する、華北五省を国民政府から独立させる工作を進めたのですが、このようなことをせずに、日本軍も、蒋介石軍に軍事顧問団を送るなど、共産党征伐に協力していたならば、歴史は変わっていたかもしれません。日本がこのとき賢く振る舞い、英米と協調していたら、そして英米も賢く振る舞い、日本と協調していたら、毛沢東共産軍は壊滅し、シナ事変も大東亜戦争もなく、チャーズの地獄もなく、満州国も満州人も健在で、ウイグル、チベット、モンゴルも平和で、原爆も落ちなかったはずです。日本は、侵略をした悪い国という、ある国々にとって、都合のよい政治宣伝を見抜き、本当の歴史を学んでこそ、日本の未来に、希望が湧いてくるのではないでしょうか。私たちの次の世代に、チャーズのような地獄の苦しみを、再び経験させないためにも、満州国建国と崩壊の歴史を、教訓としたいものです。みなさん、自由社の歴史教科書を読んでみてはいかがでしょうか。それではみなさん、さようなら。
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「キャンセルされた歴史を取り戻す」”これでも侵略か” 満州事変と満州国建国 3
みなさん、こんにちは。キャンセルされた歴史を取り戻す、これでも侵略か満州事変と満州国建国3です。1933(昭和8)年5月、日本は、蒋介石政府と「塘沽(タンクー)停戦協定」を締結し、満州事変を決着することになりました。「塘沽停戦協定」締結後、80万人の国民政府軍は、15万人の共産軍を包囲殲滅する作戦に乗り出し、共産軍はそれまで築いてきた各地のソビエト地区を放棄して延安に逃れます。これに慌てたのがコミンテルンでしょう。満洲は、日本の3倍以上の広さです。当たり前ですが、満州国の軍隊や行政、警察組織は、満洲国民の協力があって初めて機能します。これからお見せする写真は、ホームページの「満洲写真館」から管理人様の許可を得て使用しています。満洲の写真だけではなく、管理人の方が満洲出身の方で説明文がとても正確です。例えば日本人の満洲移民について、教科書に書かれているような、農業移民だけではなく、幅広い業種でおこなわれていたことが分かります。また、農業移民は失敗するケースも多くあったこともわかります。生活が安定するまでに、匪賊に襲われたり、幼い命を肺炎で失うなど、移民の苦労がよくわかります。満洲国がどのように発展していったのか、満洲国総務長官だった星野直樹氏は、見果てぬ夢―満州国外史でこのように回顧されています。民生分野で特筆すべきは、新都市建設と既成都市の改造である。近代的な国土計画のもとで、日本人建設技師の人材を集めて、近代的な美しい都市が、満洲の広大な国土に次々と生まれていっ た。特に、新しい国都・新京現長春は、百万都市として建設を進められ、電気、上下水道を完備し、東洋で最初の水洗トイレも設けられ、豊かな緑に彩られた。また満鉄は沿線各都市に、満鉄病院、伝染病研究所、結核予防協会、保養院などを設け、僻地には巡回施療を行って、民衆の健康状態改善に大きく貢献した。さらに中央試験所、農事試験所を設立し、ここで開発された「改良大豆」は、全満洲に普及し、世界一の大豆輸出国として成長させる原動力となった。そのほか地質研究所、鉄道技術研究所、製鉄研究所などが、満洲の農・工・鉱業発展の牽引車となった。以上の国土開発、産業開発は、ほとんどすべて日本からの投資でなされた。たとえば1936年にまとめられた、第一次産業開発5カ年計画では、増産すべき分野として、電力、鉄鋼、石炭、アルミニウムから、飛行機、自動車まで挙げられているが、その投資総額は25億円で、同年の日本の一般会計歳出総額24億円を上回る額であった。日本は膨大な人材と技術と資本をつぎ込んで、満洲の発展に賭けたのであった。その間、満洲の状態は一変した。治安は完全に確保され、国内には一人の兵匪もいなくなった。農業国から立派な工業国となり、総生産額は倍増した。国民生活は目覚ましく向上した。東亜各地から集まってくる人は、数多く、3千万人であった人口は5千万人を超えるにいたった。省略します。生まれ出た満洲国を、ひとり主導的地位に至った日本人のみならず、ひろく東亜諸民族が力を合わせて開発、発展せしめ、その恵福を、ひろく等しく各民族の間に分かち、ここに新たなる楽天地をつくりあげようと、日本の若き人々は進んで満洲国に集まってきた。省略します。生命わずか13年、満洲国の建設はついに見果てぬ夢に終わった。しかしこの間、日本の若き人々の費やした努力と苦心とは永久に日本民族の誇りとするに足るものであると確信する。以上のように満洲国総務長官だった星野直樹氏は述べられています。その結果、大豆の生産は5倍、出炭は14倍、貿易は6倍となります。これの何がいけないのでしょうか。中国への投資は良くて、満洲への投資は悪いのですか? それでは満州事変と満州国建国その3を終わります。さようなら。
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アフガニスタン 自衛隊機派遣に消極的な外務省と関東軍の邦人救出 根本中将、下道部隊
みなさん、こんにちは。最門司桜の憂国日記。 8月20日の産経新聞に、日本外務省は、邦人救出機を派遣しないらしいことが書かれていましたので、読み間違いかと、思わず読み直してしました。理由は、他国の救出機を利用した方が早く、安全ということでした。しかし、23日の新聞で分かったのですが、この時すでに日本外務省の職員12人は他国の航空機で避難していたのです。外務省のホームページによれば8月15に在アフガニスタン大使館を閉鎖し、17日にはトルコイスタンブールで臨時事務所を設置しているのです。そして19日の新聞によればアフガニスタンにいる大使館や国際協力機構ジャイカの現地スタッフとその家族の避難を検討しているという。 この記事の中に自民党外交部会の話が出ています。部会長の佐藤正久氏が、日本の対応が冷たいと今後の支援にも影響が出かねないと述べたと書かれています。これは現地スタッフとその家族の話ですが、空港までたどり着けない日本人のジャイカ職員もまだいるのではないでしょうか。 部会長の佐藤正久氏とは、ヒゲの隊長さんのことです。23日のひげの隊長さんは、ツイッターで自衛隊機を派遣することになって、誘導輸送隊が派遣されることになったと発信されています。当初自衛隊機派遣を考えていなかった外務省は、恐らく髭の隊長の佐藤氏に説得されたのではないでしょうか。 理由はともかく、自分はさっさと安全なところに逃げて、しかも自衛隊機の海外派遣に反対するこの態度は何とも救いようがありません。戦前からの体質は何も変わっていないのでしょうか。それにしてもこの外務省の行動をみますと、いやでも思い出すのが、敗戦時、満州の西側にあった、内蒙古の張家口から邦人を避難させた、関東軍、駐蒙日本軍司令官根本博中将です。敗戦時満洲から逃れた邦人も含め約4万人がいました。 8月9日、ソ連軍機械化部隊が、日ソ中立条約を破り、満洲に、不法に侵入して大変な騒ぎになりました。当時のソ連軍や毛沢東共産軍、蒋介石国民党軍は、一般人に対する乱暴狼藉、殺人は当たり前で、それを知っていた当時の日本人は恐怖に包まれたような状態でした。このようなとき、内蒙古の南の端の首都張家口の放送局で、8月15日の終戦命令の玉音放送が流れたあと、根本中将が放送された訓示を読みます。 みなさん、日本は、戦争に敗れ、降伏いたしました。皆さんは、今後の事を心配していると思います。しかし、我が部下は健在であります。わが軍は、私の命令が無い限り、勝手に武器を捨てたり、任務を放棄したりするものは一人もおりません。心を安んじてください。公民及び邦人は、決して心配したり、騒いだりする必要はありません。私は上司の命令と国際法規によって行動します。きょうみん疆民及び邦人の生命は、私と私の部下が身命を賭して守り抜きます、皆さんは軍の指導を信頼し、その指導にしたがって行動されるよう強く希望するものであります。 どうですかみなさん、日本政府や軍上層部からの降伏命令に逆らって、邦人を屋根のない無蓋列車で送り続ける間ソ連の戦車部隊と戦闘を続け、邦人が脱出後日本軍は退却します。トランプ大統領は、今回のアフガニスタン撤退で、バイデン大統領や統合参謀本部議長を、民間人よりも早く軍隊が撤退したと何度も批難しました。しかし、76年前に私たちの日本には、このような軍人が他にもいたのです。関東軍下道大尉の部隊です。しかし、満洲では関東軍の多くは降伏、武装解除したため、多くの悲劇が生まれてしまいました。戦争の終わり方は今のアフガニスタンをみても分かります。始めるよりも終わらせることの方が何倍も難しいのです。 今回の外務省の方針と根本中将や下道大尉の決断を比べますと、天と地の開きがあるように思えるのはわたくしだけでしょうか。もちろん外務省は軍隊ではありませんから、タリバンから邦人を守れと言っても、できるわけはありません。しかし、直ちに自衛隊機と部隊の派遣を要請することをなぜしなかったのでしょうか。現地政府の了解など、取れるわけがありません。これでは、他の地域で何か起こった場合、日本大使館は何もしてくれないので、アメリカ大使館に逃げ込んだ方がよいということになってしまいます。実際に日本大使館を頼るな、とおっしゃる危機管理の専門家の方もいらっしゃいます。それでは終わります。みなさん、さようなら。