今働いているホスピス住宅にいる人たち全員、自宅に帰してあげたい。
量より質と言うと聞こえは良いが、ケアにおいては量より質でも質より量でもなく、『量から質』と言われている。 つまり、ある程度のケアand人の量を確保しなければ、質の担保にはつながらないということ。 もちろん、マンパワーがあれば質が高まると言うわけではない。が。
看護でも介護でも、お看取りの場では特に、目の前の人の語りを自分の地肉に宿していくことにちょっとした意味深さを感じている。 その人らしいケアにもしかしたら繋がっていくのかも知れないから…
質の高いケア、利用者ファーストなケア、確かにそれは目指すべき大きな課題ではあって、それにはケアの量もたくさん必要だし時間も多くかけなければいけない場合が多い。即ちお金もかかる。 良いケアはケアされる側する側双方に良い結果をもたらすはずなのだけれど、そのお金はどこからくるのか?
自分でホスピス立ち上げて、医療人類学者の協力を得て、看取りの場における当事者や家族の語りを何年間にも渡って蓄積していく、そんな白昼夢を見たよ。 埋もれてしまったり、聞けずに終わったり、忘れ去られてしまう語りがあまりにも沢山ある。それを遺す使命を感じている。しかし金はない。
これは現場の人間なら誰もが頷くことだとは思うのですが、訪問診療の医師が誰でも緩和ケアを行うことができるわけではないということ。 これは同じように、ホスピス住宅の看護師なら誰でも緩和ケアが出来るわけではないということ。
ぼちぼちツイッタランドからノートに移動ですかね…