「200字の書評」(364) 2024.8.15
九夏三伏、汗が止まりません。お変わりありませんか。
8月15日は終戦記念日、正しくはポツダム宣言を受諾しての無条件降伏の日です。敗戦を終戦、占領軍を進駐軍と言い換えてみても連合国軍(ほぼ米軍)占領下におかれた事実は隠せません。この日以降も樺太では侵攻してきたソ連軍との戦闘が続いていました。樺太からの引き上げ船3隻がソ連潜水艦の攻撃を受け、約1700人が犠牲になったのは8月22日でした。敗戦の日を日本国民はどのような気持ちで受け止めたのでしょうか。私たちの父母親族はまさに戦中世代です。時代が移り変わっていく様子を、肌感覚で受け止めていたのでしょうか。終戦ではなく敗戦の結果もたらされた、平和国家日本の不戦の誓いと平和希求の変質が進行する今日、もう一度歴史を振り返るべき時と思います。以前にも書いたことがありますが、私の母は東京大空襲の体験者です。生前「戦争はもうたくさんだ」「アベさんたちはわかっていない」とよく語っていました。キシダ政権下でも防衛予算の激増、沖縄諸島への自衛隊配備、NAТОとの連携強化など軍備増強が露骨です。地方自治法改正による自治体への国の指示権も気になります。私は危うさを感じます。皆さんはいかがお考えでしょう。
この日にちなんで昭和を振り返ってみます。
というわけで今回の書評と本棚は、昭和史です。
保阪正康「松本清張の昭和史」中央公論新社 2024年
社会派推理作家清張は歴史家としての顔も持っていた。不遇の日々北九州の古墳旧跡を探訪し、古代史への独自の視点を養っていた。「古代史疑」などはその結実である。一方で自己の兵役体験と歴史眼から昭和史に強い関心を寄せる。昭和史研究の第一人者保阪は清張史観を一連の著作から共感を持って読み解く。昭和史の転換点となった五・一五事件、二・二六事件、さらに戦後占領期の不可解な事件の謎への接近と解明は興味深い。
<今月の本棚>
半藤一利編「なぜ必敗の戦争を始めたのか 陸軍エリート将校の反省会議」文春新書 2019年
陸軍省・参謀本部のエリート将校たちが戦後語った本音とは?雑誌「偕行」に連載された座談会の記録を、半藤が整理し解説している。「偕行」は偕行社(旧陸軍の将校をメンバーとする集会所)の機関誌で、出席者は佐官級の中堅参謀である。日独伊三国同盟への評価、対米開戦に至る経緯、御前会議と終戦への経緯などが語られる。時には意見の相違や批判もあり、戦争指導部の独善性は深刻。一般兵士と国民は見えていないエリート軍人の視野狭窄ぶりがよくわかる。半藤の適切な解説により時代が映し出される。
新名丈夫「海軍戦争検討会議記録 太平洋戦争開戦の経緯」角川新書 2022年
敗戦直後の10月、第二復員省(旧海軍省)の肝いりで開かれた特別座談会の記録である。出席者は将官を含む幹部幕僚29名。太平洋戦争開戦に至る経緯、戦争指導と作戦の実態、陸軍との齟齬、終戦までの道のりなど敗戦に至る流れが率直に語られる。かなり辛辣な相互批判があり、組織の弱点もあらわになってくる。反省会としては正直な発言も多く、航空戦の時代に大艦巨砲主義から抜け出せなかった事実が指摘され、敗れるべくして敗れた実態がわかる。まさに「伝統墨守 唯我独尊」と揶揄され、今日の海上自衛隊に受け継がれる海軍の体質であろうか。
本間正人「経理から見た日本陸軍」文春新書 2021年
戦争とはずいぶん金がかかる。兵器の高額ぶりに改めておどろき、兵士の装備の経費もまた大きい。軍隊を維持する負担は想像以上である。兵士に支給される主要武器の38式歩兵銃は1丁約45万円。38式とは明治38年制式化されたことを意味する。日露戦争当時の銃で近代戦を戦っていたのだ。給与についても見てみよう。職業軍人に手厚いのは想像がつくが、例えば師団長である中将と徴兵された2等兵との格差はなんと81倍。昭和18年当時の中将の給与は月額483円(現在換算約242万円)に対し2等兵は6円(約3万円)。ボーナスもあったという。軍人恩給も破格で、A級戦犯東条英機の妻は戦後も年間400万円を受け取っていたと先輩から知らされた。被災し家を失った国民には1銭の補償もないのに。あまりの格差に天を仰ぐ。また他の装備に関して、例えばねじ1本とっても基準がまちまちで共用性がなく修理するにも困難であったこと、銃の口径の違いで銃弾の共用が難しかったことなどが指摘されている。経理財務面から見ても、工業化の水準が違い過ぎて、米国と戦うレベルに達してはいなかったことが読み取れる。軍隊を財務面で支える主計科将校、経理担当者の養成課程は興味深く読んだ。
田村栄「続 松本清張の世界」 光和堂 1993年 (再読)
清張文学の系譜を丹念にたどる。小説、歴史書など多彩さと興味の赴くところ確かめようとする姿を、生い立ちと後年の歩みを含めて考察を深めている。時代小説「かげろう絵図」での脇坂淡路守失踪事件と戦後の下山事件との重ね合わせは面白い。この流れでの「昭和史発掘」は労作であり、意義深いものであったとする評価は同感である。「昭和史発掘」は全13巻中二・二六事件は7巻を占めている。事件に至る前段としての「桜会」の野望、五・一五事件、天皇機関説問題、士官学校事件にもそれぞれ1章を設けて二・二六事件に至る流れがわかりやすい。本書に刺激されて下記の北博昭著作を書棚から引っ張り出すことになった。
北博昭「二・二六事件 全検証」朝日新聞社 2003年 (再読)
この事件が具体的に動き出す前後の経過と登場人物の立場、その背景などを当時の政治軍事情勢と関連させて実証的に記述する。陸軍内部の皇道派と統制派の対立は人事も絡んで抜き差しならぬ状況に陥っていた。それを背景に急進的青年将校たちは天皇親政の政治体制を主張し、部隊を率いて行動に出る。青年将校とその部隊の動きを主軸に、将軍たちの思惑や統制派の幕僚の動きを丹念に追う。入手可能な記録・資料・裁判判決書などから客観的事実(に近いと思われる)を記している。事態は天皇の怒りを契機に鎮圧に傾く。皇道派青年将校のクーデターともいえる軽挙を利用し、統制派は皇道派を一掃し高度国防国家体制に邁進する。著者は統制派による逆クーデターであったと評するのは卓見と思われる。資料が活用され、事件を総体的に俯瞰できる。清張の「昭和史発掘」も膨大な資料を読み解き、事実を持って語らせている。やや青年将校への哀惜の念が感じられるのは、彼の敗者への思いであろうか。
澤地久枝「雪はよごれていた 昭和史の謎二・二六事件最後の秘録」日本放送出版協会 1988年 (再読)
象徴的な題名である。陸軍には法務官という職責があった。軍の司法を担当する文官であり、いわば検察官である。二・二六事件は軍法会議で裁かれるのだが、その検察官役を果たした法務官に匂坂春平がいた。彼の死後保管していたこの事件に関する一連の文書が発見され、それを澤地がNHKの中田プロデューサーと読み解いていく。公式の書類は戦火により失われたとされているが、匂坂が残した文書は資料性が高く、手書きの手控えと書類の写し、各種調書、論告書など公文書に添えられたメモ付箋類は貴重な資料となっていた。事件の首謀者として処刑された青年将校たちの目的と手段、行為が犯罪として裁かれ葬られる。その陰に、隠蔽されたもう一つの真実が浮かびあがってくる。軍上層部の将軍たちと中堅幕僚の思惑が交錯し、事件を契機に軍部独裁への道が舗装されていく。決起当日青年将校側に示されたいわゆる「陸軍大臣告示」をめぐる澤地の探索と推察は、本書の白眉である。事件当日東京を染めた白い雪は、すでに黒く染まっていたのである。澤地の「妻たちの二・二六事件」も読みたかったが果たせなかった。
エマニュエル・トッド「第三次世界大戦はもう始まっている」文春新書 2022年
ウクライナ戦争の背景を検証することで、現実に迫りくる世界大戦への警鐘を鳴らしている。実質的に米ロ代理戦争であり、NAТОおよびEUのスタンスに危機感を示している。アメリカはロシアの弱体化を狙って軍事、経済的圧力を強めているが、その影響力の低下は深刻であり新興国のアメリカ離れが実際に起きている。この中で日本はどうするのか、核問題を含めてトッドはある提起をしている。それは諸刃の剣になりそうだ。
丸山眞男「超国家主義の論理と心理」岩波書店 全集第3巻 1995年 (初出は『世界』1946年5月号) (再読)
「戦後」を開く嚆矢になった一書である。日本を破滅に導いた日本軍国主義の深層を、政治学の立場から解明した丸山の出世作。これにより戦後民主主義の旗手となる。先の戦争を語るにはどうしても外せない論文であると思い、読み直してみた。丸山は超国家主義の「超」とか「極端」という意味を問うことから説き起こす。さらに軍人官僚の国家的社会的地位の価値基準は天皇からの距離にありとする。それ故「本来の独裁観念は自由なる主体意識を前提としているのに」その主体たる個人は存在していないともいう。ここから著名な「抑圧の移譲」を論じていく。「こうした自由なる主体的意識が存せずに各人が行動の制約を自らの良心のうちに持たずして(中略)上からの圧迫感を下への恣意の発揮によって順次に移譲していく事によって全体のバランスが維持されている体系である。」と。政治と社会状況が右へ右へと波立つ今日、戦後をもう一度見直すべきと思う。丸山を再評価し学び直したい。東京帝国大学助教授から二等兵として徴兵され、二度にわたる軍隊生活を経験した故の説得力もある。私自身読み直すたびに新たな発見があり、「戦後」を考える上で教えられることが多い。論文として難解な面もあるが是非一読してほしい。
【葉月雑感】
▼ 昭和史を振り返ると、満州事変に始まり太平洋戦争敗戦に至る一連の戦争が大きな影を落としている。保阪正康は昭和を戦前、敗戦による被占領期、独立後に三分している。戦前は國体護持を掲げた陸軍を中心にした戦時体制であり、戦後占領期には米軍統治下での民主化と逆コースが交錯し、松川事件下山事件帝銀事件などの不可解な事件が続く、一方では米ソ対立の激化で再軍備と岸信介のような戦犯の復権、教育の反動化が顕著であった。この時期に現在に至る自民党支配体制が確立している。独立後は、あくまで形式的に独立したとされながら底流には米国支配が厳然として存在している。白井聡によると戦前の國体の天皇の位置に戦後は米国がいる構図とされる。半藤一利すでに亡く、保阪また老いたり。衣鉢を継ぐのは誰だろう。
▼ 私は昭和22年(1947年)2月生まれ。母の戦争体験は何度か書いている、父は戦車兵で習志野の戦車連隊所属だった。本土決戦に備えた首都防衛部隊だったという。一度聞いたことがある、外地にはいかなかったのかと。「もし満州に行っていたら帰ってこれなかっただろう。日本の戦車は軽戦車でソ連の重戦車にかなわない。」と語っていた。実際に前掲の「経理から見た日本陸軍」で日本の戦車の装甲は薄く、搭載している戦車砲は口径が小さく初速が遅いので相手の装甲を打ち抜けず、ソ連や米国の戦車には歯が立たないと記している。歴史のもしもで、父が外地に出征し母が東京大空襲に生き残らなかったら、私は存在しないことになる。
▼ 何やらきな臭さが漂い、歴史修正主義が大手を振ってまかり通る昨今に危機感を感ずる。先の大戦の歴史から学ぶべきことは多い。8月だけの季節行事にしてはいけないと思う。そんな切迫感から今月号は戦争に集中して選書し、読んでみた。「歴史から学ばない者は歴史に復讐され、歴史からしか学ばない者は孤独になる」と誰かが言っていた。
▼ パリのオリパラがテレビで大々的に報じられている。天の邪鬼としてはあまり見ない方だが、日本選手の活躍には率直に喜ばしい。もう40年近く前になるだろうか、オルセー美術館ルーブル美術館などを訪れた。健在だったノートルダム寺院の威容とパリの佇まいを懐かしく思い出す。華やかな式典と競技の最中でもウクライナ戦争は続き、イスラエルのパレスチナ人ジェノサイドは容赦ない。背後にはアメリカが存在し、軍事支援は惜しみない。イスラエルの暴走はついにイランの首都でのハマス最高幹部の謀殺にも手を染めた。穏やかならぬ事態になっている。このイスラエルを広島市は8月6日の平和式典に招待するという。ロシアは招待しないのに、この不均衡はいったい何だろうか。「はだしのゲン」の取り扱いといい、広島市は何に忖度しているのだろう。長崎市は平和祈念式典にイスラエルを招待しない。まさに見識である。これに欧米諸国は抗議の声を上げている。自らイスラエル擁護の正体を暴露したに等しい。G7は大使の出席を見送った。そもそも原爆を投下したのは米国であり、いわば加害者である。平和祈念式典に招かれたら率直に受け止めて、謙虚に参加すべきなのに欠席を主導した米国大使の態度は尊大ではなかろうか。市主催の式典に干渉するのは思い上がりであり、根底には宗主国意識と強烈な差別意識がある。欧米諸国の偽善を見る。私は広島長崎の祈念式典には、核廃絶を主張する立場からロシアを含め、広く参加を呼びかけるべきと思うのだが、どうだろう。
☆徘徊老人日誌☆
8月某日 所用で八戸市へ。市立美術館を見学した。新規開館したばかりの白亜の建物。1階は広々として歩きやすく市民グループの展示も見られ、造りそのものに思想を感じた。書道展を覗くと李白の漢詩「長安一片月」(子夜呉歌)が目に入り嬉しくなる。しばらく副館長と話をする。市民の活動に場を提供していきたいと話していた。共感しつつ「市民、職員双方の力量が試されますね」と言ってしまう。少し歩いて八戸市ブックセンターへ。市が経営する書店、ずーっと気になっていた。繁華街の一角ビルの1階に所在している。書店らしからぬ雰囲気が漂う、入ってすぐにコーヒースタンド兼カウンターがある。配架もサイズにとらわれず分野毎というか好みに分かれておいてある。隠れ家的な執筆コーナーもひっそりとしていて、作家を志す人に提供しているとか。遊び心が感じられ好感が持てる。書店経営には批判する向きもあるのだろう。市から年間約6000万円ほど持ち出しになっている。この経費をどう見るか、文化度の目安になるかもしれない。
8月某日 地震に揺れるこの列島に豪雨も襲ってきている。被災者にお見舞い申し上げると同時に、支援と復旧の効果的であることを願う。政府気象庁から東南海トラフ地震に関して「巨大地震注意」が発表された。お盆を目前に帰省や家族旅行を計画している人には戸惑いがある。地震の予知はかなり困難で、的中させるのは至難の業である。研究者の労苦がしのばれる。一方で、これを政治的に利用しようとする向きもあるようだ。裏金、不人気、スキャンダルに汚辱しきったキシダ政権の窮状から目をそらせようとする下心はないのか。また、巨額の研究予算が投入されている地震研究継続の追い風にしようとする、研究陣の思惑はないのか。弱小官庁である気象庁の自己アピールの要素は。防災予算の獲得によって巨大工事の継続を望む建設業界の期待感はないのか。さらには財政難の自治体にとって、防災名目補助金は干天の慈雨ではなかろうか。等々考え過ぎだろうか。
パリを向いて浮かれているうちに、宮崎で震度6クラスの地震。徐々に被害の深刻さが判明している。正月の能登半島地震に続く大震災。地震列島、火山列島に原発は適切なのだろうか。忘れたころにやってくるのではなく豪雨もあり、再興再建が進まぬうちに災害は忍びよっています。国土強靭化などとお題目よりも、身になる施策を望みたい。早朝散歩も汗だく、田んぼの稲はいつの間にか頭を垂れている。実りの秋は近づいている。でもコメは値上がり、主食の危機も近づいている。と言っているうちに、キシダ首相は退陣を表明。聞く力と新しい資本主義を掲げて総理大臣の座に就いたはずが、いつしか権力の魔力におぼれて是非善悪の境を超えてしまった。哲学なき人の一栄一楽是春秋である。
夏に負けてたまるか!!健康を維持して平和を願いましょう。
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