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#犬との暮らし
私はママさんじゃないのですよと言って上の方に怒られる話
いつもの通りに朝、詩人と犬の散歩に出ると、掃除のおばさんが少し暗い顔をして、マンションのごみ取集所のところにおられる。
(我々は平日、敷地のとても狭い、縦に細長い都心のマンションに住んでいる。おばさんは、その限られた公共スペースと、約27戸から出されるゴミとリサイクリングの処理をしてくださっている。犬をとてもかわいがってくれて、「ウチのコになりなよ」といつも言ってくれる。)
「こんなのを出す人が
わたしがちいさかったときに
いわさきちひろさんの「わたしがちいさかったときに」を読ませてくれたのは母ではなく、亡くなったおばだった。
その瞬間まで「・・・をしていました」という文章の一覧があったように記憶する。
その中に
猫をなでていました
というのがあったことを憶えている。
三輪車に乗っていました
というのもあったように思う。
その当たり前すぎる日常…。
マンションの外に犬を連れだした時に、ぴかっと空が光ると
飛べない雀と、終わった後の世界にいるような感覚。自分との距離感。
スワンサワンというタイ料理屋の前に飛べない小さな雀がいた。
あれは30年も前になるだろうか、雀の子を育てたことがあった。山本山の缶に入れて「やまちゃん」という名前をつけて、数日ご飯をつぶしたのをあげていたら、ある日いなくなった。
YouTubeでも羽をケガしたヒナにピーナツバターをやって世話をしていた動画があったので、犬を家においてもう一度現場に向かう。小さな白い箱に入れて飛べるようになるまで
ブレたくない犬の苦悩。はっきり言って芋虫(虫嫌いの方は閲覧注意)
朝、犬にフードをやると、食べずに、深く考え出したのが分かりました。順番が違うのです。
先ず人間の食べた後のヨーグルトの器をなめてから朝食、なのです。
犬が勝手に自分の中で生み出した順番について、その意味を自らに問い正しながら、一方でブレてはならない…と苦悩しているのが、手に取るように分かります。
気の毒なので、じゃあ、ヨーグルト食べるね、と声をかけたのですが、その後、炊飯器の汚れが目に入り、そ
濡れた緞帳の日。佐々木信綱の歌。
まるでたっぷりと泥水を吸った緞帳に、覆われたような一日でした。
とにかく身体を動かして(字を書くのもその一部です)、アナログな歌友とのやり取りをし、郵送!!するため郵便局に行きます。
帰宅すると犬が腹を見せてくれます。最初は詩人に・・・。羨ましがっていると、こちらにも腹を見せてくれました。以前に腹も大体黒と、書きましたが、良く見ると白いブルマーを履いていました。ブルマーは犬の腿(もも)の内側に
犬のライフワーク。全身これ営業。
犬の散歩の目的は、ライフワークの完成です。それは自宅付近では、アントニ・ガウディのサグラダ・ファミリアのように、永久に終わらない猫mapの完成で、都心ではネズミmapの完成です。
犬は性格が良いので、人間にとってもそれは重要な目的だと考えているようです。それでいちいち報告してくれます。
人間の散歩の目的は、暇つぶしと地域散策、肩こり解消なのに、です。
この温度差を感じたのか何なのか、犬は最近
起きたら犬がいなかった/宙(そら)という名の犬/土星の消失
朝9時に起きたら犬がいない。
いつもいる階下のソファは黒い毛だらけで、タオルがしわくちゃだ。タオルのしわをゆっくりとのばして自分の今の気持ちを考える。ぬるい午後に起きたら親がいない子供の頃の感覚では全然ない。
村上春樹の小説の主人公が猫を探しに行く時にこうなんだろうという、そのまんまな気持ちで階段を上がっていくと、珍しくオフィスで犬が「刀」の形(起筆方向が頭)で寝ていた。
午前中、受けたセキュ