ミケランジェロの隠れ部屋(Stanza Segreta di Michelangelo)を訪問
前回の記事「ミケランジェロゆかりの場所を訪れました①」に続いて、ようやく7月(2024年)にイタリアを訪れたメインの目的についての記事をまとめることが出来ました。
目的とはタイトルの通りで、表紙の写真はフィレンツェにあるこの部屋の壁画の一部です。
これまでミケランジェロに関する美術書を何冊か購入したり、図書館で借りたりしましたが、それらの中でこの”Stanza Segreta di Michelangelo”について記載があるものの内容としては、1975年に発見されたこと、そして下記一例ですが、大概このように表現しています。
様々な著書の中では、狭い部屋の壁の至る所にミケランジェロのものと思われるデッサンが描かれていて、彼は命の危険を伴う究極状態でも仕事のことを忘れなかった、などと解説してありました。
過去何度かフィレンツェを訪れた時、サン・ロレンツォ教会に接するメディチ家礼拝堂に足を運んだこともありましたが、このStanza Segreta~は一般公開されていなかったので、目にしたいと思いつつ、私がここに足を踏み入れ壁画をナマで目にする機会など、一生来ないと思っていました。
しかし昨年、noteに投稿された記事をたまたま拝見し、期間・人数限定で一般公開されるというニュースを知った次第です。
まずそのニュースを投稿していただいたこと、感謝いたします。
一般公開されることを私が知った時は、チケットが販売されてから時間が経っていたため、当初完売してしまい、落ち込んでいたのですが…。
期間が延長されることを期待し、ずっとチケットのサイトを確認してまして、今年1月にようやく7月のチケットを取ることが出来ました!(実はこの時もタイミングが悪く、延長になったことを気が付くのが遅れ、殆ど完売になっていたところを何とか空きの一コマを見つけた次第でした💧)
スタートからそういうドタバタでしたので、20年近くも訪れていないフィレンツェに無事辿り着くかとか、昔訪れたメディチ家礼拝堂の入口がどこかも全く覚えてなかったし、さらにメディチ家礼拝堂に入れたとしても、Stanza Segreta di Michelangeloに無事行くことが出来るのかとか、不安が付いて回りました。
とにかく行くしかない!で、行動のみ。そして(何とか)目的は達成できました。
メディチ家礼拝堂の入口は教会とは別で、行かれた方の記事や、地図を見れば見当つきましたが、予約できたのは朝一の時間帯(9時)。もしも迷って行き損ねたりしたら最悪なので😂、念のため前日に下見しておきました。
当日は開館時間と同時に着くように行きましたが、平日の朝だったためか(8:30頃)入り口はそれ程混んでいませんで、「チケット予約済」と「当日券購入」と列が簡単に仕切られていました。
私はチケットを予約した後、送られてきたメール文を印刷していたので、それを見せればすぐ入れました。
次にStanza Segreta~に入るにはどうするか、集合場所があるのかを先ず確認せねばと思い、印刷した用紙を見せながら職員に尋ねると、入口受付のところに指定時間に来るようにという指示が、何とか分かりホッとしました。
予約時間は9:00から。少し時間があったのでその間、メインの礼拝堂のところに行きました。
階段が2か所あって、一方から上がると、すぐその広間に着きました。
そしてミケランジェロの作品や、隠れ部屋のある「新聖具室」は何処だったかなと探してみたら、私が上がった階段からこの「君主の礼拝堂」とは反対側の通路沿いにありました。
新聖具室のミケランジェロの作品のことは、以前の記事でも紹介してます。
9:00になったので一度下の入口に戻り、ガイドさんに案内されて再び新聖具室に入りました。
ここには扉が複数があり、Stanza Segreta~の入口(地下に続く階段)は何処かな?と思いながら後に続くと、ロレンツォ公の墓碑の先のドアを入ったところを案内されました。
以下”Stanza Segreta di Michelangelo”にたどり着くまでの写真です。
ついに来ました!念願だった隠れ部屋!
この時の見学者は私と年配のご夫婦だけ。ガイドさん含め計4人。
もう少し人数がいるのかと思っていました。
それだけデリケートな場所なんだと少し緊張もしたかも…。
少人数なので、ゆっくりじっくり見て撮影できると思いきや、制限時間は15分!
でも貴重な15分でした。
では限られた時間で撮りまくった壁画、どうぞご覧くださいませ。
まずは奥から右側の壁にまいります。
下の「アポロ」とそっくりですね、左右対称のようですが。
次からは奥から向かって左側になります。
この部屋のミケランジェロのデッサンが発見された時、このメディチ家礼拝堂の館長さんが「ここは1530年にミケランジェロが隠れていた部屋にちがいない」と判断されたということです。
前述したように、殆どの著書にはそう説明されていますし、私もそう思っていました。
でも隠れ部屋ではなくて、聖具室の作業の際、弟子たちと共に休憩室だったに過ぎないと解釈する研究者の声もあります。
確かに当時の伝記、G.ヴァザーリ、A.コンディヴィの著書にもこの部屋の記載はないし…。
どちらの意見が正しいかというと…うーん、実際この部屋を目にする前も後も「どちらも、ごもっともで正しく」思えてしまいます……。
ちなみに同行のガイドさんはやはり「隠れ部屋」を前提にご説明されていたようです。
撮ったビデオを見直すと「もしかしたらデッサンの一部はgarzone(弟子)が描いたのでは?」とヘタな英語で私がガイドさんに質問してしまい、苦笑されてしまいましたね(;'∀')
「自分が何故はるばるここまで来たか」を思い返すと、ミケランジェロのストーリーのシナリオを創作するためです。
それを考えると私は長年ここを「隠れていた部屋」と思っていたし、物語はそうした方がドラマチックでもありますね。
結論「休憩室に使っていたところに隠れていた」ことにいたしましょうか(^^♪
ともあれ実際ここを目にすることが出来て、本当に私は幸運でした!
現地を訪れないと創作が出来ないわけでもないし、逆に訪れたからって優れた作品が出来るわけでもないけど。
これを基に作品を作るというチャレンジは、これからです。
また、この記事を仕上げることも目的の一つで、noteがなかったらこうやって私なんかの体験記を公表する場もありませんでした。
そのことだけでも有意義でしたが、さらに有意義なものになるかは自分次第…ですね。
ご覧いただきありがとうございました。