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自伝

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本マガジンは私の自伝的エッセイです。私自身の「生きづらさ」を感じるようになった体験を綴っています。
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#就活

社会が求める「コミュニケーション能力」

 就職活動を始めた私はリクナビやマイナビなどの求職情報サイトに登録し、説明会の参加のために企業へ訪問したり、大学のキャリアセンターを利用して自己分析や面接の練習を行ったりなど対策を講じてきた。

 当時(2008~2010)の就活市場は冷酷な状況だった。

 新卒一括採用を行う企業の採用人数が大幅に縮小され、大手・中小問わず「厳選採用」という手法に切り替わった。転機となったのは、リーマン・ショック

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迷走する進路

 結果として、就活は散々なものだった。

 初めは旅行業界を中心に会社を訪問してきた。
 理由は人間にとって旅行が娯楽として親しみやすい分野であり、海外での営業・添乗業務など仕事の幅を広く積んでいくことができると考えたからだ。
 だが、いざ説明会でライバルとなる参加者たちの話を聞いていると、豊富な旅行経験をもとに「旅」について熱く語る人がいた。複数の外国語を使いこなす人もいた。強敵揃いの面々に、私

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研究生活

 東日本大震災で残った爪痕の傷、福島第一原発事故の発生など相次ぐ不幸なニュースをテレビで見た私は喪失感が拭えなかった。テレビ局では多様なCMが自粛されてしまい、どのチャンネルを見てもACジャパンのCMを放送していた。心にぽっかりと穴が開いたような気持ちのまま、波乱の春を迎えようとしていた。

 玉川大学を卒業後、同大学の大学院文学研究科の修士課程に進学した。専攻は英語教育。特に第二言語習得論という

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進路を前にして

 大学院1年目を過ごしていた私は授業についていくのが精一杯だった。

 思うようにプレゼンテーションの準備が進まない。他の在校生との議論になかなか入っていけない。当然のことだ。在校生の大多数は教員志望であり、英語教育に関する理論と実践を徹底的に鍛錬された学生ばかりである。
 私など箸にも棒にも掛からぬものだ。

 当時の私は、授業中でも研究室内でも不躾な態度を取っていた。その果てに、他の院生との喧

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就活塾に通う、そして・・・

 印刷工場で重労働に携わる日々を送っていた頃、私はある就活塾の塾長に出会った。
 就活中の妹から紹介されたのだ。自分のキャリアについて相談に乗るという話である。
 心境はかなり複雑極まりない。不安定な状況を何とか脱したい。」ともがく私と「人や社会とのコミュニケーションで失敗するのが嫌だ。」と社会的責任から逃れようとする私。その板挟みに苛まれていた。

 でも、状況を変えるためには会って話を聞くしか

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