研究生活

 東日本大震災で残った爪痕の傷、福島第一原発事故の発生など相次ぐ不幸なニュースをテレビで見た私は喪失感が拭えなかった。テレビ局では多様なCMが自粛されてしまい、どのチャンネルを見てもACジャパンのCMを放送していた。心にぽっかりと穴が開いたような気持ちのまま、波乱の春を迎えようとしていた。

 玉川大学を卒業後、同大学の大学院文学研究科の修士課程に進学した。専攻は英語教育。特に第二言語習得論という専門分野に進み、学習者の言葉の習得についての理論と実践を学んできた。
 言葉の力は普段からどうやって育むのか、特に日本の英語教育(当時の研究対象は中学生)でどのように英語力を伸ばしていったのかを探る研究を深めてきた。2年間の研究生活で、自分の理想とする英語教材をつくるヒントが得られるのではないか。そんな希望にあふれた期待を胸に取り組んできたのだ。

 大学院の入学式は中止となり、そのままオリエンテーリングを始めることになった。
 研究科長だった先生から、大学院で勉強することにあたって、心構えと履修ガイダンスに関する話を聞いていた。その後、院生専用の研究室に入室し、大学院の手引きなどの資料を整理していた。大学時代と同様に、履修科目の申請手続きを準備していた。1年目は授業と研究に費やすものとなった。充実した研究生活だったかと思いきや、それは程遠いものだ。

 その後の将来についての展望が開けずに悩んでいたからだ。

 英語教材づくりに応用できる言語習得の研究をやろうと意気込んだものの、その分野を扱う語学系出版社が極めて少なかった。

 インターネットで調べたり、恩師のK先生の話から情報を得たりした。しかし、採用人数が少なく、中途採用をメインとする出版社がほどんどだ。応募内容を見ても、書籍編集経験者を優先して採用する傾向が多くあった。新卒採用と未経験採用の枠はわずかしかない。

 その事実を知った時、甘い考えだった。望み通りのキャリアが築けない以上、別の道を選択するしかない。一方で、教職は知識だけでなく生徒とのコミュニケーション能力や学習指導力を必要とする。だから、私のように教員免許を所持せず英語教育指導経験のない人間には、門前払いにされることが当然だと思っていた。

 その他の就職先はというと、どの企業も「大学院出身の学生は専門分野に偏っており、扱いにくい。新卒で学生を採用したほうが手っ取り早い。」という古い考えが根強かったため、応募には程遠いものだ。
 さらに、大学院生用の求職サイトにも目を通した。でも、どの企業も理系を重視しており、文系院生の採用は狭き門である。もちろん中には文系大学院生向けの採用もあったが、ほぼ営業職だった。コミュニケーション能力に欠如している自分には現実として選択の余地がない。

 やはり、ビジネスの現場では「文系の知識は無価値」とみられるようになったとしか思えない。

 以前から他者とのコミュニケーションの問題を抱えていた上に、表現力や思考力も乏しかった。自分の居場所はどこにも用意されていない。あったとしても居場所が保障されているわけではない。その先の未来への展望が開けず、悩んでいた。
 とはいえ就職先を決めなくては自立して社会生活を送ることはできない。キャリアセンターを活用して就職の口を探すが、学卒向けの求人が大半を占めるため、あまり期待できなかった。そこで書店に行って就活本を手にとって読み漁っていた。
 当時、大学4年の春頃から始めた就活では作家の中谷彰宏氏の『面接の達人 2011』(面達)の事例集を読んでノウハウを学んでいた。

 だが、企業の人事部に小手先のテクニックは通用しない。応募者の回答によって優秀な人材かどうかを見極めることはたかが知れているからだ。そこで別の就活本を見つけた。教育学者の齋藤孝氏の『就職力』だった。

 この本のサブタイトルに「就活は一日二○○ページの読書から始めなさい!」との強いメッセージが出ている。齋藤氏はかねてから子供や若者に読書をするよう強く後押ししていたことは誰しも理解しているであろう。この本では企業が大学生に要求することについてコミュニケーション能力を第一に挙げている事実を取り上げ、その大本は「活字力」であると力説した。普段から小説などの文学作品だけでなく経済誌やビジネス誌を手にとって読んでほしいと述べている。活字に触れる機会を増やすことで、面接でも仕事でも言い淀むことがなくなるという。

 齋藤氏は教員志望者に向けて進路指導をメインに活動しているが、大学のゼミ生に就活の相談にも対応していた。
 一例として、ある男子学生が企業の採用面接で『君の採用は現段階で認めない。君にチャンスを与えるから、会社の業界について勉強してから、再度問い合わせてください。』と言われた。その旨を齋藤氏に伝えたところ、『これは君にとって就職できるチャンスじゃないか。』と激励の言葉を返した。すると男子学生は『もういいです。』と諦めてしまった。齋藤氏はその学生に落胆した。男子学生は面接官に『君の採用はない。』と受け取ったのだ。学生に足りなかったのは『面接官の言葉の意図』や『活字力』、『成熟力』だと残念な想いでならなかったそうだ。

 この説明文を読んで私が学生時代に足りなかったのは語彙力・読解力・成熟力だった。だが、ビジネスの現場では「会社の数字を読む力」や「不況下でも利益を出すアイデア力」も要求されていた。齋藤氏の想像よりもはるかに超えていた。就活戦線は冷厳なるものだった。このスタンスは昔も今も変わっていない。それだけ企業には人材を育てる時間もお金もない。即戦力重視型の人材獲得戦略に切り替わってしまった。おまけに年齢が若ければ若いほど良いという風潮は根強い。仕事の吸収スピードが断然早いからだ。

 研究生活でこの本と出会い、過去の就活を振り返ると、就職以前に身につけるべきビジネススキルが山ほどあったのではないか。また、中学や高校の頃から仕事に就くためにどうすればいいかを熟慮しておくといった計画力も必要だったのではないか。今さら振り返っても、時すでに遅しである。

 私は過去の自分の人生を振り返る度に、常日頃の行動や能力の無さを恥じるようになった。社会が求める能力にまで上達できていない自分に憤りを感じずにはいられなかった。それでも後悔しても仕方ないと前に進む決意を固めた。

 絶望的な状況でも、まずは自分の研究に没頭するしかない。そのことだけを考え、細々と研究生活を送っていた。


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ハリス・ポーター
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