社会が求める「コミュニケーション能力」
就職活動を始めた私はリクナビやマイナビなどの求職情報サイトに登録し、説明会の参加のために企業へ訪問したり、大学のキャリアセンターを利用して自己分析や面接の練習を行ったりなど対策を講じてきた。
当時(2008~2010)の就活市場は冷酷な状況だった。
新卒一括採用を行う企業の採用人数が大幅に縮小され、大手・中小問わず「厳選採用」という手法に切り替わった。転機となったのは、リーマン・ショックの影響である。
2008年9月、アメリカの大手投資銀行リーマン・ブラザーズが経営破綻に陥り、世界経済に大きな打撃を受けた。金融市場は瞬く間に混乱を招き、株価の暴落が止まらない。リーマン・ブラザーズの倒産により、世界的な信用不安が募り、未曾有の金融危機に直面した。
その影響に感化されたのか、日経平均株価は大暴落となり、景気の低迷をより加速化していった。
結局、企業は金融危機に伴って経営上の打撃を受けた。再建に向けて真っ先に行ったのは人材教育コストの削減である。人材を一から育てる余力が失われ、「即戦力」を求めるようになった。大学を出たてでも現場ですぐに活躍し、高利益をもたらしてくれる「優秀な人材」を求めるようになったのだ。
東洋経済新報社が発行する「週刊東洋経済」をはじめとする経済専門誌の表紙や列車の中釣り広告に見られるフレーズには、「第二の就職氷河期、到来!」と伝える内容が強調されていたほどである。
2010年6月度のリクナビ会員の大学生・大学院生の就職活動の実施状況と内定の取得状況についての調査によれば、2011年卒予定者の内定(内々定)獲得率は55.8%。文系は57.5%、理系は51.4%という結果が出ていた。
その頃を振り返ると、明らかに大学生の内定獲得率が低かった。
企業社会が社会へ巣立つ人々に求められるものは何か。それは「コミュニケーション能力」である。
当時、経団連が発表した「新卒採用に関するアンケート調査結果」において学生の採用選考基準にあたって重視したことは5年連続で「コミュニケーション能力」だった。
実際にキャリアセンターに通って職員にキャリア相談を行った日に、以下の会話があったことを覚えている。
この後、職員からキャリアステップに関する指導を受けたが、正直に言ってピンと来なかった。
一体、コミュニケーション能力とは何だろうか。
就活を続けるうちに一つの結論にたどり着いた。それはビジネスに役立つコミュニケーション能力ということだった。
仕事には営業や事務など多種多様な職がある。それに就くためには会計、IT、ロジカルシンキングだ。特にロジカルシンキングは必須らしい。結論ファーストや帰納法・演繹法といった論理的思考力を求められる。ITやベンチャー企業では特段この手法を用いてビジネスを展開している。新入りを採用する時もこれらの技術を持っているかで決まる。身につけていないと仕事にならないからだ。
面接官とて他の仕事を回さなくてはならない。採用面接でも限られた時間をつくって設けているのだから、その苦労は察することができる。応募者を見る際に、無駄話を持ちかける人は論外だ。会社の生産性を落とすことになるからだ。だからロジカルシンキングが備えている人を優秀な社員とみなす。基本的に頭の回転が速いからである。それに付け加えれば、「30秒から1分以内で話す力」も必然らしい。無駄な時間を省きたいからだ。
1分以内で論理的に考え、話す力。これが社会の求めるコミュニケーション能力なのかもしれないと思った。しかし、コミュニケーション能力の指標は企業によって異なる。だから、わかりにくい。
ほかにも採用基準に求められていたことは成績と数学力である。大学での成績の8割ほど優れたものでないと、入社試験に臨むことすらできない。受験した会社が採用基準に成績を求めていたかどうかは断定できない。それでも成績の内容を加味して合否の判断を決めることがほぼ多かったと思う。正当な評価をする上で理に適っていた。幸い、大学での成績はそれほどひどくなかったため、書類審査で通過した会社はいくつもあった。
問題となったのは数学力だ。ビジネスでは当然ながら数字を読み込んで論理的に考えて結果につなげなくてはいけない場面が多く求められる。そのためには数字に強くなくてはいけない。多くの企業(もしくは役所)で筆記試験にSPIを用いるのは、受験者に数学的思考力があるか否かを見極めているわけだ。
SPIや筆記試験で問われた非言語分野の数学でつまづいてしまったため、通過できなかった。
数字に強く、1分以内で論理的に考え、話す力を持った人こそ「優秀」とみなされる。私にとっては厳しい条件だった。
冷厳なる時代の社会事情のせいにするつもりは全くないが、これまで社会人になるために必要な力を鍛錬してこなかったことに落胆した。企業の要求に応えることができない。ビジネスに直結するノウハウや経験を説明できるネタがない。次第に暗澹たる気持ちになった。
私は「頭の悪い人間」だと思わざるを得なかった。