瞑想時雑念と闘っている人へ~ある一般人の気づき
今日は新月です。
新しいことを始めるのに良いとよく言われますね。
この機会に皆さん瞑想の時間をとられるのはいかがでしょう?
瞑想と聞いて拒絶反応が強い方はまずは呼吸法も良いかと思います。
運動習慣のない方などは本当に呼吸ができていないですから。
こんなことを言い出したのは今日の気づきがわたしの呼吸法の時間にあったからです。
これは瞑想や呼吸法が上手くいかない、続かない、やりたくない初心者の方に向けて書く記事です。
既に習慣になっている方はとっくに通り過ぎたであろう「雑念」にまつわる話。
身体や精神が安定している方ならあまり関係ないのかもしれませんが、人のからだもこころも日々揺らぎがあります。
それ故か、「今日はこんなに素晴らしい時間を過ごせた!凄く深く瞑想状態に入ったみたいな静けさを感じた」なんて日があっても翌日には瞑想の記録について何も言いたくないぐらいなことも。
皆さん!それが人間なんですよ!
大丈夫ですから。
それでも続けることが大事です(天の声)。
でも雑念との闘いがあまりな時にはやる気さえ起きませんね。
上手くいく気がしない。
変化が期待できないことを続けるのにはより強い意志が必要です。「流行ってるから」「いいと言われたから」人によってはそれだけでは継続が難しいでしょう。
だから提案です。
闘うことを辞めましょう。
よく手引きにはこうあると思います。
「雑念は脇に置いてだた瞑想に戻りましょう」
「『今は瞑想の時間だよ』といって瞑想に戻りましょう。」
わたしは瞑想が上手くいかなかった一人で、学校で習ってからも雑念に関するQ&Aなど見かけるとよく手にして読んでいました。でもどれも上記のようなことが書いてあります。
だってある意味その通りだから。
ある意味、と書いたのはこれを思い出して丁寧にその通りやろうとするとうまくいかないと感じたからです。
でも文章の内側に入って行動してみましょう。
手引きを読んでうまくいく人はきっとそれでいいんです。人は理解度も器用さも様々です。
でもうまくいかない人は「そんなこともうやってる。でもうまくいかないんだ」と思っていると思うのです。
でも、やれていないからできないのですよ。
どういうことかというと。
[雑念発生] → [雑念拡大] →【自分が雑念に捕まっていたことに気づく】→ [心の声「あぁまたやっちゃった」→「瞑想にもどらないと(雑念を意識して切り替える)」→「よし戻るぞ。瞑想、瞑想・・・」] → 集中しようとする(これもうまくいかないときもある)
こんな流れを繰り返していると思います。
顕在意識が邪魔しない状態になってくると気づきも生まれたりするので、「そうだったのか!」でどんどん雑念が拡がってしまう。気付きも雑念ですからね。でも自分に益をもたらしてくれるものからは離れにくい。
反対に日常のごたごた等が思い出されて瞑想状態が深まらないと落ち込みも出てくると思います。
瞑想のはずがイライラしたり。負の連鎖です。
ここで気づいていただきたいのが上の流れで雑念に気づいてから集中までのアクションです。うまくいかないとき。それは気づきから集中までの間にアクションがあるからです。
瞑想や呼吸法を頑張っている人はどうしたらうまくいくか勉強もします。調べてやってみて工夫します。
だから「ただシンプルに戻る」っていう当たり前すぎることに不慣れな感じがします。肩の力が入っている感じというのでしょうか。
「雑念が湧いたときにどうするか」という対処法を見たときの情報とか感覚とか、そういう感じのものがワンクッション入る気がします。
別のことばで言えば戻る作業に思考を使おうとしているのかな、という感じ。
瞑想はアクティブなものとか色々な形があるので呼吸法を例えにしますね。とはいっても呼吸法もカウントを意識するもの、インとアウトの境目を含めた呼吸の流れを意識するもの、イメージを使うもの、マントラを使うもの・・・と種類があると思うのですが・・・
[雑念がある状態]→[雑念に気づく]→[(マントラ等に)フォーカスを戻す]
それまでどんなに長い時間雑念に囚われていた時間があったことに気づいても、昨日はできたのに今日できなくても、昨日も一昨日もすっとうまくできなかった日々が続いていたとしても差はありません。
やり方はひとつ。
フォーカスを戻す。
反省は要りません。
振り返って反省しているあなたは呼吸法(瞑想)をしているあなたではないですよね?
だからただ呼吸に意識を戻します。
呼吸に集中している瞬間、それが連続していれば呼吸法をしている自分になります。
雑念に気づくたびにただ自分のやっていた呼吸を感じる。感覚を総動員して。そしてその状態をただ観察している(口を挟まない)。
何度も書きますが反省はいりません。
どうぞご自分を責めないでくださいね。
ただ、いまの瞬間なにをやっているか、なにに意識を向けているかだけなんです。
反省している人はその瞬間呼吸法をしていないし(呼吸はしていても)、呼吸に集中している人だけが呼吸法をやっている以上、ただその瞬間を重ねていくだけです。できている瞬間を重ねたものが「呼吸法(瞑想)の時間」になるし、結果「瞑想習慣のある人」になるだけなのです。
呼吸法や瞑想というものは時間の塊で捉えられています。
でもわたしたちはいまという瞬間の自己の連続がその時間の塊として観察されているのだということをあまり意識していません。
だから勘違いで物事を大げさに捉えている部分があると思います。
また人はさまざまな概念にも縛られています。
それが瞑想や呼吸法というものの外側に自分を置く要因になっていると思います。
抽象的な表現になってしまいましたが・・・
呼吸法や瞑想が上手くいかないのには身体の抵抗もあったり(怖れ)、疲労し過ぎていたり(寝てしまう人)、潜在的な要因もあるのでこの記事だけで終わらせるには無理があるのですが(そもそもわたしは教師ではないですしね)。
意外とシンプルなことで躓いているのではないかなとわたしなりにnoteに綴ってみた次第です。
いいですか?雑念で困っている皆さん。
どうぞシンプルにいきましょう♪
1. うまくいかなくても反省しない
2. どうしたらいいか?と思考で解決しようとしない
3. 雑念に気づいたらただ呼吸(カウントやマントラやイメージなど)に集中を戻す
以上、わたしからの提案です。
なお瞑想や呼吸法の最中闘わずに放っておかれた雑念ですが。
ただ湧いてくるときと自分からそれを捉まえたがっている感覚があるときとあります(なに言ってんの?と思われる方は意識して感じてみてください。段々わかってくると思います)。
ただ湧くものは流れていくでしょうから放っておけばいいのですけれど、自分から捉まえたがっているときは瞑想していない時間に対処しましょうね。
例えばアイデアとかは折角浮かんだから離したくないと思います。
そしたらいっそさっさとメモでもして、脳のメモリを解放してあげるといいです。瞑想はやり直しになりますが。
わたしは本当に必要なものはまた必ず来るというスタンスなのでメモしません→やり直しが嫌(笑)
感情的なことでもそうです。自分が拘っていることが浮き出るように来たりします。手放したいのに手放せないときとかに起きるのかもしれません。
それは瞑想が終わった後、ちゃんと向き合ってください。
自分がなにを感じているのか、どうしたいのか、感じてあげてください。
頭じゃないんですよ、ハートを感じてあげてください。
この話はまた縁があった時に。
今日は休日でこどもたちの突撃がありなんだか散漫な文かもしれません。
駄文長文な気もしますが・・・
お読みいただいた方がいまの一瞬に宿るパワーに気づいて素晴らしい人生をクリエイトされますように。
今日もありがとうございます。
愛を込めて。