摂食障害の長い長いトンネルを抜けて~元摂食障害当事者からのメッセージ~347
「自分に期待しない、自分に期待しない。出来なくて当然なのだから」
陽子に会ってからというもの、そう自分に言い聞かせることが口癖のようになっていた。
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陽子の言っていた『考え方次第』という言葉が、何となく心に引っかかっていた。以前は、よく『何で私は摂食障害になってしまったの』とか『あの時「痩せたい」なんて思わなければ、摂食障害にならなかったのかもしれない』とか、そういう終わりのないようなことをいつまでも考えているというか、頭から離れないことがあった。
『過去は変えられないし、すでに起きてしまったことはなかったことには出来ない』
『人生において、何が正解だったのかなんて、死ぬまでわからない』
どこかで聞いたことがあるような、そんな言葉がふと頭に浮かんだ。
「過去は変えられないし、起きてしまったことも変わらない。それに、生きていく上でのたくさんの『選択』のうちで、どれが正解だったのかもわからない。だとしたら、その時その時で自分が選んだ『答え』が、私の唯一の『生きる道』であって、そこに『正解』や『間違い』という考え方自体もないのかもしれない」
私の選んだ『痩せたい』だって、あの頃の私にとっては唯一の、なくてはならない『選択』だった。そして『痩せたい、でも食べたい』私は、過食嘔吐という『選択』をした。
確かに、その時に極端に『痩せたい』なんて思わなければ『痩せたい、でも食べたい』ということにはならなかったのかもしれないし、過食嘔吐を覚えることもなかったのかもしれない。
だけど、あの頃の私にとって『痩せたい』は必要なことだったし、それ以外のことは考えられなかった。それが私の唯一の『生きる道』だっただけで、それが『正解』だったのか『間違い』だったのかを考えても、今となってはどうにもならない。
そして、あの頃の私が『痩せたい』や『痩せたい、でも食べたい』や過食嘔吐を『選択』した過去は変えられないし、なかったことには出来ない。
だとしたら、今の私に出来ることは、これから出来ることやこれから何を『選択』するのかを考えることしかない。それに『考え方次第』では『過去』や『起きてしまったこと』の私にとっての意味合いを変えることは出来るのかもしれない。
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