私は私を生きることにした。①
去年の夏、うつ状態と診断されるまで、私は私を生きていないことに気付かなかった。
「いい人」と思われるように、周りの意見に従い、摩擦を避ける。
自分の本音はあっても、隠して、言わない。
心の奥にしまい込んで、なかったことにする。
それが私の生き方だった。
子どもの時、親の言うことを聞く「いい子」だった。
先生には「優秀な生徒」だといわれた。
社会人になって、新しい環境でもすぐになじむことができるのは「協調性」があるからだと思い込んでいた。
結婚してからも、夫や義理の両親に従う私は「いい嫁」だと思い込んでいた。
そうやって35年間生きてきたから、それが普通になっていた。
そうやって自分の本音を言わないほうがラクでもあった。
私は私を生きていると思っていたけど、全然違った。
私の中の本当の自分を、ずっと苦しめていたことに気付かなかった。
35年間もずっと。
私の中にいる二人の自分。
多重人格とかではなく、誰の心の中にも、二人の自分がいる。
わがままで自分勝手な3歳の私。それは自分の本音を言ってくる自分の心。
責任感があって厳しさもある。自分の欲求を抑えたり、行動にブレーキをかける、大人の自分の心。
その二人の関係が仲良くないと、心が壊れるんだと、クリニックの先生は言った。
私は、私の中の3歳の自分を、大人の自分がずーっと厳しく、わがままを言おうとすると押さえつけた。
35年間ずっと、押さえつけてきたから、いつしか何も言わなくなった。
背中を向けて、しゃがみこんで。
そのことに、気付けなかった。
でももうこのままでは危ないと、何度もサインを出してきていた。
月経前になるときまって人格が変わったように、抑えられない怒りと、
「自分なんか生きていても仕方ない」思う自己否定の念。
そうやって押さえつけられていた、苦しさを、怒りを発出して、「もう限界」のサインを出していた。
だけど私は、それでもまだ気づいてなかった。
ある日、私の心は限界を超えた。
ついに心が壊れた。
バケツにはもう、水はいっぱい入って、ちょろちょろと溢れ出ていた。
水はどんどん濁っていった。
濁った水は、バケツを浸食した。
バケツの素材はステンレスなどでできてはいなかった。
そこに大きくかたい石が落下してきて
バケツは、壊れてしまった。
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