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何度でも読み返したいnote4

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何度でも読み返したいnoteの備忘録です。 こちらの4も記事が100本集まったので、5を作りました。
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記事一覧

共感することと、尊重すること──多様性の時代にむけた私のアプローチ

私にとって「共感と尊重」はとても大切なものだ。親友の言葉に触れて、それを再認識し、あいまいさを受け入れることの重要性にも気づいた話。 「共感」と「尊重」 しばらくnoteを書いていなかった。仕事が忙しく、家庭の都合もあるなか、友人とのやり取りも頻繁にあったためだ。 そんなある日、親友に言われた。 「ちなみちゃんは、共感してくれへんときとか、否定も肯定もせえへんときがあるけど、私の言うことはいつも尊重してくれるもんね」 さすが親友!と思わされたのはこちらのほうだった。

ごまって、なに?

GW初日。 息子大の仲良しお友達家族と共になんと5時間も公園で遊び、帰宅。 さすがに寝るだろう、あの炎天下の中5時間遊んだのだから。(こちらは眠い) という思惑は見事に玉砕。 夕方5時にはお風呂に入り、ご飯も食べ終わったというのに結局寝たのは8時半過ぎだった。 普段と1時間程度しか変わらないのだが? 体力お化けすぎる。 晩御飯は冷凍餃子とトマトと納豆ご飯にした。 ありがとうございます、AJINOMOTO様。 餃子のタレがなくなっていて、ポン酢で代用する。 そのポン酢

「今まで生きてきた中で一番幸せやな…」

タイトルは 昨年、私の中で大ヒットした夫の言葉。 聞いた時はちょっと大袈裟だな…って思ったけど、それが別のシーンで私に影響するとは… 昨年の暮れ そもそも帰省する予定ではなかった一番末の息子が急に帰って来ることになった。 社会人一年目の彼は遠く離れた場所で一人暮らしを満喫中。 盆と同じように正月もあっちでのんびり過ごすのだろうと思っていた。 年末年始のラッシュ時期を狙ってわざわざ帰省するのは面倒だ…と思っているに違いない。聞かなくてもわかる。 それが急に 暮れの押し迫っ

父の逝き方

父が逝って9度目の4月が終わろうとしている。 4月のうちに父の最期についての記事を投稿したいと思いながら、溢れるものが多すぎて何をどう纏めていこうか思いあぐねて今日まで来てしまった。 60年も生きて来たのに、8月31日に慌てて読書感想文を書いている子供のようだが、100点満点だと思った父の逝き方を記しておこうと思う。 父が入院したのは、2014年の節分の日だった。 数年前から透析をしていた父だったが、特に寝込んでいた訳でもなく、週に2回の病院通いをしながらも静かな余生を送

真夏の鯉のぼり

 これは私がまだ小学生の頃の話しだ。  夏休みになると私は毎年、母方の祖母の実家に家族全員で帰省していた。  当時は、コロナなんて厄介なものは当然なかったので 「明日から帰省するね!」 「ああっおいで。待ってるよ。いつまでも泊まっていってね」  拍子抜けするほどに簡単なアポイントで帰省することが出来た。  良い時代というか早くそんな時代に戻って欲しい。  実家に戻ると祖母は、いつも私たちが寝泊まりする広い和室に案内してくれる。  日はたくさん当たるけど広い縁側があ

「あなた、誰ですか?」同僚が言った、あの日のこと。

そんなことを、痛いくらい・・いや、激痛のように感じたことがある。 新卒で採用された物流企業で、引越部門に配属され、3年目の半ばあたり。仕事にも慣れてきて、ちょっと難ありの上司の面倒を見て、すでに2年も繁忙期(3月から4月、新生活が始まる時期)を経験し、もうお腹いっぱいのころ、事件が起こった。 新築住宅での引越の作業中に、ひとりの作業員が2階のベランダから転落したのだ。引越はビルの窓拭きのような高所作業でもないし、危険作業でもないとされている、一般的な運搬作業である。 し

【読書記録】小川糸/あつあつを召し上がれ

私が小学生ぐらいの頃、 うちの両親は共働きだった。 兄二人が幼い頃は、母は専業主婦だったのだが、 私が幼稚園から中学生ぐらいにかけて 母は働き、父は定時に上がる仕事だったので、 夜ご飯を父が作ることが多かった。 うちの両親は自分たちが大変だとか、 手伝いをしろ、とか言うタイプではなく、 私はそれを当たり前のように享受していたと思う。 父が作る料理で、私がよく覚えているのは 牛肉と玉ねぎを炒めた料理だ。 その時期、よく作っていた。 あの頃、私がもっと父を手伝ったり、 父の

不惑まで5ヶ月、「子どもを持たない人生」を受け入れた

物心ついたときから、「私はお母さんになる」と思っていた。 弟や年下の従弟妹たちがいて、私がいちばん年上だったからかもしれない。自分より小さい子の面倒をみる機会が多かったし、それが好きでもあった。周りの大人たちに「赤ちゃんを抱っこするのが上手」と、よく褒められた。 小さい子たちはみんな「ゆいちゃん」と懐いてくれるけれど、一度何かがあって泣き出すと「ママー!ママー!!」になる。その瞬間が、いつも少しだけ悔しかった。 私ではなく、ママじゃなきゃダメなのだ。 多分あのころから、私は

¥250

雨上がりのクレパ

金曜日、ポツポツと雨が降り出す中傘を忘れた同僚と一本の傘に入りながら、彼女の行きつけだという創作イタリアンの小さなお店に向かっていました。 お互い昔からよく知る間柄でありながら食事に行くのは久しぶりでしたので、私はこの日をとても楽しみにしていました。 「もう涙でるわー!」と言っておしぼりで目頭をふきながら笑う彼女を見て、まだまだおもしろネタはこんなもんじゃないぜと謎に自分を鼓舞し、下戸なものですから柚子ソーダを何杯も飲んで、楽しいフライデーナイトを満喫していました。 料

春 空 の ア ク セ サ リ

窓の外は隅から隅まで 青いタイルをぴっちりと敷き詰めたような 快い空です。 カーテンを開け放ち、 部屋に 四月の日差しをたっぷり呼び込んで アイロン台の前に座ります。 休日の午後2時。 まとめて洗ったシャツやハンカチの アイロンがけタイム。 襟、カフス、腕、肩、身頃と シャツのカタチに合わせて アイロンをすーっと這わせます。 裏に返したり、スチームを使ったり、 アイロン台の先端を使ったり。 皺が綺麗にのびていく様子を見ていると なにか、自分の気持ちまで 整っていく心地

普通の木に擬態している桜を眺め、思う。

4.9 日 「散歩にでもいく?」  夫に誘われて、喜び勇んで出かける。オードリーのパーカーを着込んで出かけた。 「近所だもん、お化粧要らないよね?ね、ね、化粧してないってバレてる?バレてるかな?」  この2ヶ月間の夫は仕事が忙しく、休み無し、深夜帰宅、時々泊まりを繰り返していた。ここ最近は嫁もどこにあるか分からない夫の逆鱗に触れない様に(夫が疲れ切って居たので)、出来るだけ息を潜めて生きてきた。  その反動でか、ここぞとばかりにまとわりつく。少し迷惑そうだ。 「そうだ、

あの値段が気になるから、もう1杯だけ。

私のよく行くバーにはプロジェクターが置いてある。 ワールドカップなどの試合があるとそこに写してみんなで観戦したりするのだ。 スポーツバーというわけではなく、使っていない時もあれば「フジロック流してます!」だったり、BGMは他にかかっているけどアニメや映画などが無音で流れていることもある。 要するにみんなでお酒を飲みながら楽しめるものであればなんでもよいのだ。 先日はWBCを流していた。 そして試合が終わった後、普段は消すことが多いのだがその日はなぜか消音にしてテレビの映像だ

“みんな”になるのを免れて、世界の片隅で深呼吸

華の金曜日、Instagramを開くと案の定、向こうの世界では同期飲みや社員飲みが開かれていた。画面上の乾杯の瞬間はコンマ5秒の速さで次々とストーリーを送ってしまえるほど、どれもこれも同じ光景に見えた。 就職で上京して、たったの5日間で「同期だいすき🫶🏻」と全世界に発信できる気軽さというか潔さというか、自分には到底真似できない行動力が一周まわって羨ましい。羨ましくはあるけれど、手に入れたいとは思わなかった。ただ、彼女たちに合うのはこの生活なのだろう、と思うだけだ。 あんな

ラストチャンスをあなたに

新入社員の教育担当(仮)を仰せつかりました。 その方にわたしの全仕事を引き継ぎ、 さらに管理職から全仕事を引き継がれる、 …かもしれないという劇的に面倒くさい壁にぶち当たっております。 (もう4月であり、新入社員の方は既に入社されているのに本決まりの知らせ無し…) ↓詳しくはこちら わが部署の上司たちは割と放任主義… というか無責任で、何かと丸投げしてくる方々なので、放っておくと今回も困っているわたしを横目に見ながら無視を決め込むだろう、と予測しています。 というこ