「あなた、誰ですか?」同僚が言った、あの日のこと。
そんなことを、痛いくらい・・いや、激痛のように感じたことがある。
新卒で採用された物流企業で、引越部門に配属され、3年目の半ばあたり。仕事にも慣れてきて、ちょっと難ありの上司の面倒を見て、すでに2年も繁忙期(3月から4月、新生活が始まる時期)を経験し、もうお腹いっぱいのころ、事件が起こった。
新築住宅での引越の作業中に、ひとりの作業員が2階のベランダから転落したのだ。引越はビルの窓拭きのような高所作業でもないし、危険作業でもないとされている、一般的な運搬作業である。
しかし、2階への家具の搬入を、ベランダから行うことがある。いわゆる「吊り作業」である。その作業中に、誤って転落したのだという。
何人もかけて、紐で縛った家具を吊し上げる。大変なのは、引き揚げた後、ベランダをかわして部屋の中に入れるときだ。ただでさえ重い家具を、足場が不安定なのに加え、身を乗り出す体勢で力を込める。息が合わないと、何度やっても引き入れることはできない。
当時、僕は現場にはいなかったから、どんな状況で事故が起きたのかは分からなかったが、作業員はただひとりで転落したのだという。
幸い、命に別状はなかった。
よく聞くフレーズだが、もう一度書く。
幸い、“命には”別状はなかった。
このフレーズは、一つの結果であり、経過は見出せない。作業員は、頭部を打ち、一時意識不明となっていたこともあり、目を覚ましたのは事故から3日後だったと思う。
命は助かった・・しかし、助からなかったものがある。
それは、記憶だ。
もともと人当たりがよく、明朗な方だったこともあり、目を覚ましてから、表情も明るくて快活だったそうだ。周囲が、あぁ良かった良かった、となったところに、思いもかけない矢が放たれた。
「あなた、誰ですか?」
表情は終始穏やかだったし、笑顔もある。受け答えもそれなりで、会話ができているにも関わらず、話している相手が「誰だか」分からないのだ。
家族も同僚も、驚きを隠せなかったそうだ。そりゃそうだ、その場にいたら、息が止まってしまうくらいの衝撃だと思う。テレビで見かける、いわゆる記憶喪失者として演じられているイメージとはかけ離れた、その姿こそ、当たり前だが「本物」であった。
僕も、入院先にお見舞いに行った。普段の彼と全く変わらない雰囲気で、「あなた、誰ですか?」と聞かれると、冗談のように聞こえて来る。しかし、背筋はとても冷たく感じられた。
その作業員は退院したものの、やや年配であったこともあり、現場に戻ることなく、家族が営んでいた商売を手伝うために、故郷である九州の離島へ帰って行った。
作業員の彼の住まいは、僕が卒業した学校のすぐそばにあった。
まだ彼が入院していた頃、部屋の片付のためにお邪魔させていただいたことがある。毎日、ここで寝起きをして、暮らしていたのだと思うと、部屋の主の不在は、恐ろしく寂しかった。
片付けという名目で、生活の全てを見られてしまうという状況に、僕は恐怖を感じずにはいられなかった。そして、彼のここでの生活は、もう終わったのだと思うと、なぜか涙が出てくるのだった。
自らの身体を資本にして働き、暮らし、生きていく。
それは、作業員に限ったことでなく、僕も含めて、多くの働く人が同じような営みを繰り返している。
事故が起こるずっと前、作業に同行した僕に、彼が笑いながら言った。
「俺はさぁ、仕事が終わってから、家でビール飲むのが好きなんだよ!うまいんだよなぁ。飲まなきゃ食欲が出ないんだ。」
いまなら、よく分かる。
働くことは決して楽しいだけじゃないし、辛いだけでもない。まして、身体を使う作業ならなおのことキツい。
だからこそ、暮らしが大切なのだ。
好きなことを堂々とできる、自分の暮らしが。彼の住まいは雑然としていたけれど、彼の好きなものがたくさんあった。
僕には、働き方を語るほどに、確固たる自信もなければ、目標としている人生もない。なんとなく流されるようにやってきて、誇れるような働きかたなど、すこしもない。
でも、彼をはじめとした、さまざまな方との出会いが、僕の働きかたを磨いてくれていると感じることがある。
仕事を楽しんでいる人たちが大勢いた。
家族を愛する方が沢山いる。
働きかたの本には、生きかたは書かれていない。生きかたを決めるのは、紛れもなく自分自身であり、そのヒントは働くことで見つかることもあるはずだと思う。だからこそ、僕は働いているのだ。
はたらく、の語源は「傍を楽にする」だと言われている。
それは、誰かを助けるという意味でもあるけれど、もしかしたら、いやかなり確実に「自らの周囲を楽しむこと」でもあるのではないかと、僕は考えている。
「もつさん、おはよう!」
彼の笑顔が、鮮やかに思い出される。きっと、今日も元気に働いているはずだ。