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読書感想文は必要かっていうより、その”読書感想”っていうナゾの縛り自体無くした方がえぇんとちゃいますの?

最近、SNS上で「読書感想文は必要か?」という問いかけがありましたので、思うところを書いていきますね。

どうして読書が嫌いだったのか?

以前のエッセイにも書いたけど、どうして読書が嫌いだったのかをもう一度書いておきましょう。読書が嫌いだった第1の理由は、単に読解力がなくて書いてあることが理解できなかったからです。第2の理由は、登場人物の気持ちや行いが自分の中に入ってくることに対して抵抗があったからです。人間としての厚みが増えるのは登場人物であって自分ではないですからね。小さい頃の自分は、登場人物に感情移入をしてあたかもそれを経験したかのような錯覚に陥ることが気持ち悪くてしょうがなかったです。

まぁ今でこそそれが少しマシになってこういう風に理由を文面にできていますけれど、当時は語彙力や表現力がなかったので、意見や考えが頭の中にあってもそれを文にできなかったり口頭で説明できないのが苦痛でした。自分の経験から言わせてもらえば、国語力が皆無だと分からないことはもちろん、分かっていることも満足に言葉で説明できないんですよ。

読書感想文の思い出はまさに葬式

なので、義務教育の9年間は地獄でした。上記の理由があって自分は国語の教科書を見たり読書をしても何が書いてあるのかよく理解できず、作文で一文を書こうにも何も思いつかないレベルの国語嫌いでした。そんな状態だから、書けって言われてもロクに読書感想文なんか書けるわけないんですよ。下図みたいに、思いついたことを何でもいいから書いて何とか行をまたがせたらすぐに句点を打って、改行を繰り返して紙面を埋めるっていうアホみたいなことをやってました。これだけ見たら、サボってるようにしか見えないでしょう。

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しかも書いていることはあっちゃこっちゃに飛んでいて支離滅裂。文体も内容も終わってることから「鯨幕みたいやな」と言われました。ちなみに、この鯨幕選手は9年連続9回もの出場を果たしまして、無事毎年のように怒られました。その結果、作文が苦痛 ⇄ 余計に読書が嫌いになるというループを延々と繰り返しました。

自分のように読解力と作文力が共に壊滅的な人には、感想文に文量を求めることが不思議でなりません。まともな読書感想文を要求すること自体酷ですので、次項のような持論も許容する拡張案を勝手に挙げたいと思います。

【拡張案】各自の目線で持論を書かせればいい

読書感想文は何を評価されているのか公表されず、一方的に本を読んで書けと言われるだけでした。おそらくは書かれている内容よりも一つの整然とした話を組み立てる力、平たく言えば作文力を見ているのでしょう。もしそうならば、読書感想という縛りがそもそも必要ないと言いますか、それ自体が書き手には障壁になっているはずなのです。

読むことと書くことのどちらか、あるいはその両方に抵抗がある人にとっては、書くテーマについての興味や理解度が高い方が書きやすいので、読書感想以外に持論を許容範囲に含めてあげれば良いんじゃないでしょうか。例えば、自分がいま上手くいかない何かに対して「こうすれば上手くいくんじゃないか?」と考える過程を書いてみるとか、日常の素朴な疑問に対してあれこれ考えたりして書いてみるなどですね。

まぁこの案は今自分がやっているエッセイを基にしたもので、余りにも書くのが苦手な人はまず書くこと自体に慣れるところから始めた方が良いだろうという考えから来ています。主体が自分になればある程度は文がぽつぽつと湧いて出てくるでしょうし、間違ってもあの惨憺たる鯨幕みたいなのにはならないはずだと思いますからね……知らんけど。

今は少しマシになって作品の考察とかをやっています

あと自分の経験から学んだ国語嫌いの克服法を(投げ銭ありでアレですが)書いてます。

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