【メイキング】素人俳句ができるまでの思考過程2
自己添削したい駄句
前のNOTEを見返したらダサかったのでこの句を自己添削しようと思う。見た瞬間、調べ(リズム)が悪すぎる。初手冬紅葉が悪手で、最後のカットで見せた方がより効果的だろう。創っている最中は頭の中で「あーでもないこーでもない」とやっているからこうなってしまったのが見て取れる。
例えば、「隣県も追うて麗し冬紅葉」にしてみてはどうか?これなら気持ち、口に出して読み上げやすくなっているはずだ。でも、全然ダメだ。なぜなら、リズムを意識し過ぎた結果、具体的な映像が冬紅葉だけになってしまっている。映像とリズムとのバランスを取るのは、自分にとってかなり難しい。さぁ、何を描きたかったのか初心を思い出せ。
本来、カット割りとしては、最初に冬の野原とか枯れ山を出してから冬紅葉へと切り替わる流れにしたかったのだ。その間に差し込む心情として「冬だけど紅葉がまだ残っているはずだから、あちこち探してますよ」という感じにしたい。そうすると、必然的に野山→冬紅葉という句の順番でないとおかしくなる。こんな簡単なことを忘れている自分が普通にアホすぎて人工芝が生えてきそうだ。
推敲結果と作意
俳句の基本の型である五七五にしたかったけれども、結果的に八九の破調になってしまった。
”山野また清く” でまず山野はまた美しいぞと言い切ってしまう。読み手は「季節は分からないけども、一面の緑がキレイだと言いたいんだろうか?」と思うだろう。すると、”冬紅葉やいずこ” が出てきて「あぁ冬紅葉を探してたのか……。じゃあそれなら ”山野また清く” とは季節が合わないし、違和感があるなぁ」と良く分からない感じで終わる。それはなぜか?
それでは、作意を書いていこう。詠んだ状況としては、冬にわずかに残った紅葉——冬紅葉——を見たいがためにいくつもの山野を巡っている途中のワンシーンをこの句は切り取っている。そして、また見つからなかった山野を振り返って、こう思う。「頭の中では美しい冬紅葉が残っていたのに(無くて残念だった)なぁ」と。
そう、”山野また清く” は頭の中で思い描いている冬紅葉が残った山野を指しているのであって、実際の山野を言っているわけではなかったのだ。そしてこれは、何かを探しているからこそ、未踏のフィールドが美しく輝いて見える心理を暗に表現している。この作意(詩)を押しつけがましくならないよう、「冬紅葉を探す」という実体を通すことによって、間接的にそれを訴え、喚起しようと俳句に織り込んでみたのであった。
しかしながら、色々と端折りすぎている感じもするので、これで作意が伝わるとは個人的には思えない……が自己満足なので、ひとまず素人俳句はこれで良しとしよう。
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