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友達ができて嬉しい。見る夢をコントロールできるエンドウさん

エンドウさんを見送った。天橋立駅 8時46分。電車の発つ15分ほど前に着き、小さな駅舎のなかで少しお話をした。どういう時間を共有するべきなのか、まだ掴みきれないまま手探りで。わたしは少し見当ちがいの話をしていたようにも思う。それでも、その見当ちがいも包み込んでくれるエンドウさん。静かに、なにかの力を発生させている。

「人に興味がある」「人がどういう生い立ちでそうなったのか知りたい」「木兎さんに興味がある」そう言ってくれるエンドウさん。まだ出会って5日目のわたしたち。季節労働いわゆるリゾートバイトの期間が少し重なっただけ。互いに日常の地を離れ、慣れない旅館で働いた。まかないを食べながら限られた時間で話をした。

エンドウさんはにこにこと現れる。やわらかく声を発する。彼女のふわふわとした中にある安定感。それは、地に足をつくというよりも、むしろ、広大でなだらかな地表とつながったまま、ゆるやかな起伏の続く風景そのものがエンドウさんであるよう。しかしながら、彼女はひとりの人間としてこの目前に現れている。その、あるエンドウさん。彼女はひとつの切り立った山のような人間存在であり、同時に、山脈であり、雲であり、風であり、霧である。エンドウさんはそのように、わたしの中に景色として現れることができる。

仏でしょうか。

彼女は見る夢をコントロールできるらしい。わたし初めて会いました、そう言う人に。


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