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【人生最期の食事を求めて】

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【人生最期の食事を求めて】 この1回限りの人生において、A級・B級の分け隔てなく美味しい食事と幾度と出逢うのであろうか? そして、いつ来るとも解らない死の直前に何を選ぶのだろうか…
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#人生最期の食事を求めて

【人生最期の食事を求めて】骨の髄まで吸い尽くす鯛の誘惑。

【人生最期の食事を求めて】骨の髄まで吸い尽くす鯛の誘惑。

2024年9月21日(土)
福魚食堂(福岡県福岡市中央区)

地下鉄「赤坂」駅を降りて外に出た。
早朝の空は今にも雨が降り出してもおかしくはない雲行きで、さらに季節を度外視した蒸し暑さが体全体をすぐさま覆った。

8時30分を過ぎていた。
日常において朝食を食べることはないのだが、この地はその日常を容易く破壊する。
私の足は、過去に幾度か訪れた市場会館へと向かっていた。
近づくほどに潮の香りが近づ

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【人生最期の食事を求めて】福岡の夜に欠かせない屋台バーのパイオニア。

【人生最期の食事を求めて】福岡の夜に欠かせない屋台バーのパイオニア。

2024年9月20日(金)
屋台バーえびちゃん(福岡県福岡市中央区)

大名から天神へと歩いた。
もはや歩き慣れ親しんだ道のようにも感じられた。

強烈な蒸し暑さにもかかわらず、天神駅前に点在する屋台には行列や殷賑が絶えず、しかもまた新しい屋台にはバスを待つ人々のような長蛇の列を生み出していて、街全体がどこにもない繁華な雰囲気を発していた。

私の足は中洲方面に向かって、強い意思のような力で歩き進

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【人生最期の食事を求めて】空腹の限界突破がもたらす蕎麦の至福。

【人生最期の食事を求めて】空腹の限界突破がもたらす蕎麦の至福。

2024年9月10日(火)
正直庵(北海道札幌市南区)

明治時代の自然主義作家、島崎藤村の代表作『夜明け前』は、「木曽路はすべて山の中にある」という書き出しから始まる。
それに比すれば、札幌は約6割が森に囲まれている。
四季の移ろいは明確で、人口約200万人が暮らす街は世界でも稀であろう。
最近はヒグマの出没が頻繁に報道されるが、だとしてもこの大自然を間近にして暮らすというダイナミズムは、ここで

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【人生最期の食事を求めて】個性が踊る大名エリアの路地裏に佇む和の粋。

【人生最期の食事を求めて】個性が踊る大名エリアの路地裏に佇む和の粋。

2024年9月20日(金)
ごはんや松毬(福岡県福岡市中央区)

9月下旬とは思えないほどの狂おしい暑熱と蒸し暑さに覆われた。
日中の気温は35度を超え、天神の信号機を待つ間にも夥しい汗が額や脇、そして膝裏にまで浮かんだ。
真夏と変わらない暑さでも、交差点を交錯する人々の表情はどこか涼しげでいながらも、きっとこの暑さには辟易としているのだろう。

商業施設に足を踏み入れると、強烈な冷房が汗ばむ全身

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【人生最期の食事を求めて】八丁堀の路地裏に見出す居酒屋の慈愛。

【人生最期の食事を求めて】八丁堀の路地裏に見出す居酒屋の慈愛。

2024年8月4日(日)
お食事処いち(東京都中央区八丁堀)

満ち足りた疲労感のせいだろうか?
それとも熾烈な炎を浴び続けている日々のせいだろうか?

極端に減らしているアルコールを求めて、私は慣れない街を歩き続けた。

隅田川と亀島川とが交錯する町、八丁堀。
江戸時代初期に八町の長さの堀が作られたことから、まさに文字通りの町名が名づけられたという。
この地には江戸町奉行所に司法を担う与力や警察

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【人生最期の食事を求めて】灼熱を吹き飛ばす色鮮やかなかつお刺し。

【人生最期の食事を求めて】灼熱を吹き飛ばす色鮮やかなかつお刺し。

2024年8月1日(木)
和田家(東京都中央区日本橋茅場町)

“芭蕉野分(のわき)して盥(たらい)に雨を聞夜哉(きくよかな)”
江戸時代を代表する俳人の松尾芭蕉の俳句である。

俳句内にある芭蕉とは大型の多年草(バナナ)を刺し、野分とは野を分けてしまうほどの強い風、つまり台風を指す。

「庭に咲く芭蕉が台風によって激しく揺れ、家の中の盥に落ちる雨漏りの音を聞く夜もあるものだ」
を意味する。
その

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【人生最期の食事を求めて】獰猛な炎天下で挑むワンタンスープの充足。

【人生最期の食事を求めて】獰猛な炎天下で挑むワンタンスープの充足。

2024年7月31日(水)
ワンタンスープ専門店くぬぎ屋(神奈川県横浜市中区)

“行雲流水”という禅語がある。
雲は形を変え続けながら移り変わり、水は止まることを知らずに流れ続けるように、私たちの人生も同様で、常に変化して予想もつかない方向へと進むことを意味する。

街もまた変化し続ける。
久々に訪れた伊勢佐木町を貫くイセザキ・モールには幾許かの面影はどことなく残っているものの、35度に迫る炎天

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【人生最期の食事を求めて】餃子の原点を求めた横浜町中華の深み。

【人生最期の食事を求めて】餃子の原点を求めた横浜町中華の深み。

2024年7月30日(火)
元祖 十八番(神奈川県横浜市中区)

肌を舐めるように真夏の熱風が吹き過ぎてゆき、雲のかかる空からはいつでも雨が降る気配を宿していた。

街を過ぎ行く女性たちは片手にハンディ扇風機を持ち、男性たちは日傘を持つ、という真夏の光景は、いつの間にか新しい日常の光景のひとつになったようだ。

あまりの暑さに私は扇子を購入し、すぐさま目の前の灼熱を掻き分けた。
にもかかわらず、私

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【人生最期の食事を求めて】地元名物の鮮度と旨味を愉しむ静岡の夕刻。

【人生最期の食事を求めて】地元名物の鮮度と旨味を愉しむ静岡の夕刻。

2024年7月13日(土)
ほうとく酒蔵(静岡県静岡市葵区)

束の間、静岡おでんと餃子を愉しんだ後に新静岡エリアに足を伸ばした。
降っては止む雨のせいで人々の手には傘が携わっている。
まさに梅雨らしい天候もまたこの街の個性のひとつを彩っているのかもしれない。

考えてみると世間は3連休であることに気づいた。
が、人が溢れ返っているわけではなく、インバウンドの姿もそれほどでもない。
むしろ程よい混

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【人生最期の食事を求めて】束の間の忘我を導く海鮮丼の魅惑。

【人生最期の食事を求めて】束の間の忘我を導く海鮮丼の魅惑。

2024年7月8日(月)
札幌海鮮丼専門店 すしどんぶり(北海道札幌市中央区)

オリンピックイヤーとは嫌悪を招く響きだ。
利権まみれの案件という意味では、その頂上がIOC絡みであろう。
しかしながら、チケット販売の進捗は極めて悪いという。
交通手段や宿泊施設を中心とした物価高やテロ発生のリスクといった問題も影響しているのかもしれない。
一方、スペインのリゾート地では観光客急増による弊害によって住

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【人生最期の食事を求めて】脂質欠乏の体内になだれ込む芳醇な肉の贅。

【人生最期の食事を求めて】脂質欠乏の体内になだれ込む芳醇な肉の贅。

2024年7月4日(木)
YAKINIKU和牛ラボすすきの店(北海道札幌市中央区)

中島公園からすすきのへと続く横断歩道を歩き過ぎようとした時だった。
濃紺の高級外国車が私の横断を無視し、私の目前を通り過ぎようとした。
少し歩を早めれば車に轢かれていてもおかしくはない。
もちろん、自ら轢かれにいくような犯罪行為はしなかったが、運転手を確認するといわゆる輩風の若い男性がスマートフォンを弄り続けてい

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【人生最期の食事を求めて】変貌と拡張を続ける東京駅で喰らう立ち鮨様式。

【人生最期の食事を求めて】変貌と拡張を続ける東京駅で喰らう立ち鮨様式。

2024年6月23日(日)
立鮨 すし横 ヤエチカ店(東京都中央区八重洲)

傘を差すか差さぬか微妙な霧雨がずっと降り続いていた。
日本人なら傘を差すが外国人は一様に傘を差すことがないのは、おそらく文化の中で育まれた習慣だろう。
つまり、彼らは濡れようが濡れまいが多少のことはどうでもよく、そういった自己判断の中に他者の視線を気にするという考慮は微塵もない。

日本橋から東京駅への道程で、開発に次ぐ

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【人生最期の食事を求めて】驚嘆すべきポーク生姜焼という山頂。

【人生最期の食事を求めて】驚嘆すべきポーク生姜焼という山頂。

2024年6月22日(土)
人形町かねき亭(東京都中央区人形町)

谷中から千駄木、そして根津に通ずる路を久方ぶりに歩いた。
いわゆる“谷千根”と呼ばれるエリアである。

太平洋戦争の戦禍を免れたこのエリアは、夏目漱石、森鴎外、高村光太郎といった文人たちが一時期を過ごし、東京大学や東京芸術大学といった文化・芸術が香る、まさしく文教地区という名にふさわしいエリアでもある。
だからこそ、若い頃の私はそ

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【人生最期の食事を求めて】濡れた肌に激痺が走る横浜四川麻婆。

【人生最期の食事を求めて】濡れた肌に激痺が走る横浜四川麻婆。

2024年6月21日(金)
景徳鎮(神奈川県横浜市中区)

横浜を濡らす6月の雨。
時に激しく、時に強く街を光らせていた。
予定していた計画はこの雨で頓挫したが、それはそれとしてよくあることだ。

雨の日はピアノ曲が似合う。
ベートーヴェンのピアノソナタにしようか?
それともショパンか?
音楽配信サービスから選んだのは坂本龍一のピアノソロ曲だった。
イエローマジックオーケストラ(YMO)でその名を

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