見出し画像

【人生最期の食事を求めて】灼熱を吹き飛ばす色鮮やかなかつお刺し。

2024年8月1日(木)
和田家(東京都中央区日本橋茅場町)

“芭蕉野分(のわき)して盥(たらい)に雨を聞夜哉(きくよかな)”
江戸時代を代表する俳人の松尾芭蕉の俳句である。

俳句内にある芭蕉とは大型の多年草(バナナ)を刺し、野分とは野を分けてしまうほどの強い風、つまり台風を指す。

「庭に咲く芭蕉が台風によって激しく揺れ、家の中の盥に落ちる雨漏りの音を聞く夜もあるものだ」
を意味する。
その当時から台風に襲われていたことが窺え、それすらも芭蕉が有する感受性と遊び心で捉えている。
野分は秋の季語であるが、頭上に広がる空は凄まじいのばかりの炎天が朝から広がっていた。
さすがに当時であり得ない気温のはずだ。

朝から30度越えの熱量に隅田川の水もどことなくおとなしく悶え、時折過ぎ去るランナーの全身は汗で水浸しのような状態になりながら、私の傍らを俯き加減で走り去ってゆく。

連日、昼も近づいてくると35度をゆうに超える。
だが、不思議と私は奇妙な快適さに包まれているような気がした。
その理由は定かならぬが、隅田川テラスに吹き抜ける風が妙にそうしているのかもしれなかった。

ある案件のために、有楽町へと向かわなければならなかった。
先程までの快適さも気がつけば滴り続ける汗で流れ、頭上から降り注ぐ強い日差しに目を細めながら隅田川と亀島川の交差する橋を渡り、茅場町に入った。

気がつくと13時を迎えようとしていた。
やはりこの暑さのせいなのだろうか、昼食時でも人通りは少なく感じられた。
私は幾分の空腹と喉の乾きを覚えていた。
となると、私の思考をざる蕎麦が支配するのは当然の帰結であろう。
道なりに任せ蕎麦屋があればそこに駆け込もうと思った矢先、唐突に歩道に置かれた小さな看板に出逢った。
手書きの文字が本日のランチを謳っている。
雑居ビルに挟まれた暗く細い路地に店の看板を見つけた。
そこもひと気は感じられない。
先程までのざる蕎麦の支配はすぐに消え失せて、私はその暗く細い路地を静々と歩いた。
ぬるいビル風に臙脂色の暖簾が音もなく揺れていた。

和田家

扉を開けると、奥の厨房で調理するスタッフと女将さんらしき女性が右往左往していた。
私の入店に気づくと、
「いらっしゃい!」
という張りの声音が一斉に響いた。

店内には近所に勤めていると思われるラフな服装の会社員が食事をしていた。
おそらくランチのピークは過ぎたようである。

「何にします?」
女将さんらしき女性スタッフが私に問うた。
私は何故か「かつお刺し定食(ヤクミたっぷり)」(1,200円)に惹かれた。
すると、私の目の前のテーブル席に座る男性客にトレイが置かれるところだった。
なにやらアジフライのように見えた。
私の決意は幾分揺らいだものの、今更仕方あるまいと払拭するように水を飲んだ。

かつお刺し定食(ヤクミたっぷり)(1,200円)

さほど待つことなくかつお刺し定食が運ばれてきた。
手書き看板に書かれていた通り、鬱蒼とした薬味がかつお刺しを覆い隠している。
私は薬味の海の中からかつおの身を探り、生姜と薬味もろとも醤油に付けてひとくちでかつお刺しを仕留めた。
薬味の歯切れ感と相反する柔和のかつおの身は一切臭みがなく、否応もなく御飯が進む。
しかも薬味の深海にはまだかつおが潜伏している。
切り干し大根や漬物の小鉢を交互に食べ進めながらも、私はかつお刺しの攻略に心静かに興奮しながら食べ進めていった。
残り3切れになったところで皿を持ち上げ、薬味ごと御飯に載せた。
かつお丼への変貌である。
あとは赴くままに掻き込み、あらためて薬味とかつお刺しと御飯の一体感を弄ぶまでだった。

すると新たに男性客がひとり入ってきた。
女将さんらしき女性スタッフに男性客が注文を告げるものの、その悉くが売り切れだという。
それは時間的にも仕方あるまい。
小さな同情を胸に秘めながら、私は丼も小鉢もきれいに仕上げた。
ざる蕎麦という想定をいとも容易く打ち消したのは、強すぎる日差しのせいでもあり、小さな手書きの看板メニューのせいでもあろう。
しかしこの想定外に、私は満足して最後の水を飲み干した。

店の扉を開け、路地を抜けた。
再び強すぎるが私の背中を刺した。
それに打ち消されまいと、日陰の歩道を選びながら私は有楽町までの道程を歩き続けるのだった。……

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?