職場でプライベートに干渉され過ぎて、適応障害になった話
投稿:006
【記事の要約】
この記事は私が「適応障害」という心の病を患った時の体験談です。
テーマや切り口ごとに分けて記事にしています。
今回は適応障害になるまでの話。
私は何に追い詰めたのか。どうしてそこまで頑張ってしまったのか。
皆さんの参考になれば嬉しいです。
はじめに
今、あなたが心身に何らかの不調を感じているなら、
体裁とか、プライドとか、余計なものを捨てて
すぐに心療内科に行くことを強くおすすめします。
私自身が頑張りすぎてしまって休職した体験をシェアします。
私と同じように苦しんでいる方、そういう人が周囲にいる方、
そういう世界があるんだと興味を持ってくださる方に届きますように。
念のため記しておきますが、現在、私は復職しています。
今も薬の服用は続けていて、睡眠に波はありますが、
休職した頃よりは体調が回復しています。
適応障害になったきっかけ
「適応障害」という心の病をご存知でしょうか?
私自身、その状態と診断されるまで、
自分に縁のない病気だと思っていました。
まずは当時の私の状況から説明しますね。
私はとある企業で事務職として勤めています。
就業規則上、法定時間での勤務を謳っていますが、
実際は朝7時前後から業務が始まり、21時過ぎまで居残ることや
徹夜することもざらでした。
深夜の呼び出し、当直まであって、入社から2カ月で
私は睡眠中に中途覚醒するようになりました。
(この時点でおかしいって気づけって話ですよね……)
自分で書くのは気が引けますが、
そんな会社でも新入社員時代から成果を上げ続け、
当時、最年少で社内の試験をパスするなど、
順風満帆な出世の道を歩んでいました。
ところが、20代後半になって人生に暗雲が立ち込めます。
当時の上司はワンマン的な人で、独特のこだわりがあり、
自分の気に入らないことがあると部下に理詰めで
"独特のこだわり"を強要してくる性格の持ち主でした。
ある日、その上司から縁談話を持ち込まれたのです。
いわゆる「お見合い」ということをしたのですが、
相手は遠方に住む、上司の知り合いでした。
一度お会いした結果、相手からお断りを受けることになりました。
交通費やら食費やら、自腹を切ったものの、
これで終わりかと胸をなでおろしたのも束の間。
なんと上司は再度、その相手との縁談をセッティングしてきたのです。
(正気かよ!?)
「どうしても、もう一度会って縁談を進めたい」と相手が申し出ていると
上司から聞き、今度は私の地元で会うことになりました。
ところが、実際に会ってみると相手側には
「私がどうしてもこの縁談を再開したい」という連絡が入っていたらしく、
互いに「あなたが望んだから今日は会いに来てあげた」という
居心地の悪い時間を過ごすことになってしまったのです。
2度目のお見合いの翌日、
私は上司に今回の縁談は状況がおかしいので辞退したいと申し出ました。
ところが、上司は個室に私を呼び出したうえで
「お前が今、縁談を断ったら俺が相手に土下座しにいかなきゃいけないだろうが!」と怒号を飛ばし、
私に対していくつか罵声を浴びせてから部屋を出ていきました。
私は強い恐怖を感じてその場で硬直してしまい、
自分が置かれた状況が理解できなくなっていました。
後日になってわかったことですが、
実はこのお見合い相手は社内役員の知り合いでもあり、
上司はこの縁談を成就させることで
何らかのマージンをその上役から得られたらしく、
私のプライベートへの「異常な干渉」を引き起こしたのでした。
体調の異変と1つ目の過ち
翌日、出勤して上司の顔を見た時、急に気分が悪くなり、
初めて職場のトイレで嘔吐しました。
私の数ある過ちのなかの1つは、
この時に「ストレスの源から離れる」という選択をとらなかったことです。
私の主治医曰く、
適応障害はストレスの対象や環境から離れることで抑うつ状態が改善される病気です。遺伝的な「うつ病」とは性質が異なることから「うつ病」ではなく「抑うつ状態」などと診断書に表記されます。
過去に上司から受けた高圧的な態度に対するストレスが積み重なっていたのでしょう。私は気持ちの面で焦燥感や不安感を感じるだけではなく、食欲がなくなり、次第に眠れなくなっていきました。
日に日に辛くなる生活に耐え切れず、心療内科の受診を決めました。
しかし、病院は1カ月先まで予約が埋まっており、苦しい日々が続きました。
やっと受診が叶い「うつ状態」と診断され、数種類の薬を処方されたものの、私には「休むための診断書を書いてください」と言えるだけの自覚と勇気がありませんでした。
当時の私は短期間の海外赴任を経た直後で、さらなるキャリアアップを目指していける状況にあったため、自らその可能性を潰してしまうような行動をためらってしまったのです。
しかし、この判断が徒となって休職に至るとは予想だにしませんでした。
真面目な人ほど心を病んでしまう皮肉
心療内科に通院しつつ、出勤を重ねる日々。
毎日が苦しくて仕方がない。けれども、自分の将来も諦められない。
もはや何が何だか、自分でもよくわからなくなっていた時、
縁談の話は婚約を破棄されるという形で終わりを迎え、
私も部署を異動することになりました。
自分で首を絞め続けていたことに気づけないまま
精神的にも、経済的にもダメージを被った結果、
私は心の容量をオーバーしてしまったのでしょう。
異動先でもキャリアアップのチャンスはまだ残されていましたが、
次の上司も運悪くワンマン的な人物に当たってしまい、
休暇らしい休暇を取ることが許されない環境に置かれてしまいました。
心身ともに限界を迎えつつあった私にはとどめだったのでしょう。
次第にベッドに入っても眠れないまま、
夜空が朝日で白んでくる風景を繰り返し見るようになり、
過去と未来への不安を反芻する日々を過ごすようになりました。
他にもいろいろなことが重なり……とうとうその日を迎えました。
眠れないまま迎えたある朝、ぼんやりとする頭のなかで
"糸が切れた"ような感覚を覚えました。起き上がることができません。
時間をかけてやっとのことで起き上がったものの、
心のなかは何かが「欠如」したような感じ。自分でもよくわかりません。
その日、診断書を書いてほしいと心療内科で伝えることができました。
でも、今度は診断書の提出をためらってしまいました。
「今、自分が休んだら同僚に迷惑がかかるのでは」という考えがよぎり、
1週間程度、診断書を手元に置いておく愚行をおかしてしまったのです。
そこで精魂尽き果てた私はやっと自らの限界を認め、
1年以上に及ぶ休職期間に突入していくことになりました。
おわりに
経験して初めてわかることってあると思うのですが、
体に何らかの不調を感じたら、
それは気のせいではなくて、体からのサインだと受け取り
早々に休んでしまえばよかったと今では思っています。
キャリアアップや周囲の評価を過剰に気にしていた自分、
要領が悪くて、良くも悪くも真面目に受けすぎてしまった自分、
そういったものはある程度どうでもよくなってしまいました。
今、そういうものに執着して振る舞う人の姿を見て、
それも1つの生き方だと思う一方で
自分はもうそういう生き方を「卒業」しようと意識しています。
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