はるちゃん

はるちゃん

最近の記事

都会と離島、両方を味わったからこそ見えたもの

Hさんのもとで働かせてもらうようになり、これまで知らなかった世界をたくさん見せてもらった気がします。月1回の大阪出張では、宮古島と本土を行き来し、飛行機のプレミアムクラスに乗ったり、ヴィトンの靴をプレゼントしてもらったり、パーソナルジムに通わせてもらったり…。Hさんがハマっていたゴルフにも仕事という名目で同席させてもらい、宮古島にいらっしゃるたびに一緒にラウンドを楽しませてもらいました。ゴルフクラブやウェアまで福利厚生(?)の一環として用意していただき(笑)、初心者だった私も

    • 人生の転機は、思わぬご縁から

      女社長は、私の生活をいつも心配してくれていました。本当にありがたい存在でした(;;)。確かに、パートを掛け持ちしているとはいえ、一人暮らしで家賃や保険料を支払うと、残るお金はごくわずか。それでよく生活できていたなと、今でも思います。 そんなときに救いの手を差し伸べてくれたのがHさんでした。正社員として雇っていただけるという話で、仕事内容はホテルの立ち上げから運営、お客様対応まで幅広いものでした。面談の際に希望の給料を聞かれ、それをそのまま受け入れていただけることに。正直、驚

      • ホームシックと家族の大切さに気づいた帰省

        宮古島での生活もどうにか続けていた私。初めての年だったかな?10月の秋祭りに合わせて地元に帰る予定を立てました。でも、その頃の私は本当にお金がない状態で…飛行機代も出せないくらい。そんなとき、姉が飛行機代を出してくれました。今思い返しても、本当に感謝しかありません。(でも、確かまだ返してない気がする…)すみませんwそして本当にありがとうw そして、帰省は半年ぶり。4月以来だったかな。久しぶりの実家はやっぱり居心地が良くて、一人じゃない安心感に包まれました。こんなにも長く家族

        • 貯金ゼロからの再スタート、宮古島での日々

          宮古島に来て、どれくらい経ったでしょう…気づけば半年ほどが過ぎ、貯金もすっかり底をついてしまいました。もともと200万円ほどはあったはずの貯金も、毎日飲み歩き、好きなことを好きなようにやっていたら、あっという間にほぼゼロに(笑)お金が減る一方の通帳を見て、さすがに焦りが湧きましたw 実は昔から、借金に対して少し強い抵抗があったんです。家が自営業で、銀行からの借り入れが数億単位あったので、言葉は悪いけど「借金」という言葉にどこかネガティブなイメージを持って育ちました。ですから

          やりたいことはまだ見えないけれど、私は一歩ずつ進んでいく

          5月頃からようやく一人暮らしを始めました。それまではいくつかのゲストハウスを渡り歩き、宮古島でたくさんの人たちと出会いました。宮古島は小さな島で、飲みに出ればかなりの確率で知り合いと会うことになります(^^;あるいは知り合いの知り合いだったりと、不思議な縁で繋がることが多く、まるで「一人なのに一人じゃない」そんな感覚を持てる島でした。でもそれだけ人の目も近いからか、時には自分の知らないところで噂も飛び交って…少し窮屈に感じることもありましたww 一人暮らしを始めてからは、興

          やりたいことはまだ見えないけれど、私は一歩ずつ進んでいく

          宮古島での新たな暮らし、感謝とご縁で始まった一人暮らし

          新しい住まいの内見をしたとき、正直、私が思い描いていた理想の住まいとは少し違う感じがしました。Yと過ごした家が居心地よかったこともあり、なんだか物足りなく感じたのかもしれません。でも、繁華街まで徒歩5分という立地の良さ、敷地内に駐車場があって、家賃と合わせて5万円以内で借りられるのは本当にありがたく、当時の宮古島で家を借りるのがどれだけ難しいかを考えると、嘘みたいな話でした。このお話をいただいたのは、きっと何かのご縁だったんだと思います。 お部屋は2階で、1階がシェアハウス

          宮古島での新たな暮らし、感謝とご縁で始まった一人暮らし

          別れた今だからわかること—Yに伝えたいありがとう

          地元に帰省した際、4、5か月ぶりにYに再会しました。5年弱の間、同じ空間で数々の時間を共にしてきた人。久々に会ったYは、やっぱり相変わらずかっこよかったことは覚えています(笑)でも、もう彼には「やり直す」気持ちは全くないことは私もわかっていました。 同棲時、初期費用の3~4割は私も負担していたけれど、それ以上に多くをYが支払ってくれていました。家賃も全部持ってくれて、私が負担していたのは水道光熱費と食費くらい。Yは「ここに住めるなら家賃は出す」と言って払ってくれていたのを思

          別れた今だからわかること—Yに伝えたいありがとう

          宮古島で巡り合う縁、導かれる不思議な出会いの軌跡

          生活のために始めたのが、Hさんに紹介されたビーチ近くのカフェでのバイトでした。ビーチを眺められる絶好のロケーションが売りではあるものの、お客さんもちらほらで、観光客向けに作られた、こぢんまりとしたカフェ。スタッフとしては、昼はKさん、夜はCさんがいて、二人とも頼れるお姉さん的存在!仕事のことはもちろん、それ以上に親身に支えてくれた二人と出会えた素敵な場所です。時給は800円と低めで、とりあえず!生活のための手段としての仕事、という感じで軽い気持ちで関わらせていただきました。

          宮古島で巡り合う縁、導かれる不思議な出会いの軌跡

          かりゆし58と宮古島が教えてくれた“終わりから始まる旅”

          かりゆし58の「オワリはじまり」が教えてくれたこと この頃よく聴いていたのが、かりゆし58の「オワリはじまり」。この曲が、私の心の支えになっていました。どの部分も私の心情にフィットしていて、サビを聴くたびに泣いていたのを思い出します。wどれだけ心がやんでいたのか、今思うと笑ってしまいますが、当時はそれほど胸に響いたんです。 まさに、自分にとってのテーマソングだったんじゃないかな?w毎日を全力で生きること、かけがえのない時間を刻むこと…熱く強い思いを持って生きる大切さをこの

          かりゆし58と宮古島が教えてくれた“終わりから始まる旅”

          宮古島での1か月ヘルパー生活:出会いと別れ、心の扉を開く時間

          この1か月間のゲストハウスでのヘルパー生活は、心の底から楽しめたものであり、私にとって人との出会いや関わり方について色々と考えさせられる時間でした。私はいつの頃からか、人に心を開くことが難しくなっていました。気を遣いすぎてしまうことも多く、「そんなに気を遣わなくていいよ」と言われることもありました(今でもそんな感じですけどw)。特に「女の子」に対しては、気を使ってしまうところがあって、なんとなく、妬みや嫉妬を避けたい気持ちがあって距離を取るものの、それが逆に微妙な空気を生むこ

          宮古島での1か月ヘルパー生活:出会いと別れ、心の扉を開く時間

          ゲストハウスで見つけた、新しい“家族”と自分のスタイル

          ゲストハウスでの生活はまさに新しい経験の連続!26年の人生で見ず知らずの人と共に生活するのは初めてでした。毎日入れ替わるゲストさん、そして同い年のヘルパーKちゃんとの“同棲”のような日々(笑) ヘルパーの部屋は二部屋あって、途中から奥の部屋で一人生活させてもらえたけど、それまではKちゃんと雑魚寝を共有。考えてみると不思議な縁です。同い年なのに落ち着いていて、まるで家族のような安心感。恋愛感情はなかったけれど、紛れもなく「友達以上、家族未満」な存在でした。※身体の関係はありま

          ゲストハウスで見つけた、新しい“家族”と自分のスタイル

          まさかの雑魚寝生活?私が挑んだゲストハウス暮らし

          このとき、体重は40キロあるかないか…w 別れの予感がしてからしばらく、何も食べられずにいたせいです。今では+10キロ前後ありますが、ちょっと痩せたいかなと思いつつ、「いや、今が幸せだからいいか!」と、しみじみ感じています(笑) そして2月3日、初めての一人旅で宮古島へ!空港まではお世話になっていた方が送ってくれて、ワクワクが止まりません。空港でまずはアルコールを摂取(笑)。いざ飛行機に乗り込み、缶ビール2本ほど注文して自分だけの機内パーティー気分。wこれも初めての一人旅だ

          まさかの雑魚寝生活?私が挑んだゲストハウス暮らし

          未知の宮古島へ、私の決断と出会い

          行動すると決めたら、準備はあっという間。1~2週間で情報をどんどん集めました。まずは泊まる場所探し。今まで泊まったことのないゲストハウスに目を向けてみたら、なんと「ヘルパー」を募集しているところが見つかりました。いわゆる“フリアコ”で、館内で寝泊まりできる代わりに宿泊業務の手伝いやゲストとの交流なども求められるスタイル。でも、私が見つけたゲストハウスはなんと10万円くらいの給料まで出るというありがたい条件。他のところよりも待遇が良く、本当に助かりました。 次にInstagr

          未知の宮古島へ、私の決断と出会い

          26歳、誕生日に幕を閉じた5年の恋...と南国への逃避行

          きっとまた元に戻れる…そう信じていたのに、現実は違いました。5年弱続いたYとの関係は、私の26歳の誕生日に終止符を打たれたのです。もう気づけばあれから6年が経つんですね。不思議なものです。思い返せば、Yとの間には喧嘩も多く、決して順調だったとは言えない日々でした。だからこそ、大好きな人と誕生日にお別れするということがどれほど悲しく、また自分が否定されたように感じるものか…そのことに気づかされたのです。 この日が来るたびに、自分の存在を誰にも認めてもらえないような気がして、こ

          26歳、誕生日に幕を閉じた5年の恋...と南国への逃避行

          ふたりの間に、静かに訪れた終わり

          普段から小さな言い合いが絶えない私たちでしたが、誕生日当日も待ち合わせから「どっちに行けばいいの?」「はっきりしてよ」と不機嫌そうに言われたのを覚えています。後から聞いた話ですが、「いつも俺が決めなきゃならないのがストレス」「どっちでもいいっていう曖昧さが嫌だった」なんてことも言われました。 毎年誕生日も記念日もYが店やホテルを予約してお祝いしてくれていました。この年もいつものように予約してくれていた店は、お互い思い出のあるお気に入りのお店。席についても、久しぶりに向かい合

          ふたりの間に、静かに訪れた終わり

          崩れゆく関係と誕生日の約束

          出て行ったのはいいけれど…(笑)親に言えるわけもなく、行くところがない私は、2~3日車中泊をすることになりました。仕事もあるし、銭湯に行ったり、近所のビジネスホテルに泊まったり。ふと「私、いったい何をやってるんだろう…」と感じながらも、自分でもどうすることもできない気持ちでした。w 一方、Yからは連絡が一切なし。たぶん出張から帰宅して、私の荷物がなくなっているのも気づいているはず…それなのに、です(笑)私は正直、家に帰りたいというよりも、Yの口から真実を聞きたかったし、謝罪

          崩れゆく関係と誕生日の約束