
ふたりの間に、静かに訪れた終わり
普段から小さな言い合いが絶えない私たちでしたが、誕生日当日も待ち合わせから「どっちに行けばいいの?」「はっきりしてよ」と不機嫌そうに言われたのを覚えています。後から聞いた話ですが、「いつも俺が決めなきゃならないのがストレス」「どっちでもいいっていう曖昧さが嫌だった」なんてことも言われました。
毎年誕生日も記念日もYが店やホテルを予約してお祝いしてくれていました。この年もいつものように予約してくれていた店は、お互い思い出のあるお気に入りのお店。席についても、久しぶりに向かい合うと、なんだかうまく目を合わせられなくて…この離れていた期間のことも、これからの二人のことも、なんとなく悟っていたように思います。
Yは言いました。「自分がいつも決めるのがストレスだった」「一緒に住んでみて毎日息が詰まる思いだった」とか、休みのたびに一緒に出掛けないといけないという暗黙の雰囲気も嫌だったみたいです^^;なのに私が特別行きたいところがあるわけでもなくYに委ねてしまうところや、私と「お酒」との付き合い方もやっぱり嫌だったんだとか。。ww
彼は例の横浜での出来事についても「体の関係にはなっていない」と否定し続け、「人のものを勝手に見るのは許せない」と強調していました。結局、私もYも、お互いにどうしても譲れない部分があり、どうしても受け入れられないことがありました。書ききれない複雑な事情もありましたが、きっとそれも、この関係が続かない理由だったのだと感じています。
Yから「なんか痩せたね」と言われたものの、特に心配する様子もなく、ただ淡々とした表情で…。Yのその態度を見て、彼の中で私への気持ちがもう冷めているんだなと感じました。
食事の後、Yは「今日は予定があるから」と私を突き放すように去っていきました。帰り際に、Yのお母さんが毎年のように用意してくれた誕生日プレゼントを手渡されました。それを受け取った瞬間、何とも言えない気持ちが湧き上がって、「あぁ、私たちの関係は本当に終わってしまったんだな」としみじみ感じたんです。彼のお母さんは、私たちの未来をずっと応援してくれていたと思います。だけど、もうその未来はないんだと、あらためて突きつけられた気がして…。
食事の際に、私のことは「優しくて本当にいい子」と言ってくれながらも、いつの間にか譲れないものがどんどん積み重なっていたんだろうと感じていました。でも色々考えると結局、Yのほうが私なんかよりもずっと我慢して、優しさを持って接してくれていたんだと思います。
過去に一度別れ話が出た時、私はずっと抱えていた悩みをYに打ち明けたことがありました。目の横のあざのことです。レーザー治療を重ねていて、コンシーラーで隠せる程度でしたが、長く付き合っていても伝えることができずにいました。あのとき、別れたくない気持ちがそうさせたのか、私は泣きながら「私がこうなのはこのあざのせいもある」と話しました。Yは「そんなこと、全然気にならないよ」と優しく言ってくれましたが、あれは言い訳だったのかもしれません。私の弱さにつけ込んでしまったような気もして、Yが離れられなかったのは私なんかよりもずっと我慢してくれていたからなのかもしれません。
続く…