葉月

05|通信制高校出身 大学1年生

葉月

05|通信制高校出身 大学1年生

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メモ

呪い 私は若いのだ、という焦り。若いのだから、若いうちにしかできないことをしなくてはという強迫観念。逃げ場はない。 無題 理解してほしかった。悔しかった。 内にはこんなにも激しく、わがままな私がいることを、知って欲しかった。けれど捻り出される言葉は幼稚、無味乾燥。 まだわかってもらえないと焦る。 自他ともに不快な、喚きのハウリング。 急性期 私を説明するのに最適な方法が、診断書(医師の所見)であるということ 願い 普通になりたい。 これは、私が特別な人間だとか言

    • 変わらないもの、病気

      環境が変われば何かが変わるよ、という大人たちの言葉を信じすぎた私が馬鹿だったのかもしれない。治るはずがないのに、健常者のような生活ができると勘違いしていた。 一人暮らしを始めて、大学に入って、確かに環境は一変した。学問としての歴史に触れ、自分の浅はかな考えと無知に気づき、ショックを受ける日々。でも、充実感を得られた。尊敬できる人に出会った。良くも悪くも、大人の世界を知った。楽しかった。 でも、病状は変わらなかった。初診の際持っていった問診票には「減薬を目指したいです」と書

      • 無題

        人生って ながいね ときどき ぢくぢく けれど ほんとはみじかいんだって かおもしらないひとが おどしてきた ちくたくちくたく ちくたくちくたく ときはすすむけど わたしはずっとこんなだから わたしを うみにつきおとして ねむっていたらきっと くるしくない あわいいろのはなでかざられた わたしのしゃしん わたしがわらってる きゅっとこうかくをあげて こっちをみてる しゃしんって わたしの死体だ けっきょく うそつきのまんま うそつき

        • 年末

          昨年末に書いたまま放置していた文章です↓ 年末に眠剤と抗てんかん薬を過剰服薬して、入院した。いわゆるODというのを、初めてちゃんと(?)やってしまった。夜中、とにかく自分に腹が立っていて、大量の診療代の請求書や処方箋を見て「なんで自分ばっかりこんなこと」と思った。毎日薬を十錠以上飲んで、十五歳から二週間に一度のペースで通院して、それでも良くならなくて。前日、カッターの刃が古くなっていてうまいこと腕を切れなかったのもあった。刃の交換も面倒くさかった。だったらもういっその事、と

          日記

          少しの間Twitterを離れてました、というか離れざるを得ませんでした。この約十日間色んなことがありました。 約十日前、精神的にかなり参ってしまって夜中に「明日病院に行く」と母親にLINEしました。起きてきた母親に、泣きながら「こんな思いすると死にたくなる。入院して管理されたい」と言いました。母親は事情を聞いたあと「置いていかないで」と言いました。また泣きました。私の前で泣いてくれてありがとうとも言われました。 翌日病院に行って入院したいと言うと、「自分が病気だと理解でき

          適宜

          中学2年生のとき、「何故私は必死になってテストで良い点を取ろうとしているのか?」という疑問を抱いた。私の自問自答地獄が始まったのはそこからである。変な疑問を抱く子どもの頃からの癖は、恐らく家庭環境によるものと思われる。私の父親(とも本当は見なしたくない人)は、モラルも知性も無くて、外面だけは良い人だった。虐待された訳ではないが、思い返せば書く気にもなれないようなことをされていた。いわば性的マルトリートメント(不適切養育)である。小学生の頃から、私は自分のことを醜いと思い始めた

          Amulet

          切ったばかりの皮膚を、大切にできない。ある専門家は言った、「これからもお世話になるかもしれない皮膚だから、いたわって処置してあげてください」と。その通りだと思う。その記述を読んで、私の廃れた心はじんわりと温まった。けれど、それができない。血と痛みで冴えた頭は、今度は止血作業に疲れて、よろよろと洗面台へと歩いていく。水道水で適当に固まった血を洗い流して、キッチンペーパーで水気をとって、雑にガーゼを当てて終わり。何もしたくない。して、あげたくない。こんなにも混乱して可哀想な私の心

          Still

          この二年間、自分自身との対話を、幾度となく試みてきた。あなたは誰ですか、どこか痛いですか、もう疲れましたか、本当は何をしたいのですか。喉が枯れるほどの大声で、霧の向こうに山があると信じて叫ぶように。何も、返ってくることはなかった。逃げたいですか、何に縛られているのですか。死にたいですか。返事を待つのに疲れて、虚しくなって、ふて寝した。腕を切ってみたりもした。これもまた、自分に話しかけているつもりだった。どこまで耐えられる?と。けれど、血の赤やぴりりとした痛みが混乱を紛らわせて

          一年前

          闘病垢を始めてから一年が経った。本当に、長いような、短いような。色々あったけど、あまりにも寝ている時間が多すぎて何が何だかよくわかっていない。一年前は何をしていただろうか。学校にはほとんど行けていなかった気がする。学校の最寄り駅に着いたはいいものの歩く気力も体力もなく、母親に「迎えきて」とLINEするのは酷く惨めだった。情けなかった。喪服みたいなかわいくない制服を着て、ホームのイスに座って泣きながら帰りの電車を待った。心身ともに壊れ、当たり前のことを当たり前にできなくなった。

          一年前

          Spilt Milk

          ずっと自分で自分を認められず、何かを愛すことすらままならない。 理想と現実との乖離が激しい。実際の自分を受け入れられない。だから、未だに他者からの評価にしがみつきながら生きている。特別な子だと思われたい。綺麗に見られたい。大脳辺縁系を他者に支配されている。 人間と違って、勉強は数値で自分の能力値を示してくれるから好きだった。順位や点数を見て、自分は大丈夫な人間だと思えた。勉強の意味を見失っていたと思う。そうやって得た安心は長くは続かない。高校に入り心身の調子を崩すと成績が

          Spilt Milk